ソフィアセンターで開かれている「柏崎の百年」は大人気で、連日多くの市民が訪れている。高齢者が昔を懐かしんでの思いはよく分かる。「誰々が写っている」とか、「こんなだったんだ」とかの会話がしきりに聞こえてくる。感想ノートには小学生の書き込みも多くあって、「昔のかしわざきはすごかったんだなあ」などと、強い印象を書き記している。どんな思いなのだろう。
初老に足を踏み入れつつある身としては、懐かしさがあって当然なのだが、それよりむしろ、新しい発見の方が多かったように思う。柏崎を襲った数度の水害の記録などは、現場を見ていないから記憶にない。真貝新一が自宅が焼けるのもかまわず撮影した宮川大火なども、まだ六歳だったから、新聞記事の記憶もない。
市の写真で昭和四十七年~八年の佐藤池の白鳥の姿を写したものがある。中学生時代、佐藤池の生態研究で足繁く通ったが、白鳥飛来の記憶などまるでない。真貝新一が昭和二十八年に写した団子山の市営住宅十棟の写真は、はるかな記憶を呼び覚まさせてくれた。団子山は主な遊び場だったから、この市営住宅を記憶している。しかし、この写真を見なければ二度と思い出すことはなかっただろう。
ところで、この写真展は、柏崎市立図書館開館百周年を記念してのもので、会場入口に新旧三代の図書館の写真と説明が掲示されている。現人物館の二代目の思い出はまったくないが、初代の木造図書館に多くの思い出がある。
高校時代毎日のように通った。時効だから言うが、学校の行事や授業までさぼって本を読みに行った。狭苦しい書架で本をあさった記憶と、全集本を借りまくって読んだ濃厚な思い出が甦る。現在の図書館はスマートだが、そんな濃い思い出を残してくれるだろうか。やはり「昔の柏崎はすごかったんだなあ」。
初老に足を踏み入れつつある身としては、懐かしさがあって当然なのだが、それよりむしろ、新しい発見の方が多かったように思う。柏崎を襲った数度の水害の記録などは、現場を見ていないから記憶にない。真貝新一が自宅が焼けるのもかまわず撮影した宮川大火なども、まだ六歳だったから、新聞記事の記憶もない。
市の写真で昭和四十七年~八年の佐藤池の白鳥の姿を写したものがある。中学生時代、佐藤池の生態研究で足繁く通ったが、白鳥飛来の記憶などまるでない。真貝新一が昭和二十八年に写した団子山の市営住宅十棟の写真は、はるかな記憶を呼び覚まさせてくれた。団子山は主な遊び場だったから、この市営住宅を記憶している。しかし、この写真を見なければ二度と思い出すことはなかっただろう。
ところで、この写真展は、柏崎市立図書館開館百周年を記念してのもので、会場入口に新旧三代の図書館の写真と説明が掲示されている。現人物館の二代目の思い出はまったくないが、初代の木造図書館に多くの思い出がある。
高校時代毎日のように通った。時効だから言うが、学校の行事や授業までさぼって本を読みに行った。狭苦しい書架で本をあさった記憶と、全集本を借りまくって読んだ濃厚な思い出が甦る。現在の図書館はスマートだが、そんな濃い思い出を残してくれるだろうか。やはり「昔の柏崎はすごかったんだなあ」。
(越後タイムス7月28日「週末点描」より)