五月に柏崎で個展を開いた鉛筆画家の木下晋さんから電話があり、「二十三日に柏崎に行くが、その後あんたを拉致したい」と言われるのだった。長野県上田市の「信濃デッサン館」別館の「槐多庵」で「木下晋展」が開かれ、昔の油絵が展示されるので、「是非あんたにオレの油絵を見てほしい」とのお誘いだった。
大変光栄なことなので、すぐに車で上田まで同行することに決めた。「信濃デッサン館」は二回目。すぐ近くに戦没画学生の作品を集めた「無言館」がある。「無言館」だけ見て、デッサン館を見ないで帰る人も多いが、館主・窪島誠一郎さんの主眼はデッサン館の方にある。昭和初期のいわゆる“夭折の画家”の作品を集めた、特色ある美術館である。
「槐多庵」の名は村山槐多からきている。二十二歳で死んだ、原始的エネルギーを感じさせる絵を描いた人だ。一階には柏崎でも展示された鉛筆画が展示されている。木下さんの油絵は二階にあった。自由美術展に史上最年少の十六歳で入選した作品や、鉛筆画に転向する以前の油絵の大作群を初めて見せてもらった。
木下さんの油絵には、村山槐多以上に原始的エネルギーを感じさせるものがあった。赤ん坊の頭や妊婦の腹、頭蓋骨のようなものが妖しく“発光”している。それは“生命の光”には違いないが、あまりにも不気味で恐ろしく、“始源の生命の胎動”のようなものに思わずおびえてしまうほどだった。
「火葬場の花」という作品は、靉光の描く花のようにおどろおどろしい。木下さんの絵の“恐ろしさ”には、その不幸な生い立ちが反映されているに決まっているのだが、人間としての木下さんは、いつも明るい。自分の作品を観ながら、「こんな絵、売れるわけねえよな」と屈託なく笑い飛ばすのである。
窪島誠一郎さんにも紹介されたが、こちらも想像と違って“生きているのが面倒臭くてしょうがない”といった感じの方だった。
大変光栄なことなので、すぐに車で上田まで同行することに決めた。「信濃デッサン館」は二回目。すぐ近くに戦没画学生の作品を集めた「無言館」がある。「無言館」だけ見て、デッサン館を見ないで帰る人も多いが、館主・窪島誠一郎さんの主眼はデッサン館の方にある。昭和初期のいわゆる“夭折の画家”の作品を集めた、特色ある美術館である。
「槐多庵」の名は村山槐多からきている。二十二歳で死んだ、原始的エネルギーを感じさせる絵を描いた人だ。一階には柏崎でも展示された鉛筆画が展示されている。木下さんの油絵は二階にあった。自由美術展に史上最年少の十六歳で入選した作品や、鉛筆画に転向する以前の油絵の大作群を初めて見せてもらった。
木下さんの油絵には、村山槐多以上に原始的エネルギーを感じさせるものがあった。赤ん坊の頭や妊婦の腹、頭蓋骨のようなものが妖しく“発光”している。それは“生命の光”には違いないが、あまりにも不気味で恐ろしく、“始源の生命の胎動”のようなものに思わずおびえてしまうほどだった。
「火葬場の花」という作品は、靉光の描く花のようにおどろおどろしい。木下さんの絵の“恐ろしさ”には、その不幸な生い立ちが反映されているに決まっているのだが、人間としての木下さんは、いつも明るい。自分の作品を観ながら、「こんな絵、売れるわけねえよな」と屈託なく笑い飛ばすのである。
窪島誠一郎さんにも紹介されたが、こちらも想像と違って“生きているのが面倒臭くてしょうがない”といった感じの方だった。
(越後タイムス8月29日「週末点描」より)