猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

ナイツェルとヴェルツァーの『兵士というもの』の書評

2019-08-08 00:57:57 | 戦争を考える


ゼンケ・ナイツェルとハラルト・ヴェルツァーの『兵士というもの』(みすず書房)の書評がネッ上で意外とない。もしかしたら、訳者、小野寺拓也の「訳者あとがき」が一番良い書評かもしれない。

昨年の6月30日の朝日新聞の書評に、保阪正康が次のように書いている。

《ごく平凡で真面目な庶民が軍服に身を包み、殺害に慣れて変身していく様は、不気味である。残虐な行為が×せられないとなると、つまり道徳も法体系も存在しない空間では人は人でなくなる、ということも教えている。》

これって、本書の第1章の最後にある著者たちの次の言葉をそのまま言い換えただけである。

《ホロコストやナチによる絶滅戦争が示しているように、民間人や兵士、親衛隊員、警官の大多数は、そうした行動が促され、求められていると思われる場合には排他的、暴力的、非人間的なふるまいをした一方で、これに抵抗し、人を助けようとしたのはごく少数にすぎなかったからである。》
《心理学的に考えればナチ・ドイツの住人たちは、他のどの時代のどの社会とも同じくらいふつうの人々であった。……「罰せられることのない非人間性」(ギュンター・アンデルス)の誘惑に屈しなかった集団は、ひとつも存在しなかった。》

ナイツェルとヴェルツァーは、倫理、人間愛なんて、外的な参照枠組み、「戦争」の前に無力だと言っている。では、ナチ・ドイツの住人は無罪なのか。個人の個性を無視して「ナチ・ドイツの住人」と集団をひと固まりにして人間を考えるだけで、良いのだろうか。

とにかく、わたしの率直な感想は、ナイツェルとヴェルツァーの分析に不満だということだ。

小野寺拓也は「訳者あとがき」で、盗聴された会話の記録は捕虜の「武勇伝」であると指摘している。わたしの「悪人自慢」と同じ受け止め方である。

また、小野寺は、同じ盗聴記録からレーマー(Felix Römer)が異なる結論を得ていると指摘する。レーマーの著作“Kameraden: Die Wehrmacht von innen” (Gebundene Ausgabe)は、戦争における多様な個人を描いているという。なお、この著作は日本語に翻訳されていず、わたしは現物を読んでいない。

小野寺拓也によれば、レーマ―は「人がどのように戦うかは、単に状況のダイナミクスによってのみ決まるのではなく、個人的な態度や意図によっても決まるのだ」と、ナイツェルとヴェルツァーと異なる見方を述べる。

さらに、レーマーは700人程度の捕虜への質問票の数量的分析を行っており、これも興味深い。小野寺拓也によれば、ヒトラーへの支持率は宗派別ではプロテスタントがカトリックより明らかに高く、また、世代別では、1916年(第1次世界大戦)後に生まれた若者の支持率が高かった、とある。

わたしは、「倫理」とか「モラル」とか「人間性」とかが、生まれながらにして人間にそなわっている、とは思っていない。わたしは、人間は記憶によって動く機械だと思う。ナイツェルとヴェルツァーは外から注入された記憶を参照枠組みと呼んでいるのだ、と理解している。

本来は、個々人が異なる体験をして、異なる記憶をもっているはずだ。それなのに、どのようにして、個々人の記憶に集団妄想が入り込んだか、それが問題である。それは「言葉」と「暴力」によると思う。それは、オオカミやハイエナと同じく、リーダの声に従うように人間の脳ができているからだ。人間は特別の生き物ではなく犬と同じなのだ。

ヒトラーの支持率がプロテスタントで高いのは、かれらの教会の説教の言葉をヒトラーが意識的になぞっているからだ(高田博行『ヒトラー演説 熱狂の真実』(中公新書))。

また、国防軍が第1次世界大戦後にヒトラーを右翼思想の「太鼓たたき」に雇ったが、ヒトラーは国防軍の思惑を越えた言葉の力をもっていた。ナチスが議会第1党に躍り出たとき、ヒトラーは、国防軍と手打ちをし、「長いナイフの夜」にナチスの武装組織SAの幹部レームらを皆殺しにし、国防軍とナチスの上に立った(イアン・カーショー『ヒトラー 上下』(白水社))。

「第三帝国」(ナチス・ドイツ)に起きたことは、日本にも起きうる問題でもある。

日本国政府は、集団行動を取らない子どもたちを「発達障害児」として教育から隔離し、その他の子どもたちには、権力に従順であるよう、道徳教育をたたき込んでいる。すなわち、日本国政府は、いまは戦争に直接参加していないが、戦争を遂行するための、心の準備を、国民に対して、させている。
なかでも安倍晋三はトンデモナイ男である。かれは天皇のマネをしてテレビに出て、日本版ヒトラーになろうとしている。

記憶に集団妄想が侵入するのを防ぐものはなにか。権力による洗脳への抵抗力(レジリエンス)はどこにあるか。家庭環境と人間の脳の特性の個人差である。すなわち、多様な個性である。ここに希望がある。