玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

大きな情熱が失われた

2007年06月26日 | 日記
 大きな情熱が失われた。二十日、茨城県水戸市の「中村彝会」の会長である梶山公平さんの訃報が入ってきた。ついこの間、電話でお元気な声をお聞きしたばかりであったのに……。大正十五年三月のお生まれだから享年八十一歳であった。
 梶山さんの中村彝に対する情熱には、すさまじいものがあった。茨城県立美術博物館前に彝の銅像を建てた。下落合に残る彝のアトリエを彝の故郷・水戸の地に復元もした。彝静養の地・平磯海岸に記念碑も建てた。多くの私財を投じてである。昭和六十三年には念願の著書『夭折の画家 中村彝』を出版した。
 来柏されたのは平成十四年四月。その理由がすごい。彝会の元会長・故鈴木良三が、その著書で洲崎義郎について心ない文章を残した、そのことを柏崎の人たちに謝罪したいためというのであった。お詫びの印に梶山さんがタイムス社にお持ちになった彝の肖像レリーフを今も大切に保管している。
 平成十五年に水戸市で大回顧展が開かれた時には、大変お世話になった。展覧会はもちろん、彝の墓や出身小学校にまでご案内いただいた。足が不自由でいらっしゃるのに、中村彝のこととなると、とことんやらなければ気が済まないのだった。
 梶山さんが彝の話を始めると終わりということがなかった。柏崎でご一緒した時も、水戸でお会いした時もそうだった。まるで梶山さんの人生の全部を彝に捧げているようにさえ思えた。一人の画家に対して、梶山さんほどの情熱を傾けている人を、後にも先にも見たことがない。それほどの情熱であった。
 東京新宿の「中村彝アトリエ保存会」とタイムスを結びつけてくださったのも梶山さんだった。梶山さんが茨城弁のイントネーションで「つねさんはねえ……」と話す時の、優しい表情を忘れることができない。書きたいことはまだたくさんあるが、紙面が足りない。

越後タイムス6月22日「週末点描」より)



かぼちゃの双子

2007年06月18日 | 日記
 柏崎・夢の森公園がめでたく今月二日に開園を迎えたが、その一週間前に家人を案内して園内を廻った。何回もここを訪れているので案内役がつとまるのである。里山公園なのだから、夢の森大池周辺だけでなく、山の方も歩いてみなければ意味がない。
 山にはまだワラビが芽を出していたし、初夏を迎えてヤマボウシやエゴノキなど、さまざまな白い花が咲いていた。「あの花は何」「この花は何」という家人の質問に、たいがい答えることができた。随分いろいろな植物の名前を覚えた。本紙に「ボタニカルエッセイ」を寄稿してくださる田辺喜彬先生のお陰である。
 中学生の時、科学部生物班の班長をつとめていて、佐藤池(今はもう池はない)の植生について調査したことがあり、たいがいの雑草の名前は覚えたが、花木に関してはまるで無知だったのを、蒙昧から救ってくれたのは、旧川西町の亡くなった友人と田辺先生である。一緒に山歩きをすることで、多くのことを学んだ。
 山に行って植物の名前を知っているのと知らないのとでは大きな違いがある。田辺先生は、落葉した樹木でも、その木肌を見ただけで「これは何の木」と分かるほどの達人であり、こちらは足元にも及ばないが、雑草や樹木の名前を覚えているだけで、山歩きをすることが楽しくなることは請け合いだ。是非勉強して公園を歩いてほしい。
 ところで家では植木鉢で“おもちゃかぼちゃ”を育てている。あの奇態な形と色が好きだからだ。毎日のように雌花が咲くが、いっこうに雄花がタイミングよく咲いてくれない。雄花が咲かないことには受粉ができないからかぼちゃができない。
 ということで、無理矢理、咲きかけの雄花のオシベを、雌花のメシベにこすりつけてみるのだが、オシベが未熟なせいか、受精に至らない。雄花がはなばなしく咲いている時には、意地悪く雌花が咲いていないということで、三週間を経てもカボチャの実が育たなかった。
 でもやはり、時期というものがあるのだろう。同時に咲いたタイミングを見計らって、人工授粉に成功。なんとか二個の雌花が妊娠した。少子高齢化の時代に双子とは赤飯ものである。もっといっぱい妊娠させて、あのおかしな形のかぼちゃをたくさん収穫したいものだ。

越後タイムス6月15日「週末点描」より)



日中国交回復35周年記念二人展

2007年06月18日 | 日記
 週末、東京で美術月刊誌「ギャラリー」を発行するギャラリーステーションの本多隆彦社長とご一緒した。本多社長は、柏崎出身の画家・水野竜生氏の作品を高く評価し、水野氏の中国での展開や、国内での展開を精力的に支援している人だ。
 本多社長と旬の地の鯛の刺身をつまみながら、酒を酌み交わした。なんでも本音で語り、美術の世界の改革を本気で考えている人だ。水野氏を売り出すことで、旧態依然とした日本の美術会に風穴をあけたい気持ちをもっている。
 本多社長は、日本の美術界がダメなのは、政治家と結びついた画家が、画家としての研鑽を忘れ、政治力で美術界を牛耳っているからだという。本当に才能のある作家が芽を出すことのできない仕組みが出来上がっているのだ。同感である。
 画家が変わるのがいいのか、変わらない方がいいのかということについても議論した。本多社長は「画家は変わっていかないと、その作品が職人芸の世界になっていく。絶対変わらなければいけない」という。美術史に大きな名を残すような画家のほとんどは、その作風をどんどん変えている。壁にぶち当たってはそれを乗りこえ、ということを繰り返していくことで、画家は成長していくのだ。
 ところで、水野氏と北京精華大学美術部副部長の画家・陳輝(チェン・フイ)氏との二人展の日程が決まった。まず長岡の県立近代美術館で今年十二月一日から六日まで、来年はオリンピックを直前にひかえた六月、北京中国美術館で二人展は開かれる。題して「日中国交回復三十五周年記念二人展」。実行委員会もできた。本多社長の行動力に負けないように、協力していこうと思っている。

越後タイムス6月8日「週末点描」より)



何かおかしい

2007年06月03日 | 日記
 十日町市で気になる動きがある。過去三回開かれたアートトリエンナーレ「大地の芸術祭」も随分気になっていたが、次は民間主体での開催ということになったようだ。それでも第四回目では、十日町市と津南町で一億円を負担するということだが……。
 合併で隣りの市になったせいもあり、友人、知人が多くいることもあって、十日町市のことは気になって仕方がない。新しい動きは「大地の芸術祭」と密接にからんでいる。昨年の「大地の芸術祭」に初めて登場した「妻有焼」に、そのことは関係している。
 田口十日町市長が先日の記者会見で、「妻有焼」を十日町の新しい産業として、地域活性化の目玉にする計画を発表したのだった。市が主体となり、六千万円を注ぎ込んで、廃校となった小学校を改造し、陶芸設備をそろえ、陶芸センターをつくるというのである。
 「妻有焼」は東京在住のある陶芸家が、十日町の土に惚れ込んで、昨年の「大地の芸術祭」で発表したもので、もとから地域にあったものではない。市長はその陶芸家個人の可能性に期待しているようだが、「週報とおかまち」によると、「軌道に乗る見通しはあるのか」「全国でそのような成功例はあるのか」との記者の質問に、市長は「取り組んでみなければ分からない」と答えたという。
 五月十八日号の「タイムス抄」でも書いたが、文化創造に対する行政の介入や過度の支援には反対である。特定の陶芸家に行政が肩入れすることに大きな疑問を感じる。産業振興のためというなら、その陶芸家が「妻有焼」を自立的に興し、軌道に乗る見通しが立ってから支援すべきであって、失敗したら税金の無駄遣いである。税金というものは、もっと公平な使われかたをしなければいけない。
 その陶芸家は十日町の土を「最高の土だ」と言っているそうだが、地元の陶芸家は「そんなことはない」と言っているという。また柏崎出身のある陶芸家は「十日町の土がそんなにいいなら、窯業のまちとして栄えていたはず。昔から陶器で有名なところは、どこもその土がよかったからだ」と言っている。何かおかしい。他山の石としなければならない。

越後タイムス6月1日「週末点描」より)



一生を棒に振りたい人はどうぞ

2007年06月03日 | 日記
 立体パズルの桑山弥志郎さんと七年ぶりにお会いした。柏崎工業メッセに展示されるプラスチック製パズルの取材だった。前に仕事場におじゃました時には、正六面体のパズルをいただき、さっそく挑戦したことを覚えている。
 井桁状の比較的単純な形なのだが、これが大変むずかしい。解体して再び組み立てるのに半日以上かかった記憶がある。とにかく組み手の刻みが複雑で、「あーこうなっているのか、こりゃすごい」などと独り言をいいながらの挑戦だった。
 月日は過ぎ、桑山さんは十二面体から三十二面体、昨年には七十二面体を完成させた。十二面体を組み立てるところを取材させてもらったが、パーツが三十個もあり、とても自分で挑戦する勇気はなかった。
 工業メッセでは、来場者に挑戦してもらうというが、桑山さんは「取説があってもできないだろう」とすずしい顔で話す。挑戦者がはまってしまって、「徹夜の泊まり客もでるのではないか」という冗談も出た。桑山ワールドを訪れたら、他のブースを見学することがむずかしくなることは確実で要注意だ。
 三十二面体は正五角形十二面と、正六角形二十面で球を表現する。七十二面体は正五角形十二面と少しずつ角度を変えた不等辺六角形六十面で球を表現する。これらはすべて理にかなった法則にのっとっていて、数学的に解析されるのだそうである。
 七十二面体は残念ながら大きさの制限があって国際大会には出品できない。しかし、アメリカのGM社の会長が三十二面体を欲しがり、会長がつくった「リリー博物館」という世界のパズルを集めた館におさめられたという。
 桑山さんの恐るべき頭脳と技に脱帽する。しかし、七十二面体組み立てに挑戦するのは、一生を棒にふるような行為かも知れない。

越後タイムス5月25日「週末点描」より)