あと数日で中越沖地震発生から五カ月が経とうとしている。何かあっという間だったような気がすると同時に、長い道のりだったような思いもあり、相反する印象が複雑に絡み合っている。
地震の取材というものが、これほど忙しいものだと分かったのは、発生初日からのことだった。あちらこちらの被害の状況を取材しながら、沖縄から飛んできた安倍前首相を追いかけたりもしなければならなかった。
そんな忙しさが二~三カ月続いたと思うと、次は山のようなイベントの連続が襲ってきた。三年前の中越地震の時には、ありとあらゆるイベントが中止になったのに、今回はまったく逆の現象が起きている。イベントを自粛することが、被災地の経済をかえって萎縮させることへの反省がその裏にあり、悪いこととは思わない。
かつて“イベントが多すぎる”ことへの批判を行ったことがあるが、それは“行政主導のイベントが多すぎる”ことを批判したので、今回民間が主体的に行うイベントが多くなっていることは、素直に評価してよいことと思っている。
自分でも、地震発生後、展覧会をはじめ、いくつかのイベントを主催し、萎縮した気持ちを吹き飛ばそうという思いがあった。災害復旧にとって芸術や美術が何の役に立つのかと言う人もいるだろうが、それを欲することをしないわけにはいかなかった。
そんなことで、この五カ月間の後半は、とりわけ忙しい日々を過ごすことになった。充実した時間を持つことができたことに感謝している。ふと我に帰ると、待ったなしの“新年号”発行が目の前にあるのだった。とても“新春を寿ぐ”ような気持ちではないので、“震災復興祈念号”として発行すべく、これから必死にならなければいけない運命にあるのだった。
地震の取材というものが、これほど忙しいものだと分かったのは、発生初日からのことだった。あちらこちらの被害の状況を取材しながら、沖縄から飛んできた安倍前首相を追いかけたりもしなければならなかった。
そんな忙しさが二~三カ月続いたと思うと、次は山のようなイベントの連続が襲ってきた。三年前の中越地震の時には、ありとあらゆるイベントが中止になったのに、今回はまったく逆の現象が起きている。イベントを自粛することが、被災地の経済をかえって萎縮させることへの反省がその裏にあり、悪いこととは思わない。
かつて“イベントが多すぎる”ことへの批判を行ったことがあるが、それは“行政主導のイベントが多すぎる”ことを批判したので、今回民間が主体的に行うイベントが多くなっていることは、素直に評価してよいことと思っている。
自分でも、地震発生後、展覧会をはじめ、いくつかのイベントを主催し、萎縮した気持ちを吹き飛ばそうという思いがあった。災害復旧にとって芸術や美術が何の役に立つのかと言う人もいるだろうが、それを欲することをしないわけにはいかなかった。
そんなことで、この五カ月間の後半は、とりわけ忙しい日々を過ごすことになった。充実した時間を持つことができたことに感謝している。ふと我に帰ると、待ったなしの“新年号”発行が目の前にあるのだった。とても“新春を寿ぐ”ような気持ちではないので、“震災復興祈念号”として発行すべく、これから必死にならなければいけない運命にあるのだった。
(越後タイムス12月14日「週末点描」より)