猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

「自由」についての読書ガイド、ホッブズ、ミル、フロム、ラッセル

2019-08-14 23:14:58 | 自由を考える
「自由」とは何かを考えるうえで、トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』、ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』、エリック・フロムの『自由からの逃走』、バートランド・ラッセルの『西洋史哲学』が私の助けになった。

ほかにもあるだろうが、この4書は、原著(英語)が無料でインターネット上からダウンロードできる利点がある。

『リヴァイアサン』は“Leviathan Thomas Hobbes”で、『自由論』は“On Liberty John Stuart Mill”で、『自由からの逃走』は“Escape from Freedom Erich Fromm”で、『西洋哲学史』は“A History of Western Philosophy Bertrand Russell”で検索すれば見つかる。

トマス・ホッブズは16世紀から17世紀にかけて活動した王党派の人であるが、人間の特性や社会の権力構造を冷静な目で分析している。王権(君主政)を神格化しておらず、選択の1つとして、見ている。「自由」を「思うままに邪魔されず行動できること」とし、人の自然な欲求としている。が、人の能力に差がなく、自然状態が万人の万人による戦争状態を招くとして、主権者以外は、「自由」の権利を放棄すべきと述べる。

日本語訳は、光文社古典新訳文庫の角田安正訳と中公クラシックスの永井道雄・上田邦義訳とを拾い読みをした。

永井らは、ほとんどのキーとなる用語に、日本語訳とともに、カタカナで原語を示してある。とくに、“common-wealth”を、永井らは、音読みの「コモンウェルス」と訳し、明治時代の造語「国家」を訳語に使わなかったことに、賛成である。

いっぽう、角田安正はこれを「国家」と訳している。ホッブズは、人間の集まりの権力構造を合理的に考察しようとしており、「コモンウェルス」はそのキーとなる語であるから、「国家」は適切でない。

ただし、“subjects”を永井らが「国民」と訳しているのは気になる。しかも、原語をカタカナで示していない。角田安正は“subjects”を「臣民」と訳している。

ホッブズは第17章で“subjects”を主権者でない人々と定義している。大日本帝国憲法(明治憲法)では、「国民」という言葉を使わず、「臣民」という語をもちいる。いわゆる人権は「臣民権利義務」の章に書かれている。明治憲法は、人権を、主権者、天皇から、義務と引き換えに与えられる温情とみる。

永井らは、日本国憲法(現行憲法)の「国民」が「臣民」を言い換えただけとの皮肉を込めて、そう訳したのだろうか。現行憲法の「国民」は、うさん臭いが、“subjects”は「臣民」と訳したほうが良いと思う。

ミルは19世紀の人である。ホッブズの定義では、世の中は「民主政」(デモクラシィ)になっている。ミルの『自由論』の素晴らしいのは、人々が主権者になっても自由の侵害が起きると考えたことだ。多数派が、自分の価値観を少数派に押しつけ、少数派の自由を奪ってしまう脅威に気づいているのだ。社会が「個人の自由」を制限できる要件を、「他人の生命を脅かすとき」と限定した。

河村たかし市長が「傷つく人がいる」という理由で、企画展「表現の不自由展・その後」の中止を県知事に要求したのは、ミルの『自由論』からみれば不当な自由侵害となる。河村たかしが「自分が企画展で傷ついた」と言うだけなら、不当ではない。

日本語訳は、光文社古典新訳文庫の斉藤悦則訳とフロンティア文庫の永江良一訳を読み比べた。フロンティア文庫のタイトルは『自由について』で、絶本であるが、しかし、インターネット上で無料で読める。

永江訳で十分である、というのが私の感想だ。斎藤訳は意訳で、適切なときもあるが不適切ときも多い。

“specific resistance, or general rebellion”を、斎藤は「限定的な反抗も、さらには全面的な反乱も」と訳し、永江は「特定の反抗や一般的な反乱を」と訳す。この場合は斎藤のほうが原文のニュアンスをより精確に伝えていると思う。

“the misnamed doctrine of Philosophical Necessity”を、斎藤は「誤解されやすい哲学用語でいう必然」と訳し、永江は「哲学的必然という誤った名前をつけられた学説」と訳す。この場合は永江のほうが精確な訳である。なお“doctrine”は「教義」とか「原則」という意味である。

エーリック・フロムもバートランド・ラッセルも20世紀のひとである。ナチス政権の自由の抑圧を目の前にして、『自由からの逃走』や『西洋哲学史』が書かれたものである。これらの日本語訳はそれぞれ1つしか私は知らない。そろそろ、別訳があってしかるべきだと思う。