猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

トランプを支持したのは権威主義者と書く豊永郁子

2019-08-22 21:57:58 | 経済と政治


きょうの朝日新聞の《政治季評》に、豊永郁子が『トランプ氏を支持したのは「違い」を嫌う権威主義者』と書いていた。私は、意味がわからないし、本当かなと思った。

意味がわからないというのは、社会学者アドルノや政治心理学者ステナーの言う「権威主義者」とは何か、私は知らないからだ。どうも特定の政治的イデオロギーを持つものを指すのではなく、心理学的な用語、パーソナリティの1つのように見える。

豊永が「トランプ氏を支持したのは権威主義者」という意見に飛びついたのは、「2016年大統領選挙でのトランプ氏の勝利は、当初、経済的格差や貧困に関連づけて理解され、グローバル化の敗者である貧しい労働者階級の白人有権者がトランプ氏を支持したという物語」への疑いからである。

「トランプ氏に票を投じた個人についての調査」の結果、「所得も階級もトランプ票には関係しない」ということがわかったという。トランプ支持層の共通点は心理的傾向が「権威主義」であるという。

私の記憶では、「所得も階級も学歴も関係ない」は、2015年の予備選のときから、トランプ支持層に言われていたことである。問題は、これまで民主党の基盤であった労働組合が草の根のレベルの動きをしなかったことと思っている。バーニー・サンダースを支持した若者たちもヒラリー・クリントンのために動かなかった。ヒラリーが「映画の中の英国女王」のような髪型・服装・化粧をしてテレビにあらわれたとき、私は彼女をバカかと思った。

豊永によれば、「権威主義者」は「〈一つであること、同じであること〉を求める。〈違い〉を嫌い、多様性が苦手だ。強制的手段を用いてでも規律を全体に行き渡らせてくれる強いリーダーを好む」だそうだ。

さらに、「子供には〈行儀の良さ〉と〈思いやり〉のどちらが重要かという質問に、前者と答えるのが権威主義者だ。〈行儀の良さ〉を重視する人々の間では、どの所得層でも一様にトランプ票が多い」という。

ここで、本当かな、と思う。

私の印象では「権威主義者」のアメリカ人は、大統領選の勝敗を決定するほど、いるように思えない。ピューリタンのような「権威主義者」はアメリカにそんなにいるように思えない。普通のアメリカ人は もっと ざっくばらんである。「なんとかなる」という意味で、“Another day, another dollar”と、私もよく、向こうで声をかけられた。

コツコツ貯金して交通規則を守るのは異常者だ。普通は、政治家のいうことより、自分の目で見たことを信頼し、ルールは破るものだ。

たまたま、この調査担当者が「権威主義的コミュニティ」に育ったから、偏った結論に至ったのではないか、と思う。

アメリカ社会の抱えている問題と日本社会の抱えている問題と大きな違いはない。権威主義的な人は確かにいるが、少数派だと思う。「本音」と「建て前」という考え方のほうが適切ではないか。別な言い方をすれば、「情動」と「理性」となる。「きれいごと」より「怒りのことば」を吐く者のほうが、人は信頼する。

この問題は、「大義に殉じろ」「享楽はだめだ」という安倍晋三を支持する人々がなぜいるのか、それなのに彼の周りにはなぜ不正にかかわるものが多いのか、に通じるのではないか。安倍を支持する理由は、単に、安倍についていけば得する、ということにすぎない。

日本のことわざに「勝てば官軍、負ければ賊軍」「よらば大樹の陰」「勝ち馬に乗る」「長い物には巻かれろ」「尾を振る犬は叩かれず」というではないか。ハンナ・アーレントの言うように、普通の人間は小心で利己的である。だから、問題なのだ。

【補遺】
思うに、心理学的傾向をもって、政治的立場を批判するのは単なる「悪口」だと思う。心理学的傾向は個性であり、それは敬意をもって接するべきで、個人の政治的立場の批判は外的に現われる社会的行動をもってすべきではないか。

アメリカ精神医学会の診断マニュアルDMS-5を見てみたが、権威主義的パーソナリティ障害はなく、しいて言えば、強迫性パーソナリティ障害(Obsessive-compulsive personality disorder)が権威主義的パーソナリティに近い。