本書で取り上げられている深田信四郎は明治42年柏崎生まれ、教師の道に進む。昭和16年在満教材部に出向し、通化省柳河在満国民学校訓導に、翌年北安省二龍山在満国民学校校長となり、新潟県から渡った二龍山開拓団の子供達に皇国教育を行った。しかし敗戦時のソ連軍満州侵攻により、悲惨な逃避行を強いられる。開拓団員達が身を寄せた長春南溟寮の寮長として避難民を指導し、彼らの精神的支えとなる。過酷な環境下で次々と命を失っていく団員達の悲惨な生活を目の当たりにして、疑いもなく軍部に従ってきた自分を反省し、戦争の悲惨を身をもって知る。
帰国後は教師としての仕事を続けながら、「レポート・アルロンシャン」を昭和23年から平成10年(最後は「いくさ、あらすな」と改題)まで、通算256号を発行する。「レポート・アルロンシャン」は全国にいる満州開拓団からの帰還者達の原稿を載せ、「いくさあらすな」を合い言葉に、彼らの戦後の困難な生活を支えるバックボーンとなった。深田は妻信との共著『二龍山』(アルロンシャン)と柏崎開拓団の辿った経緯を記録した『幻の満洲柏崎村』などの著書を残した。
昭和13年旧西山町生まれの阿部松夫は、深田信四郎の部下として働いたことがあり、深田の考えに深く共鳴し、深田の「いくさあらすな」の思いを改めて世に問うために本書『ただたのみます、いくさあらすな』を発行した。タイトルは深田が最後に発行した「いくさ、あらすな」に掲載された歌「書く力、語る力も失せ果てぬ ただたのみます いくさあらすな」から採った。
本書は満州開拓団避難民達のあまりにも悲惨な逃避行をありのままに記録した『二龍山』と「レポート・アルロンシャン」「いくさ、あらすな」からの抜粋を中心として編集されている。また阿部の深田に対する敬愛の念をもって綴られた思い出の記は、在りし日の深田の大きく暖かな人間的魅力を余すところなく伝えている。
阿部はまた今日このような本を世に問うことの意義を、次のような時代状況に見ている。「あとがき」から紹介する。
「今国会では、集団的自衛権の行使容認の是非を問う安全保障関連法案の審議が行われております。国民の多くが不安を感じ、ほとんどの憲法学者が法案の違憲性を指摘するにもかかわらず、政府はわが国周辺の安全保障環境の変化を理由に、法案の正当性を主張しています。そして、こうした政府の数を頼んだ強硬姿勢に便乗するかのように、マスコミや出版ジャーナリズムを通して、自制心に富む言葉を拒否するかのような、歴史的事実や社会的背景を無視した反知性主義的な論調が目立つようになってきました。これはまさしく戦前の社会風潮への回帰にも似た、憂うべき現象であります」
A5判222頁、定価1,200円(税込み)
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