玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

巨大ズッキーニ

2008年06月30日 | 日記
 例の長岡の畑の話。家人によるとイタリア料理に使うズッキーニの苗を植えたところ、えらく成長が早くて、指の大きさぐらいだったのが、二週間ぶりに畑に行ってみると、ズッキーニが巨大化して、ゴロゴロと転がっていたというのである。
 ズッキーニは普通、キュウリくらいの大きさで収穫して調理するものだが、二週間ぶりのそれは長さ五十センチ、重さ二キロに達していた。ほとんどユウガオに近い。ユウガオとは色が違って、濃い緑色のと黄色いのがずっしりと重い。


 “こんなもの食べられるのだろうか”と思ったが、種の部分以外はちゃんと食べられるのだ。トマト煮にして食べたらとてもおいしい。しかし、あまりに巨大なので、全部食べるには、いろいろと調理方法を考えなければいけない。
 ということで提案した。ユウガオと同じようなものだから、クジラ汁にすること、ヌカ漬けにしてみること、細長く切ってカンピョウにしてみることを提起してみた。クジラがなかったので家人がトン汁にしてみたところ、相性抜群であった。クジラの方がもっと合いそうで、今から楽しみだ。
 ヌカ漬けもいける。ズッキーニは淡泊な味だから、イタリア料理でなくても、何にでも合うのではないか。まだカンピョウにすることはしていないが、ナスの代用で野菜カレーもいいだろうし、天ぷらかフリッターにもできそうだ。
 ところで、疲れを感じていたので、畏れおおくも座布団にはさんで枕にして寝てみた。すると、首筋にちょうどフィットして、えらく具合がいいのだ。あの微妙なカーブが首にぴったりとくる。首を動かしてみると、ゴロゴロ感があって、マッサージ器のようにコリをほぐしてくれる。
 一晩、ズッキーニの枕で寝ることにした。しかし、食べ物を粗末にすることは良心が許さないので、枕の用途が済んだら必ず食べることにする。こうしてズッキーニの利用の道は無限に拡がっていくのだった。

越後タイムス6月27日「週末点描」より)


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高橋源治さんの思い出

2008年06月27日 | 日記
 十一日に、元柏崎商工会議所会頭の高橋源治さんが九十五歳で亡くなった。源治さんの経済人としての姿については、ほとんど知らない。知っているのは文学や美術を愛する文化人としての源治さんだけだった。
 源治さんからは、いろいろなものをいただいた。タイムス紙を愛読されていて、気に入った記事があると、いつも電話をくださって、感想を話していただいた。「話しに来い」というので、何度もご自宅にお邪魔した。
 絵の話で気が合うと、故山田龍夫さんのスケッチを惜し気もなくくださったし、自分で気に入った本があると、まとめて何冊か買って、「読んでみろ」と言って、本を何冊もいただいている。
 民芸運動の創始者で知られる柳宗悦の思想に共鳴しておられて、水尾比呂志の評伝『柳宗悦』や、柳の周辺にいた浅川巧の本もいただいた。いただいた本のすべてを読んだわけではなく、そのことを申し訳なく思っている。
 最後の思い出は、伊藤整のことを書いたら、チャタレイ事件と柏崎の公安委員会の話をしてくださった時のことだ。源治さんの記憶はものすごくしっかりしていて、五十年も前のことを正確に話してくださった。その話は十八年八月二十五日号と九月一日号に書かせてもらった。
 生きておいでのうちに「いろんなことを聞いてみよう」と思っていたが、忙しさにかまけていて実現できなかった。そうこうしているうちに中越沖地震が源治さんの自宅を襲い、ガレージを改造した仮設暮らしを強いられることになった。
 葬儀で長男の信彦さんが、「地震がなかったら、もう少し長生きできただろう」と挨拶されたのが印象的だった。地震は多くの人の人生を変えてしまった。

越後タイムス6月20日「週末点描」より)


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さまざまな瞽女唄

2008年06月27日 | 日記
 どうしたわけか、短い時間のうちに、さまざまな瞽女唄に触れることになった。まずはタイムス社が主催した木下晋展の合間に聴いた、木下さん出演のETV特集のビデオに登場する小林ハルさんの唄。野太い声で、しかもなまりがあって、土の臭いのする重厚さがあった。普通の歌とは全く違う発声法に、“怖さ”を思わせるものを感じた。
 次は木下展のギャラリートークの前座をつとめてくれた東京で活躍する民謡歌手・月岡祐紀子さんの唄だった。小林ハルさんの直接の指導も受けたという月岡さんだが、声が澄んでいて伸びがあり、民謡を聞いているようだった。
 月岡さん自身「まだ若いので味が出ないけれど、年をとれば味が出てくるのではないか」と話していた。昔の瞽女さんだって、年寄りばかりではないのだから、若々しい瞽女さんの唄声だって響いていたのではないだろうか。
 その次は、ふるさと人物館の「こどもにもよくわかるごぜのはなし」の展示会場で流されていた刈羽瞽女・伊平タケさんの唄だった。こちらの方は、小林ハルさんと違って、明るくて艶っぽいイメージで聞かせるものだった。
 最後は、八日、東本町一の常福寺で開かれた「柏崎瞽女唄公演」での葛の葉会のメンバー四人による瞽女唄だった。それまで聞いてきたものと全く違うのは、それが標準語で唄われていて、よく唄の意味が聞き取れたところだった。
 最後の演目「出雲節謎かけ」は、「松竹梅とかけてなんと解く」「風呂屋の番頭さんと解く」というので、その心は「ぬるい時は“タケ”、熱い時は“ウメ”、お客さんを“マツ”のが風呂屋さん」というのだった。瞽女唄は、テレビもラジオもない時代の“娯楽”そのものだったのだ。

越後タイムス6月13日「週末点描」より)



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県内初、知られざる巨匠展

2008年06月07日 | 日記


 越後タイムス社は、十四日から二十九日まで、市内新橋の中央ライフセンター内游文舎で、「いのちのつぶやきが聞こえる・菅創吉展」を開催する。県内では初の紹介となるもので、一昨年長野県東御市・梅野記念絵画館での回顧展に次ぐものである。
 菅創吉は、明治三十八年兵庫県姫路市生まれ。幼いときから絵を描いていたが、本格的に画家を目指したのは五十一歳から。五十八歳で渡米、ロサンゼルスやサンフランシスコなどで個展を開き、六十一歳でニューヨークに進出。アメリカで認められて六十七歳で帰国した。典型的な大器晩成型の画家である。
 その作品は、圧倒的なマチエールで観る者に迫る。と同時に、誰も見たこともないような大胆かつ計算されたデフォルメを特徴とする。時には金属のような、あるいは古代遺跡から発掘された遺物のようなマチエールは、観る者を驚かせるだろう。大胆なデフォルメは、「こんなことがあり得るのか」という感じで、観る者の感性を不可能に向けて解放するに違いない。
 創造力の極地を示すそれらの作品は、まさに“知られざる巨匠”の作品と呼ぶべきものだ。今回の「菅創吉展」は、「木下晋展」に引き続いて、文学と美術のライブラリー「游文舎」のオープニング企画第二弾として開催される。油彩、立体作品約三十点を展示する。


 監修は、小田原の「すどう美術館」。同館の館長・須藤一郎氏は、菅創吉の絵に出会ったことで、平凡なサラリーマンから大きく人生を変えてしまった人だ。菅の作品を蒐集し、「世界一小さい美術館」をつくってしまった。銀座に「すどう美術館」を開設して十年、若い作家の育成につとめているが、昨年小田原に引っ越した。十四日午後二時から、須藤一郎氏の講演会「菅創吉・ユーモアとヒューマンな愛」を開く。参加費は五百円。問い合わせは游文舎(電話35-6881)へ。
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いつまでもあると思うな……

2008年06月04日 | 日記
 「いつまでもあると思うな親と金」という諺のように、柏崎市の財源は危機的な状況に追い込まれ、地域コミュニティ活動も、柏崎市の補助金をあてにできなくなってきていることが、二十六日のコミセン会長会議で明らかになった。
 柏崎市は平成十五年度から、地域コミュニティ計画策定費補助金を各コミセンに年に五十万円二年間支給し、その後はその計画実現のための活動推進事業補助金を、年に百万円出してきた。しかし財政難のため、補助金の額は八十万円から七十五万円平均へと漸減を続けている。
 この補助金について、かつて「バラまきではないか」と批判したことがある。「協働」といい、地域の自立のための支援といえば聞こえはいいが、選挙になれば現職の市長の票に直結しかねない「バラまき」そのものではないだろうか。
 そんな「バラまき」が、地震の発生がなかったとしてもいつまでも続くはずもなく、補助金の見直しは必至である。しかし平成十五年度以降、柏崎市はコミュニティセンターを行政の下請的な存在として利用してきたことも事実で、そのことを市民活動支援課も否定しない。センター長や主事の仕事量は増え続け、金子会長が言うように「嫌気がさして辞めてしまう」ケースもあるのだ。
 補助金漬けにしておいて、コミセンの仕事を増やし、財政逼迫を理由に、今度は補助金を打ち切ったらどうなるのだろう。誰もセンター長や主事を引き受ける人などいなくなってしまうのではないか。「バラまき」のツケが廻ってくるのは眼に見えている。
 各コミュニティの活発な活動は、柏崎の大きな特徴であるが、その多くは行政からの補助金に支えられている。もともと地域の自立は補助金をあてにしてなされるべきものではない。中越沖地震被災をきっかけにして、早く原点に戻るべきだと考える。
P align="right">(越後タイムス5月30日「週末点描」より)


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