玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

「北方文学」第83号紹介

2021年07月03日 | 玄文社

「北方文学」第83号が発刊になりましたので、紹介させていただきます。今号は執筆者が少なかったのですが、長編作品が多く244頁の大冊となり、同人の創作意欲が健在なことを感じさせます。

 巻頭に田原さんの詩「母を悼む」を2篇掲載。田原さんは近頃母親の郭秋娥さんを亡くされたそうで、「母の葬儀」は文字通り中国式葬儀の様子を克明に描いています。日本の仏式葬儀との大きな違いを感じさせます。「赤いマホガニーの棺」とあり、重さが1トン、クレーン車で吊って墓穴に入れるというから驚きです。高級家具に使うマホガニーを棺桶に使って、使者を鄭重に弔うということですね。

 館路子の長編詩「白く燃える火のオード」が続きます。先号から動物シリーズに代わって、文学作品をテーマにした連作ということになりましょう。川端康成の「雪国」と鈴木牧之の「北越雪譜」がモチーフです。雪にまつわる隠喩としての〝白く燃える火〟は、もはや文学作品の中にしか残されていない、ということへの感慨。駒子のモデルとされた女性が出てくるのが驚き。

 次は魚家明子の2編「2020 Ⅶ」と「うたかた」。近頃魚家の作品は冴えわたっているが、今号のはやや重い。ただただ過ぎていく日常的な時間への疑問があって、それが詩人としての魚家を苦しめる。時間とは詩的な跳躍と背反するものでなのであろうか。

 批評が4本続きます。「北方文学」の最大の特徴は批評のウエイトが高いことです。いつもよりは少ないけれど、重厚な作品が続きます。

 最初は柴野毅実の「夏目漱石『明暗』とヘンリー・ジェイムズ」。3年にわたって連載してきたヘンリー・ジェイムズ論の延長上で書かれた、漱石の『明暗』についての論考です。国文学者が誰も言わない、ジェイムズの与えた漱石への影響を軸として、『金色の盃』と『明暗』との類縁性について詳細に論じるとともに、それが『明暗』に何をもたらしたかということへの考察となっています。自分ではかなり画期的な部分があると思っているのですが……。

 次の霜田文子「不眠の夜、光の正午」は、多和田葉子の長編小説『飛魂』についての批評です。『飛魂』を貫いているのは、なんとニーチェの『ツァラトゥストラ』の哲学だというのです。驚くべき指摘で、読んで納得させられる部分が多くあります。『飛魂』は多和田の作品としては取り上げられることの少ないものですが、これもまた画期的な論考と言えるでしょう。

 榎本宗俊に「提携へのメモ」はいつものように古今の俳句や短歌についての、浄土真宗的な読み込みによる覚書的な文章で、彼の文章でなければ出会うことのないいくつかの作品との出会いが貴重な体験をたらしてくれます。

 次いで坂巻裕三さんの「故路奈文Ⅷ 初読・フォークナー」。初登場の坂巻さんは、永井荷風の研究家でもあるのですが、英語に堪能(翻訳で読むより英語で読んだ方がよく分かる、というくらい)で、アメリカ通の人です。コロナ禍での蟄居生活の中で読み直したり、初めて読んだりした本についての〝読書エッセイ〟ですが、なかなか軽いものではなく、文明論的な視点がきちんと入ったフォークナー論になっています。

 研究としては今号は鈴木良一の「新潟県戦後50年詩史」のみ。「隣人としての詩人たち」の17回目にあたり、1986年から1990年までの前半を扱います。最初に「北方文学」の動静が取り上げられますが、ここで登場するのが柴野。同誌の詩人たちへの批評と、それが果たした役割について書かれています。38号の来迎寺出身詩人・山口哲夫に対する追悼特集や第40号の現代詩特集のことなどが紹介されています。三条の経田佑介の「ブルージャケット」の動き、「新潟詩人会議」と「創玄」の創刊など、重要な事項が記録されています。

 書評が一本。「北方文学」同人・鈴木良一の新詩集『ひとりひとりの街』についての、魚家明子の書評です。題して「詩を生きて、種を撒く人」。

 最後に小説が3本続きます。最初は柳沢さうびの「とらのゆめのを」。プロレスラーの男の彼女との行き違いや、先輩花形レスラーの彼女との関係に対する疑いや嫉妬が描かれているのですが、こんな卑俗なテーマが柳沢の文体に乗ると、どこまでも文学的な香気を感じさせるから不思議です。夢とも妄想ともつかぬ描写は、とても素人とは思えぬハイレベルな文体に支えられています。短い作品ですが、こんな文体で長篇を書いたら、彼女はすごい作家になれると思うのですが。

大ベテランの新村苑子の「昭夫の決断」が続きます。癌に冒された妻を気遣う夫の気持ちが、優しく書かれていきます。突然、妻入院先の病院のベッドで不可解な死をとげてしまいます。なんという不条理な。

 最後は中国の作家・黄怒波の大長編「チョモランマのトゥンカル」の第1回目です。トゥンカルというのは「チベット仏教の祭祀用に吹き鳴らす法螺貝」のことだそうです。1節から7節まで続くチョモランマ頂上付近での登山隊の悪天候との戦いは、臨場感溢れる描写が続きど迫力です。8節からある開発区の完成祝賀式典の場面に変わりますが、チョモランマ登山とどう関係するのかは今のところ分かりません。なんせ全体のまだ10分の1くらいなので。翻訳は徳間佳信。

 

 

目次を以下に掲げます。

田 原*母を悼む(二編)悲しみ・母の葬儀

館 路子*白く燃える火のオード

魚家明子*2020 Ⅶ・うたかた

柴野毅実*夏目漱石『明暗』とヘンリー・ジエイムズ

霜田文子*不眠の夜、光の正午――多和田葉子『飛魂』を読む―― 

榎本宗俊*定型へのメモ

坂巻裕三*故路奈文Ⅷ 初読・フォークナー

鈴木良一*新潟県戦後五十年詩史――隣人としての詩人たち〈17〉第九章―一九八六年から一九九〇年まで(前半)

魚家明子*詩を生きて、種を撒く人――鈴木良一詩集『ひとりひとりの街』――

柳沢さうび*とらのゆめのを

新村苑子*明夫の決断

黄 怒波*チョモランマのトゥンカル                                                                            

 

お問い合わせはgenbun@tulip.ocn.ne.jpまで。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする