日石加工柏崎工場の工場長だった森敏昭さんから、ある女性の自分史を託された。「すごいから読んでみろ」というのである。大正十二年五月東京生まれというから、現在八十六歳。その自分史は六十歳代に書かれたものだが、一気に読ませられた。その内容も、文章も驚くべきものだった。
いきなり関東大震災の場面から始まる。大震災は大正十二年九月一日に発生しているから、まだ四カ月の赤ん坊である。その女の子は、兄の献身的な努力によって地獄のような現場から奇跡的に救出される。その救出劇が、兄の遺稿に生々しく描かれている。
祖母と母、別の兄を失った女の子は、当時の柏崎町に住む、母の姉夫婦の養女となる。少女の孤独感や養父との確執が、生き生きと描かれている。自殺未遂のことまで隠さず書く。文章は感傷に流れず、簡潔にして要を得ている。
女の子はタイピストとして、日本石油柏崎製油所に入社することになる。女性はたった一人の職場だった。現在のOLの走りのようなもので、よほど優秀な女性だったのだろう。その自分史を、今週から連載する。小林久子さん(横浜市在住)の「背中をピンとのばして」である。連載開始の週が、中越沖地震発生から二周年の週と重なったのも、何かの縁であろう。関東大震災の惨状を読んでみていただきたい。
久子さんは、一カ月ほど前、柏崎で開かれた日石柏崎OB会に、夫の留吉さんと出席され、昔懐かしい仲間と会えて嬉しそうだった。多少耳は遠いけれど、矍鑠として元気な姿を見せてくれた。
いきなり関東大震災の場面から始まる。大震災は大正十二年九月一日に発生しているから、まだ四カ月の赤ん坊である。その女の子は、兄の献身的な努力によって地獄のような現場から奇跡的に救出される。その救出劇が、兄の遺稿に生々しく描かれている。
祖母と母、別の兄を失った女の子は、当時の柏崎町に住む、母の姉夫婦の養女となる。少女の孤独感や養父との確執が、生き生きと描かれている。自殺未遂のことまで隠さず書く。文章は感傷に流れず、簡潔にして要を得ている。
女の子はタイピストとして、日本石油柏崎製油所に入社することになる。女性はたった一人の職場だった。現在のOLの走りのようなもので、よほど優秀な女性だったのだろう。その自分史を、今週から連載する。小林久子さん(横浜市在住)の「背中をピンとのばして」である。連載開始の週が、中越沖地震発生から二周年の週と重なったのも、何かの縁であろう。関東大震災の惨状を読んでみていただきたい。
久子さんは、一カ月ほど前、柏崎で開かれた日石柏崎OB会に、夫の留吉さんと出席され、昔懐かしい仲間と会えて嬉しそうだった。多少耳は遠いけれど、矍鑠として元気な姿を見せてくれた。
(越後タイムス7月17日「週末点描」より)