市立博物館の箕輪一博学芸員から、「キンモクセイの花の咲く頃、山にはアミタケが出る」との教示を受けていた。あちこちの庭のキンモクセイの花が咲き出したので、何年か前にアミタケが大量発生したある場所に行ってみた。あった。
まだ出始めで、小さいものばかりであったが、少しだけ採ることができた。これから期待できそうだ。アミタケはこの辺の方言ではアワタケ。昔は山に行けばどこにでも生えていた。
小中学生の頃、秋になると「きのこ狩り遠足」というのが学校行事として行われていて、鍋をかついで軽井川の山に出掛けた。山できのこを採り、その場できのこ汁をつくって食べるのだ。アミタケは必ずあったから、間違いなくきのこ汁をつくることができた。
しかし、中学生の時代に、遠足の主役がきのこ汁からカレーに変わったことを覚えている。山に行ってもアミタケさえ採れなくなったからだ。思えばこの頃から、里山を人が利用しなくなり、山が荒れ始めたのだった。
ところで、一番おいしいきのこといえば、ズボ(アブラシメジ、ヌメリササタケなど)。『柏崎日記』の渡部勝之助が食傷するほど食ったというズボを、もう十年も口にしていない。そのズボが、しかも一本で味噌汁がつくれるほど大きなのが博物館のエントランスホールに展示されていた。
柏崎きのこ研究会の布施公幹会長が朝採ってきたもので、「二人で行って、四十六本採ってきた」とおっしゃる。うらやましい限りである。布施先生から教えてもらった。「ブナ林の切れ目、木の生えていない日当たりのよい斜面に行けばある」とのことだ。
せっかく教えていただいたのだから、近いうちに実行したいと思うが、そんな所に行けば必ずあるとも限らず、一日がかりになるかも知れない。なかなかそんな時間はとれそうもない。悔しい。
まだ出始めで、小さいものばかりであったが、少しだけ採ることができた。これから期待できそうだ。アミタケはこの辺の方言ではアワタケ。昔は山に行けばどこにでも生えていた。
小中学生の頃、秋になると「きのこ狩り遠足」というのが学校行事として行われていて、鍋をかついで軽井川の山に出掛けた。山できのこを採り、その場できのこ汁をつくって食べるのだ。アミタケは必ずあったから、間違いなくきのこ汁をつくることができた。
しかし、中学生の時代に、遠足の主役がきのこ汁からカレーに変わったことを覚えている。山に行ってもアミタケさえ採れなくなったからだ。思えばこの頃から、里山を人が利用しなくなり、山が荒れ始めたのだった。
ところで、一番おいしいきのこといえば、ズボ(アブラシメジ、ヌメリササタケなど)。『柏崎日記』の渡部勝之助が食傷するほど食ったというズボを、もう十年も口にしていない。そのズボが、しかも一本で味噌汁がつくれるほど大きなのが博物館のエントランスホールに展示されていた。
柏崎きのこ研究会の布施公幹会長が朝採ってきたもので、「二人で行って、四十六本採ってきた」とおっしゃる。うらやましい限りである。布施先生から教えてもらった。「ブナ林の切れ目、木の生えていない日当たりのよい斜面に行けばある」とのことだ。
せっかく教えていただいたのだから、近いうちに実行したいと思うが、そんな所に行けば必ずあるとも限らず、一日がかりになるかも知れない。なかなかそんな時間はとれそうもない。悔しい。
(越後タイムス10月15日「週末点描」より)