ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

震災から半年 避難意識 変化の時

2011年09月12日 01時13分15秒 | 障害者の自立
 東日本大震災から11日で半年。街をのみ込む大津波の映像や家族を亡くした遺族らの悲しみは、東海地震が想定される県内の人たちに深い衝撃を与えた。震災後、避難訓練への参加者は増え、津波避難ビルも多くなった。専門家は「住民の避難意識の変化こそ重要」と訴える。


 「県の被害想定なんてもう、誰も信じていませんよ」。県の小林佐登志危機管理監は、東日本大震災による県民の意識の変化をこう表現した。


 8月28日の防災訓練には、9市町で県民16万7千人が参加。例年にない多さで関心の高さをみせた。県危機情報課によると、津波避難ビルは震災前の500から680に増えている。「想定外」へ備える意識は高まったと言える。


 ただ、気になる動きもある。


 8月1日深夜、静岡市と焼津市は震度5弱の強い揺れに襲われた。静岡市沿岸部の自治会長は翌朝、「津波の心配がないのがすぐに分かったので避難していない。住民の多くがそうだった」と話していた。


 焼津市の増田好憲・危機管理対策担当係長は「(避難場所の)学校に入るためガラスドアが割られていないかと思ったが、実際には逃げた人はほとんどいなかった」と振り返る。


 想定される東海地震が発生すると、焼津市には5~10分程度で津波が押し寄せるとされ、同市は「揺れたらすぐ避難」と呼び掛けてきた。津波警報が出るのは、早くても2分後。情報を待って行動を起こすのでは避難時間がほとんどない。


 民間気象会社のウェザーニューズと、県防災・原子力学術会議の津波対策分科会長を務める今村文彦・東北大教授らが、東日本大震災の被災者に対して実施した調査結果では、避難開始までの時間は、生存者は平均19分、亡くなった人は平均21分だった。2分の差が生死を分けたといえる。


 また、この調査では「なぜ津波から逃げ切れなかったのか?」との質問も投げかけた。回答には「避難経路に障害があった」「避難場所が安全ではなかった」などが目立ち、「指定しただけ」という実態が浮き彫りになった。


 県内では、津波から緊急的に逃げ込む一時避難場所は133カ所ある。


 静岡市駿河区中島地区で避難ビルにもなっている中島浄化センターは、駿河湾に近い、安倍川沿いだ。5月21日の津波避難訓練でも住民たちはここに集まった。


 東日本大震災では、川を遡上(そ・じょう)した津波が被害を広げた。


 中島地区に住む男性は測量の仕事をしている経験から、周辺の海抜を調べた。「浄化センターより高い場所はたくさんある。なぜ安倍川に近く、しかも、自宅より海に近い施設に避難するのか。建物の高さだけで選んだのではないか」と疑問を投げかける。


 市防災対策課によると、浄化センターも含めて一時避難場所の見直しは行っていないという。「県の新しい被害想定が出るのを待って見直し作業に入りたい」とする。その県は、国の中央防災会議が新たに「東海」「東南海」「南海」の3連動地震の被害想定をまとめた後、県内の被害想定づくりに着手する計画だ。早くても来年夏以降になる。


 8月末に焼津市で開かれた防災講演会には、500人を超える聴衆が集まった。講演した片田敏孝・群馬大教授(防災学)は関心の高さに驚いたという。


 片田さんは、日本の防災の現状を「行政に守られた受け身の自助」と表現する。避難勧告を出すから、避難場所を確保するから、そこに逃げてくださいという考えだ。50年前、伊勢湾台風をきっかけにできた災害対策基本法が、その骨格をつくったという。


 「自分の命、大切な家族は自分で守るという主体的な防災が必要だ。そこへ転換するには震災後の今しかない」

朝日新聞

大震災から半年 今生き抜くための支援も

2011年09月12日 01時12分31秒 | 障害者の自立
 東北地方の太平洋沿岸を中心に未曽有の被害をもたらした東日本大震災の発生から、11日で6カ月を迎えた。

 避難や転居を余儀なくされた人は、いまだに8万人以上いる。「あの日から、もう半年…まだ半年。でも、気持ちはようやく落ち着いてきました」。岩手県陸前高田市から東京に移り住んだお年寄りは、こうつぶやいたという。多くの被災者が感じていることでもあろう。

 だが、復興はこれからだ。

 政府は今後10年かけて、被災地の土地区画整理や高台への集団移転、被災者の就業・就学支援や水産業の基盤整備など総額23兆円規模の復旧・復興事業を実施する方針を決めている。復興の道筋を示し、着実に進めてもらいたい。

 被災者は時がたつほどに平静さを取り戻すと同時に、復興への道のりの険しさを実感している。半年を経て、新たな課題が立ちはだかってくるのも現実だ。

 とりわけ深刻なのが、被災地での生活環境の悪化である。医療や住民の健康を例に取ろう。確かに、多くの医療機関は診療を再開した。しかし、少なからぬ病院が巨大津波で壊滅的被害を受け、医師や医療機器が不足し、住民たちが十分な医療を受けられないのが現状という。

 応急的に開業しても、コンピューター断層撮影装置(CT)など以前のような医療機器がそろわず、正確な診断ができないところも少なくない。長引く避難生活で被災者は体調を崩し、災害に遭ったことが原因で不眠症になったり、ストレス障害を発症したりする患者も多い。

 一方で、被災地外からの医療支援は人員態勢を含め縮小傾向にある。仮設の診療所をもっと増やして必要な機器を整備するなど、被災者が安心できる医療環境を整えることが必要ではないか。

 教育環境の改善も、早急に着手すべき課題だ。被災3県では、小中高校の多くが被災校舎の再建の見通しすら立っていない。校舎が使えず、他校の施設を間借りして授業をしている学校もある。福島県では東京電力福島第1原発事故の影響で、屋外の活動が制限されている。子どもたちの気持ちを思うと胸が痛む。

 被災地が本格復興するには相当な時間がかかる。だが、被災者があっての復興だ。古里を離れた人を含めて被災者、被災地が疲弊しないよう、いまを生き抜くための支援も忘れてはならない。

 そうしたなか、原発事故の風評被害に苦しむ福島県の農家を応援しようと、市民有志が福岡市で企画した支援店の出店が中止になった。残念でならない。根拠のない反対メールが相次いだためだが、どれだけ被災地の心を傷つけたか。

 原発事故で福島県境の宮城県白石市から家族と共に急きょ避難し、福岡市にたどり着いた女性は「同じ日本で(福岡市民が)普通の暮らしをしていることに驚いた」と振り返る。被災者が一日も早く「普通の暮らし」を回復できるよう、私たちもあらゆる形で支えていきたい。


=2011/09/11付 西日本新聞朝刊=


大震災半年:仮設暮らし、積もる課題 ほころび始めた共同体

2011年09月12日 01時07分25秒 | 障害者の自立
 東日本大震災から半年が経過、被災者の多くは避難の場を仮設住宅に移した。復興の先行きが見えず、仮設住宅暮らしが長期化する可能性もある中、コミュニティーづくりや生活環境の確保は大きな課題だ。被災者は厳しい生活を送るが、過去の震災で指摘された孤独死や健康悪化を防ぐため、独自の取り組みも始まりつつある。

 ◇大規模施設、見えぬ隣人

 岩手県大船渡市猪川町の総合公園仮設住宅団地。県内最多の308戸が建ち並び、市外からの入居者も多い。

 「どこに誰が住んでいるんだか、訳が分からない」。市内で被災した新沼枝美子さん(82)はため息をつく。部屋は団地の出入り口から遠く「歩くだけで疲れてしまう」と話す。

 夫と入居する陸前高田市の門間サツキさん(67)は「夫しかしゃべる相手がいない」。たまにバス停で知った顔を見かける程度で、「都会のマンションみたい」と苦笑する。

 市は当初、同じ地域の住民がまとまるようにしていたが、次第に個別の申し込みに応じて空いた部屋を割り振るようになった。自治会もなく、市の担当者は「作るかは住民が決めることで、こちらはきっかけ作りをするしかない」と話す。

 一方、大槌町の安渡(あんど)地区にはわずか7戸の仮設住宅団地がある。入居者は全員、同じ安渡地区の住民で顔見知り。小国勇さん(69)は妻と長男との家族3人で暮らし、「大人数よりまとまりがいいんじゃないの。知っている人ばかりだから、話もしやすい」という。【市川明代、神足俊輔】

 ◇点在する「みなし仮設」

 行政が民間賃貸住宅を借り上げる「みなし仮設住宅」の入居戸数が8200戸と、仮設住宅入居戸数の6倍以上に達する仙台市。市内各所に点在するみなし仮設で暮らす住民らは自ら、コミュニティーを保つ方法を模索している。

 被害が大きかった同市若林区荒浜地区。自宅を失った会社経営、河野哲さん(46)らは地区を離れてみなし仮設に入った住民向けにブログを開設した。仮設住宅であるイベントや復興への動きを紹介し、県外からの問い合わせも多い。

 河野さんは4月、父親の介護のため避難所からみなし仮設のアパートへ。物資配給や医療などの支援情報を得る機会を失い、情報を求めて仕事の合間に避難所や仮設を回った。「同じように孤立している人がいるはず」とブログを思いついた。

 住民でつくる荒浜復興まちづくり実行委員会が地区の全737世帯中507世帯から回答を得たアンケートでは、入居先は仮設が2割、みなし仮設が6割。ブログは好評だが、ネットに縁遠い高齢者もいる。河野さんは「荒浜から遠いマンションに入り、顔なじみがいる仮設になかなか足を運べない高齢者もいる。復興への思いを一つにできる場にしたい」と話す。【堀智行】

 ◇他地域へ移転、募る孤独

 福島県では原発事故のため、住み慣れた土地を離れ、気候風土が異なる地域に建てられた仮設住宅に多くの住民が入居している。同じ自治体内での入居に比べ、不安や孤独感が増す可能性もあり、自治体もコミュニティー維持に腐心している。

 全町避難する大熊町は、21の行政区ごとにまとまって入居する形式にした。だが、沿岸部の大熊町と違って雪が多い会津地方で冬を迎える不安などから、入居のキャンセルが続出。住民が他地方に流れて分散し、コミュニティー維持が懸念される事態になった。

 市内23カ所に仮設住宅を建設した南相馬市は、各仮設住宅に自治会設立を呼びかけた。13自治会が発足し、会長を中心に市への要望や意見をとりまとめたり、持病を抱えた高齢者の薬を手配して被災者の孤立を防ぐ。

 県が16カ所で進める高齢者サポート施設整備も住民交流を促し孤独死を防ぐ取り組みだ。5日に富岡町と川内村の約300世帯が暮らす郡山市の仮設住宅に第1号がオープン。県は支援強化のための連絡会議を設置、対策の検討を始めた。【福永方人、神保圭作】

 ◇「高台」高齢者に厳しく

 内陸部の高台に建つ仮設住宅では、車を運転できない高齢者が「交通弱者」に追い込まれている。

 宮城県塩釜市伊保石(いぼいし)の仮設住宅で避難生活を送る女性(70)の悩みは、約2キロ離れた中心部の病院へ往復で約3000円かかるタクシー代だ。2カ月に1度の障害者年金約10万円のうち、5万円以上を占める。「こんなギリギリの生活が続くのだろうか……」

 36歳の時に遭った交通事故の後遺症に苦しみ通院が欠かせない。震災前に住んでいた同市新富町のアパートは病院も近く、3万5000円の家賃は月約4万円の生活保護と障害者年金で賄えた。だがアパートは被災。中心部で家賃が同程度の物件はなく、仮設住宅に入るしかなかったが、入居に伴い生活保護は打ち切られた。障害者や介護が必要な高齢者向けにタクシー代の一部補助制度があるが、仮設入居だけでは対象にならず、市長寿社会課は「助成拡大は財政的に難しい」。タクシーの領収書を保管する女性は「どうにか補助してほしい」と話す。

 一方、岩手県釜石市は東京大と連携し、高齢者ケアや医療体制を充実させ、商業施設も設置する先進的な仮設住宅を同市平田の平田総合公園に設置した。玄関が全て同じ方向を向いている一般的な仮設住宅と異なり、玄関を向かい合わせにするなどコミュニティーづくりを促す工夫もされている。

 高齢者が入る「ケアゾーン」60戸▽子連れ世帯が入る「子育てゾーン」10戸▽「一般ゾーン」170戸--の大型仮設住宅。中心には高齢者の通所施設があり、民間介護事業者が24時間の見守り態勢をとる。診療所も月内には開設予定だ。

 3人の子供と子育てゾーンに入居した上野里恵さん(30)は「通所施設が始まったら職員として働きたい」と話す。ただ、9月の予定だったスーパーの開店は11月にずれ込んだ。妻と入居した柏木功好(かつよし)さん(68)は「生活にはスーパーが欠かせない。買い物に行く足が無く、車を買った」と少し不満そうだ。

 東大高齢社会総合研究機構の小泉秀樹准教授は「仮設住宅にもある種の『豊かさ』が必要。医・職・住がある『仮設の街』として、まちづくり協議会があるとよい」と自治組織設立を提案。9月中にはブロックごとにリーダーを選ぶという。

 ◇入居率87%--被災42市町村・本紙調査

 岩手、宮城、福島3県の沿岸37市町村と原発事故で避難措置がとられた5市町村の計42自治体に対する毎日新聞の調査では、予定の93%にあたる計4万6627戸の仮設住宅が完成した。ただ、入居戸数は4万467戸で入居率は87%にとどまる。完成率、入居率とも福島県が最も低く、古里から離れた地域での整備や入居の困難さを表している。

 今回の震災では、被災者が入居した民間賃貸住宅の家賃が一定以下の場合、仮設住宅として扱い、行政が費用を負担する制度が実施された。

 42市町村のみなし仮設住宅は計3万9346戸に上る。宮城、福島では「みなし仮設住宅」入居者が、通常の仮設住宅入居者よりも多くなった。

 仮設住宅の設置は原則2年3カ月まで。それまでに自宅再建が難しい被災者のために、恒久的な災害公営住宅(復興住宅)の建設が必要になる。だが、現時点で42市町村で建設の計画があるのは2205戸にとどまっている。【北村和巳】

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 ◇仮設住宅の完成・入居状況と復興住宅の建設予定戸数
       完成戸数  完成率  入居戸数  入居率 みなし仮設入居戸数     復興住宅

 ◇岩手
洋野町       5 100%     5 100%         5        0

久慈市      15 100%    15 100%        69        0

野田村     213 100%   189  89%        84       未定

普代村       0    -     0    -         0        0

田野畑村    182 100%   173  95%        24      100

岩泉町     143 100%   121  85%        17       未定

宮古市    2010 100%  1680  84%        70       未定

山田町    1940 100%  1882  97%       301      120

大槌町    2106 100%  2011  95%       126       未定

釜石市    3164 100%  2693  85%       432       未定

大船渡市   1801 100%  1725  96%       721      270

陸前高田市  2197 100%  2132  97%       無回答      無回答

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小計    13776 100% 12626  92%      1849      490

 ◇宮城
気仙沼市   2776  80%  2574  93%      1412      無回答

南三陸町   2195 100%  2105  96%         0       未定

石巻市    6113  84%  4447  73%      5720      調査中

女川町     959  75%   941  98%       393      調査中

東松島市   1727 100%  1585  92%      1219      800

松島町       0    -     0    -        51        0

塩釜市     206 100%   200  97%       220      300

利府町       0    -     0    -        53 整備基準満たさず

七ケ浜町    421 100%   409  97%       149       未定

多賀城市    373 100%   351  94%      1154       未定

仙台市    1505 100%  1237  82%      8200      600

名取市    1104 100%   969  88%      1037      検討中

岩沼市     384 100%   380  99%       318       未定

亘理町    1126 100%  1072  95%       652        0

山元町    1030 100%  1001  97%       697      調査中

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小計    19919  95% 17271  87%     21275     1700

 ◇福島
新地町     573 100%   573 100%        59       未定

相馬市    1500 100%  1190  79%       275       未定

南相馬市   2000  66%  2000 100%      3618      調査中

浪江町    2847 100%  1950  68%      3269      未精査

双葉町     755 100%   204  27%       無回答        0

大熊町     612  48%   545  89%      2168       未定

富岡町    1248  67%   969  78%      2848       未定

楢葉町     817  68%   767  94%      1377       未定

広野町     375  54%   365  97%       781       15

いわき市    189 100%   152  80%      1267       未定

飯舘村     665 100%   575  86%        未定       未定

川俣町     230 100%   194  84%         0        0

葛尾村     440 100%   405  92%       190        0

田村市     360 100%   360 100%       240        0

川内村     321 100%   321 100%       130        0

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小計    12932  87% 10570  82%     16222       15

合計    46627  93% 40467  87%     39346     2205

 ※みなし仮設住宅は、仮設住宅として行政が借り上げた民間賃貸住宅

平田総合公園仮設住宅内のサポートセンターで開かれた住民同士の交流会=岩手県釜石市平田で2011年8月27日

毎日新聞 2011年9月11日 東京朝刊


大震災半年:被災者追跡調査 不安消える日、いつ

2011年09月12日 01時01分10秒 | 障害者の自立
 大切な人の命を奪い、家や財産を流し去った東日本大震災から半年。毎日新聞の被災者追跡調査からは、いまだに将来の生活が見通せない中、何とか前を向いて立ち上がろうと奮闘する被災者たちの姿が浮かぶ。一方、時間の経過とともに「世の中の関心が薄まっているのでは」「忘れられていくのではないか」という強い不安感も伝わってくる。(回答者数は1カ月100人、2カ月88人、3カ月86人、今回73人。%は合計が100にならない場合がある)

 ◆日々の暮らしは--

 ◇PTSD、原因不明の発疹…

 6カ月が経過し、被災者はどのような精神状態にあるのか。落ち着きを取り戻した面もある一方で、心身の不調を訴える声は多い。

 仙台市の警備員の男性(71)は、震災発生時にいた自宅マンション(7階)に戻る気になれず、今も駐車場に止めた車の中で寝泊まりしている。医師からは心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。「手足を伸ばして寝たい。私のようにPTSDに悩む人はたくさんいるのでは」と話す。

 岩手県大槌町の主婦、三浦加奈子さん(50)は町外で車を走らせている時、涙が出ることがある。「みんなが普通に生活しているのを見ると、大槌は何もなくなってしまったんだと悲しくなる」

 一方、津波で家族を亡くし、「死にたい」という気持ちにさいなまれていたという同県陸前高田市の無職、菅野昇さん(53)は明るさを取り戻した。「仮設住宅に入ってから、やりたいことを整理するのが大変。好きな歌をインターネットで聴くためにパソコンを買おうと思っている」。今は週に1~2回、タクシーで街に買い物に行くのが楽しみだという。

 余震や津波、原発事故の再発について尋ねたところ、4人に3人が「かなり不安」「ある程度不安」と答えた。半壊した自宅を修繕して暮らす宮城県気仙沼市の無職、村上文子さん(77)が今一番欲しい物は「海岸の防波堤」。「大きい余震が来ると聞いているので、安心できない。せっかく直した家がまた被害を受けるのではないか」と不安を募らせる。

 一方、訪れの早い東北の冬の寒さを心配する声も上がった。同県名取市の販売業、大友真さん(25)は「冬に向けてストーブやこたつが欲しい」と訴えた。

 ◆生活資金は--

 ◇4人に1人、休・失業中

 約6割は、本人か家族が仕事を再開している。当面の生活資金が「十分ある」「ある程度ある」と答えた人は3カ月時点での約6割から7割に増えた。しかし、事業を再開したり、転職したりしても、経済的な不安を訴える被災者は多い。

 岩手県山田町の福士恵二さん(37)は、震災後に病院職員として働き始めたが、月収は10万円程度。生活資金は足りず、「先が見えない。3歳の息子の将来も心配だ」と述べた。石井栄作さん(65)は、原発事故の緊急時避難準備区域となっている福島県広野町でLPガス販売業を再開したが、売り上げは以前の5分の1に落ち込んでいる。「生計が成り立つかどうかは五分五分。町に一人でも多く帰って来ればいい」と語った。

 一方、4人に1人が今も休業・失業中という現実もある。同県南相馬市の鈴木初夫さん(49)は、がれき撤去のアルバイトの契約があと1カ月で切れる。その後の仕事は決まっておらず「長く勤められる仕事が欲しい」と訴える。

 就職活動中の学生にとっても事態は深刻だ。岩手県滝沢村に下宿中の大学4年生、田中大資さん(22)は地元の大船渡市での就職を希望するが「うまくいかない」と言う。「業種を問うつもりはないが、震災で企業自体がなくなってしまい、求人が少ない」と行政に就労支援を求める。

 宮城県山元町の仮設住宅で1人暮らしをする無職、会田正始さん(64)は住宅ローン300万円が残っており、銀行からの催告も来たという。「この年齢では就職もままならず、年金だけではこの先どうなってしまうのか不安だ。ローンを数年猶予するなどの措置を講じてほしい」と、国に注文を付けた。

 ◆住まいの状況は--

 ◇自宅再建・修繕「めど立たず」4割強

 大半の人が既に仮設住宅や賃貸住宅などに移り、今も避難所に残るのは3人だけ。うち2人は避難所扱いのホテルでの生活だ。福島県双葉町から避難し、埼玉県加須市の元高校の教室で暮らすハローワーク相談員、相楽比呂紀さん(43)は「13人の相部屋で雑魚寝状態が続いており、我慢の限界」と訴えた。

 配送業の藤岡茂さん(41)は平日、福島県南相馬市の自宅で両親と生活する。原発事故を考慮し、妻と娘は相馬市の賃貸住宅に避難させており、週末だけ共に過ごす。「家族で一緒に暮らしたい」との思いは切実だ。

 仮設住宅に入った人たちも、それぞれに不安を抱えている。妻と娘と6月から岩手県陸前高田市の仮設住宅に入った会社員、山口宏さん(45)は「自分たちの暮らしは戻ったが、2~3年後に出ることを考えると、早く家を手に入れたい。しかし、被災した家のローンが残っており、どうすればいいか分からない」と悩む。自宅の再建や修繕の見通しが「立っていない」と回答した人は、全体の4割強(31人)を占めている。

 住んでいた地域に「必ず戻りたい」と答えた人も4割強(32人)で、3カ月時点とほぼ同じ割合。しかし、発生1、2カ月の時点でそう答えた人は半数を超えていた。「街や産業が復興すれば戻りたい」と答えた人は3割強(25人)で、“現実派”が増加傾向にある。

 仙台市若林区の仮設住宅に住む仙台東土地改良区理事長、佐藤稔さん(62)は「先祖から何代も住んできた土地に戻りたいが、行政が住めるかどうかの判断を示しておらず、見通しが立たない」と戸惑いを見せた。一方、岩手県大船渡市から同県一関市に移った派遣社員の葉沢ちえ子さん(54)は「津波が来た所は嫌だ。あんな怖い思いはしたくない」と語った。

 ◆地域環境は--

 ◇仮設以外の居住者「知己いない」6割超

 震災発生以前に近所づきあいをしていた人が今も近くにいるか尋ねたところ、仮設入居者は6割超(38人中24人)が「かなりいる」「ある程度いる」と回答したのに対し、賃貸など仮設以外で暮らす人は「あまりいない」「全くいない」が6割超(35人中22人)を占めた。仮設の入居には、従来の地域コミュニティーに配慮した自治体が少なくないためとみられる。

 また、親族以外で気軽に話せる人がいるかを尋ねたところ、仮設入居者の8割近く(30人)が「かなりいる」「ある程度いる」と回答したのに対し、仮設以外では6割(21人)にとどまった。住み慣れた土地を離れ、孤立感を強める被災者のケアも課題となる。

 住宅地の高台移転は8割近くが賛成した。岩手県大船渡市の無職、山口茂さん(63)は「たとえ集落が別々になっても、人や家が流されるよりはいい」と主張する。

 同市の無職、斎藤満さん(68)も同じ意見だ。「元の場所に住みたい気持ちも理解できるが、これだけ多くの被害を出したことを思うと、同じてつを踏むわけにはいかない。子孫の命を守ることにもつながる」

 ただ、大規模な土地造成が必要となる高台移転を巡っては、肝心の事業費について、国がどこまで財政支援するかはっきりしておらず、多くの自治体は明確な方針を打ち出せずにいる。斎藤さんは「行政による復興計画が進まないことには、私たちも次の一歩を踏み出せない。何もかもが元通りになるとは思わない。取捨選択し、優先順位を決めて迅速に取り組んでほしい」と先行きを見守る。

 同県山田町の漁師、佐藤勇さん(62)は「高台移転には金がかかり過ぎる。町や国にその財力はあるのか。復興を急がなければ、住民は外に出て行ってしまう」と指摘した。

 ◆行政への評価は--

 ◇要望最多は住宅建設

 行政の震災対応や復興対策をどう見ているか5段階(5が最高)で評価してもらった。平均点は政府が2・38点(3カ月時点は2・2点)、県と市町村がともに2・86点(3カ月時点はそれぞれ2・83点、2・6点)。いずれも前回よりはやや改善したが、依然として低い水準にある。

 「復興計画に被災者の声が生かされていない」と指摘するのは宮城県女川町の会社員、遠藤忠志さん(53)。「被災した人と、していない人の間に温度差が出てきている」と感じ、政府に「2」、県に「4」、町に「1」の評価をつけた。

 政府の評価を「2」とした同県塩釜市の無職、宍戸好男さん(66)は「政治家は権力争いに終始し、被災地や復興について何も考えていない。政治から見放されたような気持ちだ」と憤る。岩手県釜石市の漁業、松本忠美さん(64)は「我々も行政に任せるだけでなく、観光などの振興策を自発的に考えるつもりだ」としながら、「足がかりを得るためにも、現段階の国の構想を早く見せてほしい」と注文した。

 福島県広野町から同県いわき市に避難している無職、高木幸一さん(61)は町の評価を「2」とし、「今のままだと広野町がなくなってしまう。子供たちが戻ってくるかどうかも分からない。町のビジョンが見えない」と不安を募らせる。

 政府や行政に最も望むことで最多だったのは、3カ月の時点と同じく「住宅建設」で25人。岩手県宮古市の無職、大沢恵美子さん(62)は「持ち家がないと最終的には安心できない」と語る。「情報提供」を求める人が増加傾向にあり、今回は2位の11人(15%)だった。宮城県多賀城市の賃貸住宅で暮らす無職、藤原泰幸さん(29)は「正確な情報が欲しい。避難所にいた時も、自分がどんな支援を受けられるのか、何か補償の対象になるのか分からなかった」と話した。

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 ◇一番欲しいもの「船」 「早く漁がしたい」--岩手県大槌町の漁師、沢舘正美さん

 「漁師は陸(おか)さ上がったら何もできねえもの」。岩手県大槌町の漁師、沢舘正美さん(62)の口癖だ。震災以降、ひたすら海に出ることを考えている。半年たった今も船は手に入らず、生活のめどは立たない。

 震災1カ月のアンケートから「船を手に入れて漁をしたい」と回答していた。オキアミやウニ、アワビ取りのための「八千代丸」4隻は津波で全壊。町じゅう歩いて捜し回った末、ひっくり返ってボロボロになった船体を見つけた時は動けなくなり、涙が出た。家が流されたことよりショックだった。

 漁師歴48年。5年前、東京で美容師をしていた長男(29)が戻り「後を継ぐ」と言ってくれた。孫娘にも囲まれた穏やかな暮らしが、津波で一変した。

 2カ月時点のアンケートでも「とにかく海での仕事がしたい」と答えた。避難所生活をしていたが、壊れた自分の船を毎日のように見に行った。だが借金して新しい船を買うことを考えると「返済できるのか」。強い不安に襲われた。避難所の責任者も任され、じんましんが体中に出た。

 6月から、がれき撤去や壊れた漁具の分別作業で日当をもらってきた。仲間と顔を合わせると気は紛れる。漁協を通じ船を注文した。ただ造船所も被災し、いつ手に入るか分からない。7月に妻真理子さん(63)と仮設住宅へ移ったが、長男一家は海から遠い盛岡市に引っ越した。

 唯一の収入源だったがれきの作業は今月9日に打ち切られた。アワビ漁の解禁は11月に迫る。半年後のアンケートでも「一番欲しいもの」という問いに「船」と答えた。

 「お金そのものがほしいとは思わない。安くてもいいから、仕事があればそれで稼ぎたい。漁ができる環境を早く整えてほしい」

 ◇畑に先月下旬種まき 「まずは第1段階」--仙台市若林区の農業、阿部徳志さん

 「まずは第1段階クリア。ちゃんと育つか分からないけど、まずはよかった」。仙台市若林区の農業、阿部徳志さん(51)は9月初旬、自宅裏の畑で芽を吹いたほうれん草を見て胸をなで下ろした。

 阿部さんは母親(78)と2人暮らし。震災の3日前に父親が急死し、葬儀の準備中に津波に襲われた。自宅1階が浸水したため、近くの小学校で避難生活を送ってきた。

 4月中旬に自宅へ戻り、ボランティアの助けも借りて自宅にたまった泥をかき出し、床板を張り替えるなど修繕を進めてきた。古タイヤや自動車などが散乱していた畑も、がれきの撤去を終えた8月上旬から耕し始めた。月末にようやく、ほうれん草の種をまくことができた。

 だが、再開できたのは、自宅裏の一部の畑にとどまる。すぐ隣の約1ヘクタールの水田は今も、津波で流されてきたプレハブ小屋や流木などが散乱したまま。市に相談すると、市が撤去するには所有者の許可が必要だと言われ、そうでなければ「自費で」と言われた。そんな費用はない。「来年も稲作を再開するのは難しいかも」とため息をつく。農作業小屋も割れたガラスの片付けさえ済んでいない。

 元々は建築会社で事務職をしていたこともあり、同種の仕事を探しているが、年齢がネックとなり働き口はなかなか見つからないという。貯蓄を取り崩しながらの生活が続いている。

 仙台市は若林区などの被害が大きかった沿岸地域に再び住むことができるか検討を進めているが、方針がまだ示されていないことも不安要素の一つだ。

 阿部さんは「自宅の修繕がほぼ済んだところで、やっぱり住めないと言われたら、どうしようもない。義援金の2回目の支給など、経済的な援助が今一番欲しい」と訴えた。

 ◇慣れぬ山の生活で血圧、血糖値が急上昇--福島県浪江町から避難、本田彰三郎さん

 本田彰三郎さん(64)の地元、福島県浪江町中浜では毎年、夏から秋にかけて漁港にサンマが揚がる。「こっちのサンマは腹が弱くていけないね」。地元では魚の鮮度は腹の硬さで判断する。仮設住宅がある約60キロ内陸の二本松市中ノ目で、旬の味を求めて買ったサンマは、「本当の味」ではなかったという。

 自宅は津波で全壊。群馬県東吾妻町と福島市・鷲倉温泉での避難所生活で食習慣が乱れ、強いストレスを感じた。そのせいか、血圧と血糖値が半年間で急激に上がった。眠りも浅く、小さな余震でもすぐ目が覚める。睡眠導入剤を服用しないと眠れない夜もある。

 仮設住宅には8月7日に移転してきた。地元の住民がまとまっていることもあり、寂しさはあまり感じない。2Kの部屋に妻の玉恵さん(64)と2人。年金で当面の生活費は用意できるが、慣れ親しんだ潮風のにおいがしない山の生活に順応できるか不安が募る。仮設住宅には、浪江町が発信する生活や復興に関する情報がほとんど寄せられず、疎外感も抱いている。

 一番の願いは「古里に戻って普通の生活をする」。震災前まで勤めていた警備会社が再開すれば、生活に張りも出て、体調も戻るのではと考えている。

 全てを奪った原発事故には憤りを感じる。一方で、県や町が原発で潤っていた側面もあり、東京電力と自治体は運命共同体だとも思う。「東電に責任を押しつけるのではなく、一体となって除染を進めるべきだ」。そうしなければ、復興は難しいと想像する。

 仮設住宅の入居期間は2年と聞かされた。「自宅は再建できるのか」「線量が高くて戻れない場合は代替地が確保されるのか」。時の経過とともに、悩みが増す。

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 この特集は、安藤いく子、浅野孝仁、市川明代、神足俊輔、池田知広、沢田勇、町田結子、吉村周平、豊田将志、酒井祥宏、佐藤心哉、平川哲也、津久井達、堀智行、百武信幸、林奈緒美、垂水友里香、喜屋武真之介、小林洋子、春増翔太、前田洋平、三村泰揮、杉本修作、篠原成行、銭場裕司、福永方人、浅野翔太郎、神保圭作、高橋直純、鈴木泰広、柴田光二、鳥井真平、角田直哉、北村和巳、加藤隆寛、合田月美、長野宏美、喜浦遊が担当しました。(グラフィック 勝又雄三、編集・レイアウト 深町郁子)

毎日新聞 2011年9月11日 東京朝刊


米同時多発テロ:「奇跡の生還」の盲人男性 挑戦続けた半生、本に

2011年09月12日 00時58分12秒 | 障害者の自立
 ◇邦訳版出版者「助け合う大切さ、学んで」

 米同時多発テロで旅客機が突入した世界貿易センタービル(WTC)の78階から、盲導犬と脱出した全盲のマイケル・ヒングソンさん(61)の著書「サンダードッグ」が、テロから10年を機に出版された。邦訳版を今月刊行したのは、小児まひの後遺症を持ち燦葉(さんよう)出版社を経営する白井隆之さん(64)。「信頼し助け合う大切さが伝わってくる。大震災のあった今こそ読まれるべきだ」と確信している。

 ヒングソンさんはセールスマネジャーとして勤務していたオフィスでテロに遭遇。航空機の燃料の臭いが立ち込める中、盲導犬ロゼールに導かれ1463段を冷静に下りきった。倒壊し始めたビルから危機一髪で逃れ、大きな話題となった。

 最近は講演活動に力を入れ、「世界中の誰もが一つのチームとして協力する」大切さを訴えていることが、昨年9月の本紙で紹介された。障害を抱え生きる人々に光を当ててきた白井さんは、「強烈な実感を伴った生きる喜びを学べるに違いない」と直感。来日講演を打診し、本の邦訳出版も申し出た。

 電子メールのやり取りから、白井さんはヒングソンさんと共通点が多くあることに気付いた。未熟児で生まれ、小児まひで生死をさまよい後遺症が残ったこと。普通校に通い、差別に遭いながらも会社を起こすなど挑戦を続けてきたこと……。

 ヒングソンさんも未熟児で生まれた。保育器の過剰酸素の影響で失明したが、普通校に通い自転車も乗り回した。盲導犬と暮らす女性教師と出会い、「障害があっても働ける」と気づいてさらに積極的になった。14歳で盲導犬を与えられ大学院まで進学する中で、困難に遭っても道を切り開くすべを身に着けてきた。

 本では、WTCの階段を下りながら頭を駆けめぐったという半生がつづられている。「彼はたまたま助かったのではなく、それまでの生き方が奇跡の生還を可能にした」と白井さんは言う。

 ヒングソンさんによると「サンダードッグ」は、雷(サンダー)の嫌いなロゼールが、雷が落ちるような音の響くビルで誘導してくれたことからつけたという。ロゼールは今年6月、13歳で天国へ旅立った。本の売り上げの一部は視覚障害者を支援する「ロゼールドリーム基金」に寄付される。ヒングソンさんは来年5月に来日し、各地で講演する予定だ。


「サンダードッグ」の邦訳版を手にする燦葉出版社の白井隆之さん

毎日新聞 2011年9月11日 東京朝刊