猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

あの戦争は必要だったのか、その責任は問われたのか

2019-08-15 22:13:22 | 戦争を考える
 
8月15日は、74年前、昭和天皇が日本の降伏を国民にラジオで伝えた日である。終戦記念日というが、連合軍(実際には米軍)に対し日本が降伏の調印を行った日は9月2日である。したがって、米国やフランスでは、対日戦勝記念日は9月2日である。ソビエト連邦は9月3日を対日戦勝記念日とする。
 
8月になると、年中行事のように、米軍による大空襲、広島、長崎の原爆投下、南方戦線や北方諸島での戦死、特攻隊、満州や朝鮮からの引揚など、戦争の過酷さが、メディアで強調される。
 
しかし、「戦争が過酷」だけでは感傷に流れてしまう、と私は危惧する。「戦争は必要だったのか」「なぜ、戦争してしまったのか」の問いに答えなければならない。そして、「日本人は戦争を起こした人々を適切に罰したか」という問いにも答えないといけない。
 
私の郷里は北陸にある。日本が日露戦争を戦わず、韓国を併合していなければ、北朝鮮と韓国とに分かれることもなく、今頃は、朝鮮半島が経済的に栄えており、北陸も、朝鮮やロシアとの貿易で栄えて、裏日本ではなく、表日本と呼ばれていたのでは、と私は思っている。
 
そうなれば、もちろん、日韓関係にこじれを起こした「歴史問題」なんてないのである。
 
あの太平洋戦争は、する必要がなく、してはならなかった、と思っている。太平戦争は、1941年12月8日に日本がアメリカに開戦を通告したのである。日本が満州の利権を手放せば、戦争を回避できたのである。そうすれば、日本人の満州からの引き揚げも整然と行われ、殺されたり、病死したり、子どもを捨てたり、女性が襲われたりしなかったのである。
 
どこで、日本の歴史が狂ったのか。すべての発端は吉田松陰にあると思う。安倍晋三は「日本の独立」を唱えるが、まさに、そこに根本の「悪」があると思う。それは「富国強兵」「軍国主義」へと人々を誘う。
 
「大東亜共栄圏」が、昭和のすべての戦争を正当化する魔法の言葉となっている。「大東亜共栄圏」は、日本による軍事的アジア支配を言っているのにすぎない。
 
戦争をする必要はない。19世紀末には、イギリス、フランスは軍事的拡張より外交を重要視するようになっている。日本も平和裏に「富国」になることに専念すれば良かったのである。
 
安倍晋三の「新しい国へ――美しい国へ完全版」を読むと、日本に交戦権が必要だと言っている。そして、米国を世界の軍事的支配の盟主と考え、日本をその主要な軍事的パートナーにしようとしている。
 
日本人が悲惨な戦争体験をしたのに、なぜ、いまだに、軍事によって世界平和を確保する、という者が日本にいるのか。不必要な戦争をした責任を、74年前に、日本人がちゃんと問わなかったからである。
 
安倍晋三は、戦勝国が敗戦国を裁くのは不当だというが、ドイツのように、日本人みずから、戦争責任者を裁けば良かったのである。
 
まず、吉田松陰を徹底的に批判しなければならない。そして、明治維新の立役者の誤りを指摘しないといけない。大日本帝国憲法(明治憲法)に秘められた制度的欠陥を指摘しなければならない。大東亜共栄圏思想の誤りを指摘しなければならない。そして、昭和天皇の戦争責任を追及しなければならない。
 
明治憲法は君主政をしいている。天皇以外はすべて臣民である。しかし、実際には、権力は維新の立役者が握っていた。「天皇機関説」が実態を表わしていたのである。しかし、維新の立役者が死んでいき、世代が変われば、明治憲法に書かれていることをそのままに信じる者が増えていく。とくに、操り人形であった天皇自身が、自分は主権者でしっかりしないといけないと考えるようになる。昭和天皇はまさにそう人に育てられたのである。
 
8月7日の朝日新聞で、歴史学者の吉田裕が昭和天皇について次のように述べている。
 
「日本軍が受けた被害については、ほぼ確実に把握していました。」
「敵に与えた損害は、誇大に報告されがちでした。」
「実態とかけ離れた戦果が天皇のもとに情報として集められ、敵も苦しいはずだという楽観が生まれてしまいました。」
「1945年2月に元首相の近衛文麿が戦争の終結を上奏したときに、天皇は『もう一度戦果を挙げてからでないとむずかしい』と答えています。」
「沖縄戦の場合は、天皇は海軍の側に立って、作戦に介入していたといえます。」
「天皇が発する最高の統帥命令を、陸軍は『大陸命』、海軍は『大海令』といいますが、戦後の占領期、大陸命や大海令の存在は占領軍に秘匿されました。隠さなければいけなかったという事実が、天皇が作戦に関与していたことを証明しています」
 
昭和天皇は、太平洋戦争に関与していたのだから、責任を問われねばならない。有罪である。いかなる処罰を与えるかには議論の余地がある。絞首刑なのか、禁固刑なのか、天皇退位なのか、天皇制廃止なのか。
 
少なくとも、敗戦を挟んで、元号が同じというのはおかしい。私は、新憲法の制定にあたって、天皇制を廃止すべきだったと思う。
 
【補遺】
昭和天皇を罰すると、戦争を支持した普通の人々が自分を責めて苦しい思いをするという意見をネットでみた。何が「普通の人々」だ。戦争に反対して抑圧された、逮捕された、あるいは、拷問を受けた人々もいるのだ。昭和天皇を罰しないから、なぜ、軍国少年や軍国少女になったのかを 戦後 自問できず、戦後の道徳教育の復活を許してしまう結果になったのだ。子どもが政府に騙されないためにどうすべきか、真剣に考えて欲しい。