成果というモノは、苦労を重ねて重ねて得られるものだと思います。やせたいと願えば、やせるために苦労を重ね続けることで達成できます。カヌーで良い成績をおさめたいと思えば、人以上にしんどく、しかも辛い練習を行わなければなりません。ただ、一生懸命努力をしたけれども、結果、良い成果が現れないことも多々ります。しかし、人生においてはその過程は、人間力を増す上でも大切なことと思います。
しかし、ここ最近の自動(オートメーション)化は、本来身に付けるべき能力を減退させているようにしか思えません。本日得た情報では、10月に気象衛星ひまわり8号が打ち上げられますが、期待されるものは、漁業・農業分野の自動化による効率化と収益性の向上です。特に農業分野においては、自動作付け機とのこと。具体的に言えば、寝ている間に田植えや、作付けを完了することができる機械化の導入です。オートメーション化は、自動運転ができる車が実用化に向け、一般道テストを世界各国で今まさに行っています。便利さから言えば、開発・実用化が望まれますが、それに反比例するかのように減退していく能力もでてきています。
ところで、文部科学省は2011年に4月に「教育の情報化ビジョン」を発表し、2020年までに全国のすべての小中学生に、1人1台タブレット端末を配布して授業を行うことを目標としています。教育における学びのオートメーション化です。効率よく学習できる点は賛同できますが、減退していく能力もあると思います。
勉強を苦労しながら身に付ける意義?車を運転する楽しさ?農業をする楽しさ?スポーツする意味? どうなるんだろう?我慢する力(忍耐力)は何処へ
すべての面で苦労して得られる能力(意義)が失われていくと危惧します。時代とともに変わらなければならないものは手段としてはありますが、本質自体は変わらないので、苦労するべき点はあるべきと感じます。
苦労して、カヌーで良い成績を修める。管理人的には、美徳を感じます。
一無尽。
たっすいがは、いかん。