猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

記憶の連続性によって自己がある

2019-08-27 21:34:47 | 脳とニューロンとコンピュータ

今年の1月、突然、私の妻が記憶を失い、また、記憶ができなくなった。小説に出てくる記憶喪失と違い、古い記憶はあり、私や下の息子を認知できた。

しかし、自分が朝から何をやっていたかの記憶がない。そして、新しい記憶を作ることができない。妻は、「きょうは何曜日」を繰り返すのだ。「火曜日」と言っても、覚えることができず、同じ質問を繰り返すのである。

そして、記憶がないということが、本人にとって、とても不安なのである。だから、「何日」「朝から寝ているの」「朝は食べたの」「昼は食べたの」「わたしは何をしていたの」「父さん(私のこと)はどこにいたの」と繰り返し問うのである。

記憶の喪失は当日だけでなく、昨年の10月に上の息子に孫が生まれたこと、孫の名前も忘れているのである。妻のアイフォンに送られてきた赤ちゃんの写真を見ても、知らないと言うのである。いつもは、妻は私にその写真を見ろ、見ろと言っていたのに。

しかし、昔の記憶はある。私や下の息子を認識できる。救急隊員に自分の名前、生年月日、既往症を言える。「右の乳房がガンになった」「切除したのは乳房ではなく乳房の一部」と言えと、私の応答をも訂正する。救急車で行った脳外科病院でも私にあれこれ指示するのである。

当日はNPOの研修が朝にあったので、私は出かけていた。そして、引きこもっている下の息子が朝から妻を責めていた。下の息子にすれば、自分のトラウマ、高校で暴力を受けていたことを信じてもらおうと話していただけなのだが。

お昼過ぎに妻は突然奇声を発し、「何曜日」「何日」などしか言わなくなった。他人と話すことが怖い下の息子は、勇気をふるって、妻のために救急車を呼んだのである。私は、救急車の着く直前に自宅に戻った。

MRI検査、CTスキャンでは異常が見出されなかったので、妻を連れて自宅に戻った。その日は、ずっと「何曜日」「何日」「朝から寝ているの」「父さんはどこにいたの」「わたしはどこにいったの」を繰りかえしていた。

幸いに、翌日から記憶がじょじょに戻った。新しいことが記憶できるようにもなった。しかし、前日に起きたことは全く思い出せない。救急車に乗ったこと、脳外科病院に行ったこと、私に指示していたことなど、まったく覚えていない。

人間は、記憶し、記憶を再生することで、「自己」がある。「自己」をうしなうことは、人間にとって、とても居心地の悪いこと、空中にバランスを失って浮いているようなことなのだ。