片目が網膜剥離の後遺症で見えにくくなって早8カ月。僕が携帯端末やパソコン利用の辛さや苦しさを目の当たりにしているからこそ、警告を続けているのですが、どうも理解には程遠いようです。 この文を書くのも一苦労。細かな点は、片目をつむって確認をするのですが、大きく見開こうとする側の目は、目の周りの筋肉に痛みを感じて来ました・・・。 昨今は花粉なのか、他の飛散物質なのかわかりませんが、目を開けてられない時間が多くなりました。悲しい事です。
両目を閉じれば、聞こえてくるのは雑音ばかり。 これが長年無理をして生きて来た結果ですよ。
かなり日常生活にも制限がかかっているものの、世の中的には健常者扱いです。 片眼が一定の視力がでれば、障害者認定は受けられません。
両眼が見えていた頃のように、ログインも出来ませんし、ましてや携帯端末の画面など何が書いてあるか見当もつきません。短い文章は認識できますけど・・・。拡大機能を使っても、拡大エリアの内容はわかっても全体の意味が把握できない。重要な確認事項などは読むことはほぼ不可能です。しかし、その確認事項に同意した事が、実際の訴訟やトラブルが発生した際には重要な事柄となるわけです。 パソコンは多少は携帯端末よりはマシですが、バックライトがまぶしすぎてこれまたNG。win10になってから細かな明るさの調節が出来なくなりました。何とか見えている目の方も、最近悪化してきて、白内障の手術時に設定した距離(ピントが合う距離)よりもさらに近付かないとピントが合わなくなって来ました。何かを見るという楽しみも半減しましたね。これが本音です。
一方、紙に出力した文字は時間をかければ何とか理解できます。時間をかければという点がポイントなんですけどね。請求書もそうです。両眼が見えていた頃の倍以上の時間が必要です。若い方々には理解できないでしょうが(自分もほんの数年前まで不自由をまったく感じなかった)、その時が来ればわかります。 わかった時はもう手遅れ。
行き過ぎた便利さは、もろ刃の剣です。 データがすべてデジタル化された時、その時が・・・。
高度に発達した文明に文字文明が無かった? 笑ってしまいますね。 無かったのではなく、デジタル化され文字にする必要性が無かったと考える方が筋が通ります。そして、超強力な電磁パルスでデジタル文明は一瞬にして消失するのです。あるいは位相電磁技術で見えない存在へと変化したか・・・。
いずれにしろ、昭和30年代生まれの目は、普通は今の文明には長くは耐えられないようにデザインされていたはずです。 もう目が辛くなったので今日はこれでおしまいです。