玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

白倉さんの”すんまへん”

2008年11月21日 | 日記
 第五十一回柏崎書道院展で、白倉南寉さんの「すんまへん」というのが一際目を惹いた。正方形の紙の右から三分の一くらいの位置に、“す”の文字を置き、“すんま”までを横に書き、“まへん”を縦に並べてある。紙のほとんどの部分を余白が占める。白倉さん得意の余白の美を徹底して追求した書だ。
 この書に寄せられた「貧しいから、あやまって歩くしかなかった」という言葉に“どきっ”とし、「なぜ大阪弁なんだろう」という疑問を抱いた。書道院展でいただいた記念誌「傷はきずでまだ途中│生活(くらし)の中の書│」のあとがきを読んで疑問は氷解した。
 白倉さんは大阪道頓堀で「みをつくし」の話を聞き、自分の人生を振り返る。白倉さんは「希わくば、埋めてならして、ゼロがいい。南寉の汚したみちを消す決意。すんまへん」と書く。“すみません”でも“すいません”でもなく“すんまへん”。大阪弁独特の軽さのようなもの、あるいは親密なニュアンスが必要だったのだ。
 記念誌は、柏崎書道院の記念誌というよりは、タイトルからも分かるように白倉さんの個人史のようなものである。昭和三十年代の柏崎で白倉さんの書いた文字が商店や食堂の看板になったものを撮った写真が見開きで並んでいるページがある。
 十七軒の看板のひとつも残っていないという。現在も健在な店もあるが、すでに看板の文字は変わっている。石碑や額でないと、なかなか書は残らないことが分かる。でも、白倉さんにはそんなことは平気だろう。“埋めてならして、ゼロがいい”のだから。
 この頃のことだろうか、白倉さんは「文字を書いても、謝礼として、リンゴ一個とか、ナシ一個しかもらえなかった。とても食ってはいけなかった。貧乏だった」と振り返る。そんな思い出が「すんまへん」の書につながっている。
 今でも書だけで生計を立てることは大変なことである。白倉さんはそんな困難な道を歩いてきた人だ。

越後タイムス11月14日「週末点描」より)


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公開討論会を主催して

2008年11月10日 | 日記
 柏崎市長選に向けての公開討論会「柏崎の明日を問う」を無事終了することができた。ひとつ大仕事が終わったという感じである。四年前にも地元三紙主催で計画したが、中越地震で中止を余儀なくされたという経緯があり、その分準備作業はスムーズに進められた。
 実は大きな心配があった。このような公開討論会は初めての試みであり、市民の関心も高そうだから、会場である産文会館大ホールの収容能力を上回る市民が押し寄せてきたらどうしようかという心配だった。あらかじめ「大変申し訳ありませんが、満員になりましたので、御入場できません」との貼り紙も用意していたが、「どうでも入れろ」と言われたらどうしようと思っていた。
 しかし心配は杞憂に終わった。参加者は四百人にとどまった。会田、桜井両陣営の総決起大会では、かなり激しい言葉も聞かれ、舌戦が過熱しているが、“市民の関心はこの程度なのか”と、逆に拍子抜けしてしまった。
 しかも、会場は異様に静かだった。両陣営からの参加者もいたから、ヤジが飛んだり拍手が起こったりするものと覚悟し、その対策もとってあったが、そんな心配もなかった。柏崎市議会の騒々しさに比べたら、想像もできないくらい市民は紳士的、淑女的であった。
 気にかかることがひとつある。この公開討論会がきちんと判断材料を市民に提供できたかどうかということである。参加人数も少なかったし、「どちらに投票したらよいか分からないので、公開討論会を聞いて決めよう」と考えて参加した人も、そう多くはなかったように思われる。
 また、テーマが多すぎたため、二氏の発言が小間切れとなり、議論が尽くされたとは言えなかったことも反省点として挙げられる。初の試みであったことを言い訳に、お許しを乞う。

越後タイムス11月7日「週末点描」より)


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佐藤伸夫さんの手

2008年11月06日 | 日記
 今年のお盆に開催された「絵あんどん展」で、多くの作品の中で、佐藤伸夫さんの作品を見て「これだ!」と思い、初めて入札をした。今まで入札をしたこともなく、眺めていただけだったが、佐藤さんの作品は“ひとに取られたくない”という気持ちを起こさせた唯一の作品だった。
 会場で「三千円でも五千円でも大丈夫、落ちますよ」と聞いていた。しかし、そんな金額では佐藤さんの作品に対して“失礼”だという気持ちがあり、四ケタの金額で入札した。作品は私の手に落ちた。
 佐藤伸夫さんは筋ジストロフィーを患い、車椅子生活を続けながら絵を描いてきた人である。でも、佐藤さんの絵を障害者の作品として特別視する気持ちは全くない。健常者の作品と同等のものとして見ているし、そのことによって評価の基準を変えるようなことはない。
 「游文舎」企画委員として十八日~二十六日まで、佐藤さんの「佐藤伸夫の日常」を開催できたことをうれしく思っている。昨年十一月の「ゆさぶられた砂」展に続くものであったが、佐藤さんの絵は年々新しい境地を切り開いていくので、主催者としても楽しみは大きい。
 「佐藤伸夫の日常」というタイトルは、佐藤さん自身がつけたもので、そこには複雑な意味が込められている。佐藤さんは自分の“日常”を見せたいのではない。本当は絵を描くという“非日常”を見てもらいたいのだ。しかし、中越沖地震で自宅が大規模半壊となり、一年間仮住まいを強いられた中で描かれた作品は、“非日常”であると同時に、佐藤さんの“日常”でもあったのだ。
 落札した作品のタイトルは「夏の手」という。佐藤さんはこれを、夏の暑さを振り払うようにして一気に描いたという。力強い作品である。個展の最終日に「来年もやりましょう」と佐藤さんと握手を交わした。しかし、その手に健常者の力はなかった。一瞬“びくっ”としてしまった。

越後タイムス10月31日「週末点描」より)


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