個々の存在を超えた[時代精神]というものがあるとしたら、確かに武田範之の生きた姿を丹念に追うことで透けて見えてくる当時の先鋭的な若者たちの共通の姿があるだろうに違いない。
武田範之(1863-1911)については、今年没後102年の6月23日にすこし記した。昨日、ようやく標題「武田範之とその時代」を読み終えて当時の韓国併合をめぐる時代状況と武田と周辺の群像のかかわりの概要を知ることができた。
標題にあるように、本書は武田の評伝というよりも「その時代」、1900年前後の明治末から大正に入る時期、日清・日露戦争をへて日本が西洋諸国に肩を並べようとしていた国家の動向が風雲急を告げる時代、民間政治結社の動向と顛末を記したもの。個人的に素朴な関心があった武田と顕聖寺のかかわりや彼の宗教的背景については、深く立ち入ってはいない。さまざまな資料を駆使しての外形的な武田像は知り得ても、その内面性からの武田範之を描くことには著者の筆力がやや不足しているようだ。
李容九、内田良平(黒龍会主宰)や宮崎滔天、川上善兵衛、伊藤博文、明石二郎などの固有名詞のつらなりで興味をつなぐとこができたが、漢文調の固い文面で正直、読解に苦労した。すくなくともこれらの人物相関図についてはあらためて読み直す必要がありそうだが、さて。
著者の滝沢氏、くわしいプロフィールはわからないが長岡の出身で在野の研究者、本書の執筆当時はなんと和光大学の向い岡上の居住。いまは房総で隠遁?生活を送っておられるようだ。成蹊大学在学当時から近代政治史に関心を持っていたらしく、40代そこそこで本書をものにしている。ちょっと自分にはマネできないな。その点、あらためて世の中にはいろんな人がいるものと感心させられる。ご健在なら70歳だ。
武田範之(1863-1911)については、今年没後102年の6月23日にすこし記した。昨日、ようやく標題「武田範之とその時代」を読み終えて当時の韓国併合をめぐる時代状況と武田と周辺の群像のかかわりの概要を知ることができた。
標題にあるように、本書は武田の評伝というよりも「その時代」、1900年前後の明治末から大正に入る時期、日清・日露戦争をへて日本が西洋諸国に肩を並べようとしていた国家の動向が風雲急を告げる時代、民間政治結社の動向と顛末を記したもの。個人的に素朴な関心があった武田と顕聖寺のかかわりや彼の宗教的背景については、深く立ち入ってはいない。さまざまな資料を駆使しての外形的な武田像は知り得ても、その内面性からの武田範之を描くことには著者の筆力がやや不足しているようだ。
李容九、内田良平(黒龍会主宰)や宮崎滔天、川上善兵衛、伊藤博文、明石二郎などの固有名詞のつらなりで興味をつなぐとこができたが、漢文調の固い文面で正直、読解に苦労した。すくなくともこれらの人物相関図についてはあらためて読み直す必要がありそうだが、さて。
著者の滝沢氏、くわしいプロフィールはわからないが長岡の出身で在野の研究者、本書の執筆当時はなんと和光大学の向い岡上の居住。いまは房総で隠遁?生活を送っておられるようだ。成蹊大学在学当時から近代政治史に関心を持っていたらしく、40代そこそこで本書をものにしている。ちょっと自分にはマネできないな。その点、あらためて世の中にはいろんな人がいるものと感心させられる。ご健在なら70歳だ。