東日本大震災から11日で半年。街をのみ込む大津波の映像や家族を亡くした遺族らの悲しみは、東海地震が想定される県内の人たちに深い衝撃を与えた。震災後、避難訓練への参加者は増え、津波避難ビルも多くなった。専門家は「住民の避難意識の変化こそ重要」と訴える。
「県の被害想定なんてもう、誰も信じていませんよ」。県の小林佐登志危機管理監は、東日本大震災による県民の意識の変化をこう表現した。
8月28日の防災訓練には、9市町で県民16万7千人が参加。例年にない多さで関心の高さをみせた。県危機情報課によると、津波避難ビルは震災前の500から680に増えている。「想定外」へ備える意識は高まったと言える。
ただ、気になる動きもある。
8月1日深夜、静岡市と焼津市は震度5弱の強い揺れに襲われた。静岡市沿岸部の自治会長は翌朝、「津波の心配がないのがすぐに分かったので避難していない。住民の多くがそうだった」と話していた。
焼津市の増田好憲・危機管理対策担当係長は「(避難場所の)学校に入るためガラスドアが割られていないかと思ったが、実際には逃げた人はほとんどいなかった」と振り返る。
想定される東海地震が発生すると、焼津市には5~10分程度で津波が押し寄せるとされ、同市は「揺れたらすぐ避難」と呼び掛けてきた。津波警報が出るのは、早くても2分後。情報を待って行動を起こすのでは避難時間がほとんどない。
民間気象会社のウェザーニューズと、県防災・原子力学術会議の津波対策分科会長を務める今村文彦・東北大教授らが、東日本大震災の被災者に対して実施した調査結果では、避難開始までの時間は、生存者は平均19分、亡くなった人は平均21分だった。2分の差が生死を分けたといえる。
また、この調査では「なぜ津波から逃げ切れなかったのか?」との質問も投げかけた。回答には「避難経路に障害があった」「避難場所が安全ではなかった」などが目立ち、「指定しただけ」という実態が浮き彫りになった。
県内では、津波から緊急的に逃げ込む一時避難場所は133カ所ある。
静岡市駿河区中島地区で避難ビルにもなっている中島浄化センターは、駿河湾に近い、安倍川沿いだ。5月21日の津波避難訓練でも住民たちはここに集まった。
東日本大震災では、川を遡上(そ・じょう)した津波が被害を広げた。
中島地区に住む男性は測量の仕事をしている経験から、周辺の海抜を調べた。「浄化センターより高い場所はたくさんある。なぜ安倍川に近く、しかも、自宅より海に近い施設に避難するのか。建物の高さだけで選んだのではないか」と疑問を投げかける。
市防災対策課によると、浄化センターも含めて一時避難場所の見直しは行っていないという。「県の新しい被害想定が出るのを待って見直し作業に入りたい」とする。その県は、国の中央防災会議が新たに「東海」「東南海」「南海」の3連動地震の被害想定をまとめた後、県内の被害想定づくりに着手する計画だ。早くても来年夏以降になる。
8月末に焼津市で開かれた防災講演会には、500人を超える聴衆が集まった。講演した片田敏孝・群馬大教授(防災学)は関心の高さに驚いたという。
片田さんは、日本の防災の現状を「行政に守られた受け身の自助」と表現する。避難勧告を出すから、避難場所を確保するから、そこに逃げてくださいという考えだ。50年前、伊勢湾台風をきっかけにできた災害対策基本法が、その骨格をつくったという。
「自分の命、大切な家族は自分で守るという主体的な防災が必要だ。そこへ転換するには震災後の今しかない」
朝日新聞
「県の被害想定なんてもう、誰も信じていませんよ」。県の小林佐登志危機管理監は、東日本大震災による県民の意識の変化をこう表現した。
8月28日の防災訓練には、9市町で県民16万7千人が参加。例年にない多さで関心の高さをみせた。県危機情報課によると、津波避難ビルは震災前の500から680に増えている。「想定外」へ備える意識は高まったと言える。
ただ、気になる動きもある。
8月1日深夜、静岡市と焼津市は震度5弱の強い揺れに襲われた。静岡市沿岸部の自治会長は翌朝、「津波の心配がないのがすぐに分かったので避難していない。住民の多くがそうだった」と話していた。
焼津市の増田好憲・危機管理対策担当係長は「(避難場所の)学校に入るためガラスドアが割られていないかと思ったが、実際には逃げた人はほとんどいなかった」と振り返る。
想定される東海地震が発生すると、焼津市には5~10分程度で津波が押し寄せるとされ、同市は「揺れたらすぐ避難」と呼び掛けてきた。津波警報が出るのは、早くても2分後。情報を待って行動を起こすのでは避難時間がほとんどない。
民間気象会社のウェザーニューズと、県防災・原子力学術会議の津波対策分科会長を務める今村文彦・東北大教授らが、東日本大震災の被災者に対して実施した調査結果では、避難開始までの時間は、生存者は平均19分、亡くなった人は平均21分だった。2分の差が生死を分けたといえる。
また、この調査では「なぜ津波から逃げ切れなかったのか?」との質問も投げかけた。回答には「避難経路に障害があった」「避難場所が安全ではなかった」などが目立ち、「指定しただけ」という実態が浮き彫りになった。
県内では、津波から緊急的に逃げ込む一時避難場所は133カ所ある。
静岡市駿河区中島地区で避難ビルにもなっている中島浄化センターは、駿河湾に近い、安倍川沿いだ。5月21日の津波避難訓練でも住民たちはここに集まった。
東日本大震災では、川を遡上(そ・じょう)した津波が被害を広げた。
中島地区に住む男性は測量の仕事をしている経験から、周辺の海抜を調べた。「浄化センターより高い場所はたくさんある。なぜ安倍川に近く、しかも、自宅より海に近い施設に避難するのか。建物の高さだけで選んだのではないか」と疑問を投げかける。
市防災対策課によると、浄化センターも含めて一時避難場所の見直しは行っていないという。「県の新しい被害想定が出るのを待って見直し作業に入りたい」とする。その県は、国の中央防災会議が新たに「東海」「東南海」「南海」の3連動地震の被害想定をまとめた後、県内の被害想定づくりに着手する計画だ。早くても来年夏以降になる。
8月末に焼津市で開かれた防災講演会には、500人を超える聴衆が集まった。講演した片田敏孝・群馬大教授(防災学)は関心の高さに驚いたという。
片田さんは、日本の防災の現状を「行政に守られた受け身の自助」と表現する。避難勧告を出すから、避難場所を確保するから、そこに逃げてくださいという考えだ。50年前、伊勢湾台風をきっかけにできた災害対策基本法が、その骨格をつくったという。
「自分の命、大切な家族は自分で守るという主体的な防災が必要だ。そこへ転換するには震災後の今しかない」
朝日新聞