猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

戦争への反省にも色々な立場がある

2019-08-04 22:15:48 | 戦争を考える


つぎは、4年前に、「戦後70年を向かえて」の安倍晋三の談話を読んで、私が書いたものである。
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戦争の現実は悲惨である。しかし、日本の戦争の反省にも色々な立場があるらしい。

(1) 日本が戦争に勝てなかったということ、
(2) 日本が勝てない無謀な戦争をしたこと、
(3) 日本が自国の利益のために戦争をしたこと、
(4) 条件抜きに、日本が戦争したこと、
などなどである。

8月15日の朝日新聞夕刊に、A級戦犯の東条英機のひ孫のコメントがのっていた。曽祖父に「敗戦の責任」はあるが、戦争自体については「欧米と日本のやったこととは何が違うのか」と言う。反省 (1) の立場である。勝てなくて残念と言っているだけだ。

8月14日の談話の中で、岸信介の孫の安倍晋三は、「日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました」という。反省 (2) の立場に近い。しかし、戦争に追い込まれたとしか言っていず、国民にむかって謝ってはいない。追い込むやつが悪いと暗に言っている。祖父の岸信介を擁護している。

安倍晋三は、反省がなく、唐突に、「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」とだけ言う。
この部分は、自衛隊の軍備を強化することや、「集団自衛権」を押し出す新安保法制と、矛盾するのではないか。

安倍晋三の談話は、彼が、東京オリンピックを招へいするために、福島原発の汚染水は完全にコントロールされている、と言ったのと相通じる、ウソの大見えにすぎない。後で言葉の解釈を変えれば、どうでも、言い逃れができる、と思っているのだ。

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日本国憲法第9条では、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあるので、自衛隊と憲法9条の両方を支持する人は、反省 (3) の立場と思われる。

しかし、どこまでが正当な自衛と言えるのだろうか。また、国連の平和維持軍なら、自衛隊を派遣して、人を殺しても良いのだろうか。

条件抜きの「汝、人を殺すなかれ」は、反省 (4) の立場である。トルストイは、「汝、人を殺すなかれ」の立場から日露戦争に反対していた。内村鑑三も遅れて、この立場にたつ。そうなら、自衛隊はいらない。

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安倍晋三は、8月14日の談話の中で、
「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」
と言う。誤解を招く表現を安倍晋三はあえてしている。

日露戦争が「多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけ」たのは、弱いと思われた日本が強いと思われていたロシアに勝ったことだけで、日本が植民地主義に反対して他国のために戦ったことはない。じつは、1923年までは、日英同盟で日本の独立が守れてきたのである。日露戦争での日本側の資金調達で、フランスのロシア支援の抑止で、戦争終結の交渉で、英国に助けられている。英国のおかげである。

日露戦争は1904年から1905年にかけてである。それに先立ち、日本は、日清戦争に勝利し1895年に台湾を領土として獲得している。また、日清戦争と日露戦争の結果、清国やロシアの後ろ盾を失った韓国を1910年に日本は領土に併合する。したがって、日露戦争は、植民地主義に戦ったものではない。

日本は、ロシア革命の混乱に乗じて、1918年、シベリアに出兵している。これを伏線として、1932年に中国東北部を「満州国」と称して植民地化した。

1941年の対米開戦は、中国東北部の利権を放棄しないと「経済封鎖」するという米国の脅し、すなわち、経済的脅しに対して、日本が武力の行使、真珠湾奇襲攻撃で回答したものである。これが、安倍晋三の談話の「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決」の実態である。

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安倍晋三のような歴史の書き換えが起きるのは、日本人の心の中に、欧米諸国に対する「劣等感」が、他のアジア諸国に対する「優越感」がひそんでいるから、と私は思う。安倍晋三の談話は、国民の劣等感や優越感の情動に訴えようとするものであり、理性的な目でとらえるなら、論理矛盾と破綻に満ちたものである。

日韓問題はすべて安倍晋三のナショナリズムが悪い

2019-08-04 20:48:20 | 日韓関係


ナショナリズムは、人間から考えることを奪うから、私は嫌いである。

人間は自分に誇りをもつべきである。自分に誇りをもてず、帰属先に誇りをもつとは、異常なことである。帰属先が出身大学であれば、学閥主義になる。帰属先が人種であれば、レイシストになる。帰属先に誇りをもつことは、レッテルで人間を評価し、差別主義者になり、権力者に容易に操作される人間になる。

私は、2001年9月11日ワールドトレードセンター襲撃事件の直後に、ニューヨークの街頭に星条旗を振る若者が繰り出したことを忘れられない。移民の国であるアメリカが、偏狭なナショナリズムの熱狂に侵され、ジョージ・ブッシュが大統領に再選され、アフガニスタン侵攻、イラク侵攻で、中東に混乱を引き起こした。

私の愛すべき多様性の国アメリカが、ナショナリズムによって壊れたままで、アメリカ・ファーストのトランプの暴走を許している。

ナショナリズムがゆがんだ地球を生む。

私が生まれた国、日本は、憲法によってナショナリズムを封じ込めたはずだった。ところが、憲法には、いろいろな穴があって、ナショナリズムが復活している。天皇制を廃止すべきだった。岸信介を許すべきでなかった。義務とか責任は、自由を否定する概念で憲法で使うべき用語ではない。

道徳教育を小学校、中学校に導入し、父母への愛は郷土への愛と同じく、郷土への愛は国への愛だと教え始めた。監督のバンド命令に従わず、二塁打を打った子供を、約束に背いた悪い子だと教えている。愛とは対等な関係であるのに、一方的に尽くすことが求められている。

そして、日の丸を振らず、君が代を歌わない教師を解雇する社会になっている。

現在の日韓関係の混乱は、「国に誇りをもとう」と言う安倍晋三を総理大臣に選んだことによって、ひどくなった。安倍晋三の思想に韓国が反発したという意味ではない。安倍晋三が、強い日本を装うために、トランプ接待外交を隠すために、わざわざ、韓国をいじめているのだ。

彼の『新しい国へ――美しい国へ完全版』を読んでも、国のどこに誇りをもつのか、さっぱり、わからない。ただ、日の丸と君が代に涙することをたたえているにすぎない。情動に流されよ、と言っているのにすぎない。

4年前の戦後70年談話で安倍晋三が「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」と言いながら、韓国政府に「慰安婦像」の撤去を求める。戦前の日本政府がおこなった誤りを日本政府が忘れないために、「慰安婦像」が日本大使館を見つめることは、必要なことだ。

元徴用工問題だって、戦争中の日本企業が、併合した韓国からの徴用工に、労働の正当な対価を支払ったのか、強制労働はなかったのか、休憩時間を適切に与えていたのか、などの事実と損害賠償額が、韓国の裁判所で争われたことである。

韓国の最高裁まで争って、昨年、日本企業が負けて、ひとりあたり、およそ1000万円の支払いが命じられた。だったら、日本企業は賠償金を払えば良いだけの問題である。

ところが、日本企業は、1965年の国交正常化の際に締結された日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決された」という立場で、裁判を争った。これは、個人と企業の問題を国家間の問題に格上げしたことで、「自由と民主儀」のもとに育った私としては、理解できない。大間違いである。

安倍政権が、日本企業の弁護方針に圧力をかけて、わざわざ、日本企業が裁判に負けるよう、画策したのではないか。

そして、トランプにバカにされ、プーチンにバカにされた安倍晋三は、7月1日に経済戦争を韓国に仕掛け、8月1日にその戦線を拡大した。韓国を「ホワイト国」から外すという暴挙に出た。

経済は国境を越えて、国民と国民を結びつけるものである。それなのに、「国を誇る」というおかしな考えに染まった安倍晋三は、経済という絆をみずから断ち切ろうとしている。世耕も麻生も河野もバカだ。公明党はなぜ反対しないのか。

日本人の多くも、ナショナリズムに脳が侵され、トランプ政権と闘えない弱虫の自分を、韓国国民をいじめることで鬱憤をはらしているのではないか、と思わざるを得ない。とても愚かしいことである。