猫じじいのブログ

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総理大臣や天皇が全国戦没者追悼式でのべるべきこと

2019-08-17 21:01:45 | 戦争を考える


全国戦没者追悼式とは、「先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため」、政府が8月15日に主催する追悼式のことである。

「先の大戦において」とは何かが意味不明だが、Wikipediaでは「第2次世界大戦」となっている。意味不明というのは、日中戦争(支那事変)は1937年に始まっているし、日米戦争(太平洋戦争)は1941年に始まっている。「第2次世界大戦」ではないはずだ。

そして、日本政府が1945年に連合軍に降伏してから、すなわち、戦後も、海外植民地からの引き揚げで、満蒙開拓団だけで約8万人が亡くなっている。捕虜になってシベリアに抑留にされた日本兵 約6万人が亡くなっている。

本当は、政府が「先の大戦において亡くなられた方々」とは誰なのか明確にしないといけない。

追悼されるのは誰か不明確なまま、総理大臣の安倍晋三はこの6年間、全国戦没者追悼式で、同じような式辞をのべている。また、今上天皇(令和天皇)も、平成天皇と同じような「おことば」をのべている。

毎年同じ「式辞」「おことば」でも内容が適切であれば、それで良いのだが、そうでないから問題なのだ。

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安倍の式辞から、3つの文を取り出し、問題を指摘したい。

「私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは決して忘れることはありません。」

「犠牲」とは「神に捧げるお供え(動物や人間の死)」のことで、それが転じて、「大義に殉じて死んだ人」を意味する。平成天皇は、けっして、「犠牲」という言葉を使わなかった。安倍が「犠牲」という言葉を毎年使うのは、「先の大戦」、日中戦争や日米戦争が日本の「大義」によると考え、それを国民に訴えたいからである。

また、安倍は次のようにのべる。

「ご遺骨が一日も早くふるさとに戻られるよう、私たちの使命として全力を尽くしてまいります」

厚生労働省は、これまで、DNA鑑定から日本人と思われない、海外から遺骨を収集してきたことを、隠していた。これは、海外の地にもともと住んでいた人の墓を掘り起こし、盗んだことになる。もし、日本人の遺骨だとしても、誰の遺骨か もはや わかりようがないから、結局は、日本のどこかに日本政府がまとめて投げ込むだけである。埋められるべき「ふるさと」さえ、わからないのである。無理を承知で、日本政府が遺骨を収集するのは、「日本兵は死んで御霊となって靖国神社に戻る」という体裁にこだわっているからだ。

安倍は「式辞」でいかなる反省も「謝罪」も述べていない。ただ、つぎのように言う。

「平和で、希望に満ちあふれる新たな時代を創り上げていくため、世界が直面しているさまざまな課題の解決に向け、国際社会と力を合わせて全力で取り組んでまいります。」

反省なしの「さまざまな課題の解決に向け、国際社会と力を合わせて全力で取り組む」とは、『新しい国へ――美しい国へ完全版』で示唆するアメリカを盟主とする軍事行動への参加につながってしまう。

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令和になっての今上天皇の「おことば」(全文)は、平成天皇と同じく、次のように、3つの段落からなっている。

「本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。」

「終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。」

戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

例年と同じく、今上天皇は「犠牲」という言葉を用いず、代わりに「反省」という言葉を入れている。問題は第3段落である。

天皇の「おことば」は何を「反省」しているか、いつも不明なのである。戦後70年の追悼式でだけ、「さきの大戦に対する」を「深い反省」の直前に挿入した。翌年からこの語句がなくなり、また、なんの反省かわからない「おことば」になった。

今上天皇は、今回、まずいことに、第3段落のはじめに、「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という語句を入れてしまった。より曖昧な「深い反省」になってしまった。

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敗戦50年の村山富市の談話では、「終戦」ではなく「敗戦」という言葉をつかい、次のように語った。

「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」

する必要がなく、してはならない「戦争」をした「国策の誤り」こそ、「深く反省」すべきでことである。そのことを、「さきの大戦で亡くなった方々」と国民にお詫びするのが、全国戦没者追悼式での、総理大臣と天皇の務めである。