「第九を原語で歌ってみたいなあ」。歌が好きな障害者がつぶやいた一言から生まれた「しあわせを呼ぶコンサート」が9日、川崎市宮前区である。12回目。100人以上の障害者がプロのオーケストラとともに舞台に立ち、「歓喜の歌」を熱唱する。
つぶやいたのは、今は亡き大西多夫さん。統合失調症を患い当時の作業所「宮前ハンズ」(宮前区)で働いていた1997年ごろのこと。「休憩時間だったかな」と、職員の女性(61)は振り返る。そのころ40代半ばだった大西さんは、「寅さん」みたいな風貌(ふう・ぼう)。歌が大好きで上手だった。
職員は、その何げないつぶやきを実現したいと、近くに住む河合由里子さん(66)に相談した。音楽教室を開き、チャリティーコンサートなども手がけていた河合さんだが、障害者自身が舞台に立つコンサートは初めて。会場探しから始まり、知り合いの声楽家斉藤新さん(47)が施設をまわって合唱を指導した。
2000年、第1回のコンサートが実現した。観客100人程度の小さなホール。障害者約50人が舞台に立った。斉藤さんが指揮をとり、川崎市内の市民合唱団も共演。「第九」は準備不足で歌えなかったが、出演した障害者の笑顔が次の年に引き継がれた。
翌年の2回目。プログラムに、ベートーベンの交響曲第9番から「歓喜の歌」が入った。「ほんのさわりの5分程度」。斉藤さんはドイツ語を、語感が近い日本語に語呂合わせで変えて教えた。ドイツ語の音(おん)に合わせた意味が通じない日本語。でも楽しく覚えやすかった。
12回目の今年は、宮前区内の施設や作業所10カ所からさまざまな障害を持つ約130人が参加の予定。世界的バイオリニストの木野雅之さんがコンサートマスターを務め、この日のために編成されたオーケストラや、ソリストはすべてプロ。市民合唱団含めて総勢200人以上の舞台になる。「『歓喜の歌』もまだ抜粋ですが、20分弱まで演奏できるようになりました」。斉藤さんは言う。
河合さんは、数年前に病気で亡くなった大西さんの笑顔を思い出す。「1人のつぶやきが、多くの人の協力で現実になった。彼自身、舞台に立ったときは本当にうれしそうでした。きっとどこかでステージをみてくれているでしょう」
会場は宮前市民館大ホール。9日午後1時半開演(開場は1時間前)。第2部は、フランスのアコーディオン奏者らによるゲスト・ステージ。入場無料。先着800人。問い合わせは宮前区地域振興課(044・856・3132)へ。
朝日新聞
つぶやいたのは、今は亡き大西多夫さん。統合失調症を患い当時の作業所「宮前ハンズ」(宮前区)で働いていた1997年ごろのこと。「休憩時間だったかな」と、職員の女性(61)は振り返る。そのころ40代半ばだった大西さんは、「寅さん」みたいな風貌(ふう・ぼう)。歌が大好きで上手だった。
職員は、その何げないつぶやきを実現したいと、近くに住む河合由里子さん(66)に相談した。音楽教室を開き、チャリティーコンサートなども手がけていた河合さんだが、障害者自身が舞台に立つコンサートは初めて。会場探しから始まり、知り合いの声楽家斉藤新さん(47)が施設をまわって合唱を指導した。
2000年、第1回のコンサートが実現した。観客100人程度の小さなホール。障害者約50人が舞台に立った。斉藤さんが指揮をとり、川崎市内の市民合唱団も共演。「第九」は準備不足で歌えなかったが、出演した障害者の笑顔が次の年に引き継がれた。
翌年の2回目。プログラムに、ベートーベンの交響曲第9番から「歓喜の歌」が入った。「ほんのさわりの5分程度」。斉藤さんはドイツ語を、語感が近い日本語に語呂合わせで変えて教えた。ドイツ語の音(おん)に合わせた意味が通じない日本語。でも楽しく覚えやすかった。
12回目の今年は、宮前区内の施設や作業所10カ所からさまざまな障害を持つ約130人が参加の予定。世界的バイオリニストの木野雅之さんがコンサートマスターを務め、この日のために編成されたオーケストラや、ソリストはすべてプロ。市民合唱団含めて総勢200人以上の舞台になる。「『歓喜の歌』もまだ抜粋ですが、20分弱まで演奏できるようになりました」。斉藤さんは言う。
河合さんは、数年前に病気で亡くなった大西さんの笑顔を思い出す。「1人のつぶやきが、多くの人の協力で現実になった。彼自身、舞台に立ったときは本当にうれしそうでした。きっとどこかでステージをみてくれているでしょう」
会場は宮前市民館大ホール。9日午後1時半開演(開場は1時間前)。第2部は、フランスのアコーディオン奏者らによるゲスト・ステージ。入場無料。先着800人。問い合わせは宮前区地域振興課(044・856・3132)へ。
朝日新聞