12日午後、車で町田街道から薬師池公園方面へ鎌倉街道を走り、そのまま多摩永山を抜けて関戸橋で多摩川を渡って、府中市内に入る。圏央道を除いて車で多摩川を渡るのは初めてだ。その先、甲州街道との交差点を右折して大国魂神社参道を過ぎ、味の素スタジアム脇を通りぬけ、調布IC手前で左折して、通称天文台通を北上すると国立天文台、富士重工業の先、国際基督教大学正門に着く。見事な桜並木が続き、約500㍍ほどいくとようやくバスロータリーがあり、小田急バスが乗り入れていた。その手前の駐車場に愛車のグリーン色マーチを止めた。
30年振りくらいかな。武蔵野の広大な森の中に点在する静寂なキャンパスの雰囲気は当時とあまり変わっていない。ここのなかに入ると、ほかの大学ではないような「特別な高貴ともいえる精神と雰囲気を感じる。ロータリーの正面にはICU教会、大学の点在する建物も緑の木々に埋もれるかのようで全容は知れない。
ここの地は、村上春樹「羊をめぐる冒険」(1982年)の冒頭、第1章1970/11/25(三島由紀夫自決の日) に次のように記述される。
「その年の秋から翌年の春にかけて、週に一度、火曜日の夜に彼女は三鷹のはずれにある僕のアパートを訪れるようになった。彼女は僕の作る簡単な夕食を食べ、灰皿をいっぱいにし、FENのロック番組を大音量で聴きながらセックスをした。水曜日の朝に目覚めると雑木林を散歩しながらICUのキャンパスまで歩き、食堂によって昼食を食べた。そして午後にはラウンジで薄いコーヒーを飲み、天気が良ければキャンパスの芝生に寝転んで空を見上げた。」「水曜日のピクニック、と彼女は呼んだ。」
なにやら、例によっていわくのありそうなイントロダクションの印象的な舞台が、ここICUであったわけだ。実際に村上春樹がこのキャンパスを訪れていたことは間違いないだろうな。あらためて久しぶりに訪れてみて、小説の導入部分に主人公が女の子と散歩する舞台としてここを選んだ(あるいは舞台として思い浮かんだ)村上春樹のノーブルなセンスを感じる。1970年当時のICUは知名度もいまほどではなく、知る人ぞ知るややミステリアス感さえ漂う、多国籍の学生が集まるひっそりとしながらもインターナショナルな雰囲気の大学であったに違いない。
さて、今回は学内にある湯浅八郎記念館「建物に見るICUの歴史」と題された展示を見に訪れたのだった。その記念館は大学博物館の位置づけで、外壁赤レンガ二階建てでこじんまりとしていた(1982年竣工、前川國男建築設計事務所)。キャンパスの中でレンガ外壁はここだけのやや異色の雰囲気。名前に冠される湯浅八郎は、京都生まれの昆虫学者、大戦前後二度にわたる同志社総長やICU初代学長や理事長を務めた人物で、その一方柳宗悦、浜田庄司らが創始した民芸運動に早くから関心があって「民芸とは何か(民芸同私論、1978年」)という小文を遺している。そのため、ここの収蔵品および常設展示は民芸の品々、陶芸や織物、着物、家具などが柱のひとつとなっていた。ICUのイメージからすると意外な感じがするが、それはこの名前を冠した湯浅博士の収集指向によるものだったことで納得。
今回の献学60周年記念展示について。ICUは1953年に開学しているから、今年が還暦の60周年、敷地は戦前の中島飛行機研究所敷地を購入したものだ。現大学本館はその研究所を1952年に改装して使用しているもので、なんと!W.M、ヴォ―リーズ建築事務所によるものであったことが今回の展示で初めて知ったこと、これにはびっくりした。ということは関西学院や神戸女学院と同じである。おそらくICU創立関係者がキリスト者であることが関係しているのだろう。ICUの建築にレーモンド建築設計事務所が関与していたということは知っていたのだが、それは1960年以降のことで、当初のキャンパス全体計画は晩年期のヴォ―リーズに依頼されていてその青焼きも展示されていた(現行とは大幅に配置が異なっている。図面には、W.M.ヴォーリーズ、滋賀県近江八幡の表記)。現在残っている建物でヴォ―リーズ事務所の原型が残っているものは、モダニズム外観の本館(1952)、第二男子・女子梁(1956)、シーベリー礼拝堂などである。ロータリー正面の礼拝堂は、すぐにレーモンド事務所により外観、内装とも改装されていた。おそらくヴォーリーズとレーモンドのコラボ建築はここだけではないのだろうか?
夕暮れの中、もうひとつのお目当ての建物を見に行く。北門から出てしばらく歩くと、東京神学大学とルーテル学院大学というふたつのこじんまりとしたキャンパスが隣接している。もとはICUの敷地であったという。そのうちの、ルーテル学院大学は村野藤吾設計による1969年竣工の建物で関東における大学の建物は、早稲田大学戸山校舎のほかはここだけなので、ぜひこの機会に見てみたいと思っていた。その建物は通りに面してすぐに目に入ってきた。二階建基調の建物で外壁がアクリル樹脂混入モルタルスタッコ仕上げと呼ぶのだそう。全体の連続した壁面の雰囲気は、最晩年の作で新潟糸魚川市にある谷村美術館の印象と重なる。個々の壁面窓の表情がおもしろく、こちらは日比谷日本生命ビルの雰囲気の中世宗教施設版か。いすれにしても確かに村野風ではある。
この武蔵野の地にキリスト者としてのヴォーリーズ、レーモンド、村野藤吾と期せずして東西の著名建築家の作品が並ぶ奇跡!くわえて前川國男建築事務所と初めてその名を意識した稲富昭建築設計事務所(理学館、体育館、教育研究棟など)と、この地の大学キャンパスは建物マニアには隠れた名所である。そのうちにまたゆっくりとICU教会でのオルガン演奏会の機会に訪れてみたい気がして、後髪をひかれる思いで夕暮れの武蔵野を帰路に着く。正面にくっきりと三日月が冷えた夜空に浮かんでいた。
行きに聴いた音楽アルバム:ビートルズ「HELP!」「Sgt.Peppers LHCB」
※「Sgt.・・・・」は、村上春樹が「羊をめぐる冒険」の後の描き下ろし「ノルウェイの森」を書いていた当時、ずうと聞き流していたとあとがきに本人が記している。
帰りに聴いた音楽アルバム:パット・メセニー「WHATS IT ALL ABOUT」、ポール・サイモン「SONGWRITER」Disc1
※「サウンド・オブ・サイレンス」、メセニーのギターソロとポール2011年ライブの聴き比べ