猫じじいのブログ

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企画展「表現の不自由展・その後」中止とツイッターのデマ

2019-08-03 22:02:09 | 自由を考える

現代アートの国際祭「あいちトリエンナーレ2019」実行委員会は、8月3日、その企画展の1つ「表現の不自由展・その後」の中止を決めた。

この企画展は、日本の公立美術館で、一度は展示されたもののその後撤去された、あるいは展示を拒否された作品の現物を展示したものだ。撤去・拒否の経緯にも思いを馳せ、「表現の自由」の議論のきっかけにして欲しいとのことだった。

7月31日のツイッターに「安倍首相と菅官房長官を模した人物がハイヒールで踏まれている」ニセの展示作品が載って以来、テロ予告や脅迫とも取れるような電話が事務局へ殺到し、また、電話に応対した職員個人を攻撃するものもあったという。このような作品が、現在も過去も「あいちトリエンナーレ」に展示されたことはない。完全なデマである。

企画展は8月1日に始まったばかりだから、幸運にも見ることができたのは、2日間の入場者だけだ。とても残念なことである。

どのようなものが展示されたのか、すべての作品と解説については下記サイトで閲覧できる。
 https://censorship.social/

例えば、つぎのような解説が画像とともにサイトで見ることができる。

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 大浦信行
 遠近を抱えて(4点組)
1982〜83 年

1947年富山県(日本)生まれ
川崎市(日本)拠点

本作は1975年から10年間ニューヨーク滞在中に制作され、1986年、富山県立近代美術館主催「86富山の美術」で展示される。1993年、大浦は制作の意図を次のように語った。

「自分から外へ外へ拡散していく自分自身の肖像だろうと思うイマジネーションと、中へ中へと非常に収斂していく求心的な天皇の空洞の部分、そういう天皇と拡散していくイマジネーションとしての自分、求心的な収斂していく天皇のイマジネーション、つくり上げられたイマジネーションとしての天皇と拡散する自分との二つの攻めぎあいの葛藤の中に、一つの空間ができ上がるのではないかと思ったわけです。それをそのまま提出することで、画面の中に自分らしきものが表われるのではないかと思ったのです。」(大浦信行「自分自身の肖像画として―作家の立場から」、1993年6月6日、富山近代美術館問題を考えるシンポジウム)

本作は展覧会終了後、県議会で「不快」などと批判され、地元新聞も「天皇ちゃかし、不快」などと報道し、右翼団体の抗議もあり、図録とともに非公開となる。93年、美術館は作品売却、図録470冊全て焼却する。その後、6年越しで争った作品公開と図録再版の裁判も敗訴する。2009年沖縄県立博物館・美術館「アトミックサンシャインin沖縄」でも展示を拒否されている。

事件後、大浦は映像作品のなかで「遠近を抱えて」の図像を繰り返し用いる。本展覧会を契機に制作された『遠近を抱えてPartII』においては、作品を燃やすシーンが戦争の記憶にまつわる物語のなかに挿入され、観る者に「遠近を抱える」ことの意味をあらためて問うものになっている。(小倉利丸)

主な発表作品
1997第2回エジプト国際版画トリエンナーレ展(エジプト)
1993マストリッツ国際グラフィックビエンナーレ展(オランダ)
1989バルナ国際版画ビエンナーレ展(ブルガリア)
1985第16リュブリアナ国際版画ビエンナーレ展(スロベニア)
1987第7回クラコウ国際版画ビエンナーレ展(ポーランド)

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池田信夫は、検閲があったわけではないから、「慰安婦像は『表現の自由』の問題ではない」と言うが、展示に対しての撤去強迫行為があったのだから、表現の自由の侵害である。

表現の自由とは、政治的意見を述べる自由である。その自由を侵害するのは政府とは限らない。多数派であろうとも、少数派が意見を述べる機会を奪ってはいけないのである。

池田は、韓国の利益になるから「公費で」慰安婦像を展示していけないと言う。

しかし、「韓国の利益」という考えは「国家主義的」思いからでる言葉であって、そういう考えをとらない立場からみれば、4年前の8月に安倍晋三が「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」と言ったのだから、当然、公費で展示すべきとなる。

公費を使うから「国益」に反するものを展示するな、と言えば、ほとんどの美術館でも展示できなくなる。なぜなら、ほとんどの美術館は、なんらかの公費の補助を受け取っているからだ。

この企画展自体が、「日本の公立美術館で、一度は展示されたもののその後撤去された、あるいは展示を拒否された」ことを不当だと、訴えるものである。そして、拒否や撤去の理由は、池田信夫のような右翼による「日本の公立美術館」への圧力なのである。