九日朝の散歩のあと、大津駅前のコーヒー店で休憩中に気が付くと名古屋のMAMAKOよりメールが入っていた。以心伝心みたいでうれしくなって見ると、名古屋着時間についての照会、「おはようさん」はNHK朝ドラ「ごちそうさん」のノリか? 気にかけてもらったようで恐縮して返信すると、到着時に改札で待っていてくれるとのこと、ありがとう!
大津駅ビル内でおみやげを買い、十一時台のJR在来線で琵琶湖沿線沿いに米原まで出て新幹線に乗り換える。午後一時に名古屋到着して、改札前の柱横で待っててくれたMAMAKOの姿を見つけることができた。本当に名古屋で再会できたんだと実感、よく知っているはずなのになんだか今回のシチュエーションは初めてでちょっと照れるな。シックな出で立ち、相変わらずスリムな体型のまま、元気そうでよかった!
まずは、昼食ということで地下鉄一日乗車を買って、伏見へ。昭和の残り香の地下商店街、あいちトリエンナーレ会場としても使われてその痕跡が残っているレトロな都市空間を案内してもらう。構内のDEEEPな喫茶店でカレーとスパゲティと目玉焼きというてんこ盛りランチを注文、店内もスリムな店員のお姉様も名古屋色が濃いな~と感心。近況やら大津でのアツシとの再会、ヴォーリーズ建築の洋館遭遇事件やら赤瀬川ニラハウスなどの話に花が咲いて、気が付くと午後三時前くらいになってしまっていた。
お店を出て、地下鉄名城線で名古屋城近くの今夜の宿泊先「ウイルあいち」へ向かう。最寄駅を降りると名古屋市庁舎と県庁舎が並んでたつ官庁街だ。ともに戦前の帝冠様式の建築ではりあうように?立っている姿が威風堂々としていて思わずほうっと見上げてしまう。市庁舎内へ入ってみることに。正面の大階段や回廊式の本館の中庭からの時計台塔が昭和初期の時代を漂わせる。建物周辺を周回するようにめぐり、途中紅葉が残っていた三の丸庭園や大正時代の旧邸を利用した県議員会館を覗いたりして、上堅杉町の宿泊先にチェックインする。ここは正式名称を「愛知県女性総合センター」といい、バブル時代に計画され、1995年に竣工した巨大な空間で正直その豪華さにびっくりした。館内は中規模ホールに加えて会議室や研修室に宿泊設備もあり、10畳の和室が一人3600円という信じられないくらいの安さで泊まれる。
正面はネオ・バロック様式の煉瓦の洋館、旧名古屋控訴院地方裁判所庁舎で重要文化財だ。現在は名古屋市市政資料館となっているが、その日は残念ながら休館日である。正面の入り口から中を覗くと、壮麗な大階段が手すりとともに三階へと回り込み、正面と天井にはステンドグラスが見える。昼間に見たらさぞかしゴージャスだろうな、明日の再訪に期待しよう。
なんと!宿泊室床の間の壁面にある窓の正面から洋館の大ドームとご対面
日が暮れて少し暗くなってきたが、この先MAMAKOの案内で白壁・主税(ちから)・撞木(しゅもく)町並保存地区のお屋敷めぐりへ。まずは、白い木造瓦屋根の洋館、カソリック主税町教会へ。鐘楼つき明治時代1904年築の名古屋最古の教会堂だそうだ。広い敷地にゆったりと建てられている。司祭館の脇が教会堂の見学口、扉は施錠されておらず少し迷ったが、二人して中に入ってみる。正面の祭壇に電飾ローソクの灯りのみで静寂かつ敬虔な雰囲気にドラマか小説のシチュエーションのような気がして不思議な感じがしてきた。う~ん、MAMAKOはカソリック大学OGなので慣れているんだろうか?教会堂庭の隅には、マリア像と溶岩を積んで作られたルルドの泉がある。これって、東京目白にあるカテドラル大聖堂の関口教会と同じだ、と思ってみたらやはりそのような説明書きがあったので納得。もしMAMAKOが次に東京に来る機会があれば、近くの椿山荘庭園と合わせてガイドしてあげたいな。
いよいよ夕暮れで暗くなってくる中、いそぎ足での主税町お屋敷めぐりは続く。旧春田邸、旧豊田佐助邸と続き、赤瓦屋根の旧川上貞奴邸(双葉館)へ。こちらは近くの双葉町から移築されたもので、かなり大規模な洋館。あとで貸してもらった「あいち建築ガイド」で調べたところ、設計・施工を担当したのはなんと「あめりか屋」、目白文化村にも関わった大正時代の住宅設計のはしりの会社だ。もう邸は閉館してしまっていたが、MAMAKOは中に入ったことがあるらしく、ぜひ次の機会に洋館内も見学するといいよ、と勧めてくれた。
少し歩いて地下鉄桜通線高岳駅から、たしか日赤八事駅で下車して南山大学へ向かう夕暮れの道を歩く。もうどのあたりなのか分からなくてMAMAKOの案内がなければとても目的地にはたどり着けない。途中高校生やら通りすがりのひとに方向を確認しながら、すこし急な坂を息を切らしながら上りきるとようやく目的の南山大学の入口に辿り着く。こういう時にさりげなく手を引いてあげれるようなら、マイ・フェア・レディっていう感じだったのにね。午後六時近くか、二人して相当歩いたけど全然疲れないし退屈しない、久しぶりだから再会するとかつての大学講座生時代に戻ってしまう感じなんだ。
南山大学キャンパス見学は私の希望のひとつで、アントニン・レーモンドの設計、1964年竣工のモダニズム建築群。丘陵の南北軸にそって配置された統一感あるキャンパスは、名門カソリック大学の品格を高めている。コンクリート打ち放しの躯体に橙なのか柿色なのかに塗られた壁面構成がシンプルだけど美しい。シンボルツリーのクリスマスイルミネーションを期待していたのだけれど、残念ながら見当たない。もしあれば、今夜の建築めぐりの最終の締めくくりにふさわしかったのに(まあ、そうであればちょっとできすぎか)!
もう、すっかり薄暗いなか学生気分でキャンパス内を歩き回る怪しい?二人は他人にはどのように映ったことだろうか。キャンパス内の坂を下り、神言神学院の脇から山手通りに出て、地下鉄で八事へ出る。
本日の探索のラストは、名古屋の格式ある高級料亭八勝館。ここは魯山人ゆかりの料亭、提供される食器に中には魯山人銘のものがあるそうで並みの料亭とは別格の存在。都市化の波の中で広大な敷地の何割かは巨大なマンションとして切り売りされてしまっていたが、屋根付きの門とそこに掲げられた立派な額はかろうじて残されてはいた。その先の裏手に回り込むと黒塀が続き、正門の奥に堀口捨巳設計による数寄屋料亭は健在でいるようだったが、いかんせんもう夜の暗がりで中は望めない。
MAMAKO、忙しい中半日丸々も付き合ってくれて本当にありがとう!今夜は楽しかった、あなたには感謝しても感謝しきれません。今度は、ぜひ東京目白のF.L.ライトと遠藤新による自由学園明日館でお会いしましょう。
大津駅ビル内でおみやげを買い、十一時台のJR在来線で琵琶湖沿線沿いに米原まで出て新幹線に乗り換える。午後一時に名古屋到着して、改札前の柱横で待っててくれたMAMAKOの姿を見つけることができた。本当に名古屋で再会できたんだと実感、よく知っているはずなのになんだか今回のシチュエーションは初めてでちょっと照れるな。シックな出で立ち、相変わらずスリムな体型のまま、元気そうでよかった!
まずは、昼食ということで地下鉄一日乗車を買って、伏見へ。昭和の残り香の地下商店街、あいちトリエンナーレ会場としても使われてその痕跡が残っているレトロな都市空間を案内してもらう。構内のDEEEPな喫茶店でカレーとスパゲティと目玉焼きというてんこ盛りランチを注文、店内もスリムな店員のお姉様も名古屋色が濃いな~と感心。近況やら大津でのアツシとの再会、ヴォーリーズ建築の洋館遭遇事件やら赤瀬川ニラハウスなどの話に花が咲いて、気が付くと午後三時前くらいになってしまっていた。
お店を出て、地下鉄名城線で名古屋城近くの今夜の宿泊先「ウイルあいち」へ向かう。最寄駅を降りると名古屋市庁舎と県庁舎が並んでたつ官庁街だ。ともに戦前の帝冠様式の建築ではりあうように?立っている姿が威風堂々としていて思わずほうっと見上げてしまう。市庁舎内へ入ってみることに。正面の大階段や回廊式の本館の中庭からの時計台塔が昭和初期の時代を漂わせる。建物周辺を周回するようにめぐり、途中紅葉が残っていた三の丸庭園や大正時代の旧邸を利用した県議員会館を覗いたりして、上堅杉町の宿泊先にチェックインする。ここは正式名称を「愛知県女性総合センター」といい、バブル時代に計画され、1995年に竣工した巨大な空間で正直その豪華さにびっくりした。館内は中規模ホールに加えて会議室や研修室に宿泊設備もあり、10畳の和室が一人3600円という信じられないくらいの安さで泊まれる。
正面はネオ・バロック様式の煉瓦の洋館、旧名古屋控訴院地方裁判所庁舎で重要文化財だ。現在は名古屋市市政資料館となっているが、その日は残念ながら休館日である。正面の入り口から中を覗くと、壮麗な大階段が手すりとともに三階へと回り込み、正面と天井にはステンドグラスが見える。昼間に見たらさぞかしゴージャスだろうな、明日の再訪に期待しよう。
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なんと!宿泊室床の間の壁面にある窓の正面から洋館の大ドームとご対面
日が暮れて少し暗くなってきたが、この先MAMAKOの案内で白壁・主税(ちから)・撞木(しゅもく)町並保存地区のお屋敷めぐりへ。まずは、白い木造瓦屋根の洋館、カソリック主税町教会へ。鐘楼つき明治時代1904年築の名古屋最古の教会堂だそうだ。広い敷地にゆったりと建てられている。司祭館の脇が教会堂の見学口、扉は施錠されておらず少し迷ったが、二人して中に入ってみる。正面の祭壇に電飾ローソクの灯りのみで静寂かつ敬虔な雰囲気にドラマか小説のシチュエーションのような気がして不思議な感じがしてきた。う~ん、MAMAKOはカソリック大学OGなので慣れているんだろうか?教会堂庭の隅には、マリア像と溶岩を積んで作られたルルドの泉がある。これって、東京目白にあるカテドラル大聖堂の関口教会と同じだ、と思ってみたらやはりそのような説明書きがあったので納得。もしMAMAKOが次に東京に来る機会があれば、近くの椿山荘庭園と合わせてガイドしてあげたいな。
いよいよ夕暮れで暗くなってくる中、いそぎ足での主税町お屋敷めぐりは続く。旧春田邸、旧豊田佐助邸と続き、赤瓦屋根の旧川上貞奴邸(双葉館)へ。こちらは近くの双葉町から移築されたもので、かなり大規模な洋館。あとで貸してもらった「あいち建築ガイド」で調べたところ、設計・施工を担当したのはなんと「あめりか屋」、目白文化村にも関わった大正時代の住宅設計のはしりの会社だ。もう邸は閉館してしまっていたが、MAMAKOは中に入ったことがあるらしく、ぜひ次の機会に洋館内も見学するといいよ、と勧めてくれた。
少し歩いて地下鉄桜通線高岳駅から、たしか日赤八事駅で下車して南山大学へ向かう夕暮れの道を歩く。もうどのあたりなのか分からなくてMAMAKOの案内がなければとても目的地にはたどり着けない。途中高校生やら通りすがりのひとに方向を確認しながら、すこし急な坂を息を切らしながら上りきるとようやく目的の南山大学の入口に辿り着く。こういう時にさりげなく手を引いてあげれるようなら、マイ・フェア・レディっていう感じだったのにね。午後六時近くか、二人して相当歩いたけど全然疲れないし退屈しない、久しぶりだから再会するとかつての大学講座生時代に戻ってしまう感じなんだ。
南山大学キャンパス見学は私の希望のひとつで、アントニン・レーモンドの設計、1964年竣工のモダニズム建築群。丘陵の南北軸にそって配置された統一感あるキャンパスは、名門カソリック大学の品格を高めている。コンクリート打ち放しの躯体に橙なのか柿色なのかに塗られた壁面構成がシンプルだけど美しい。シンボルツリーのクリスマスイルミネーションを期待していたのだけれど、残念ながら見当たない。もしあれば、今夜の建築めぐりの最終の締めくくりにふさわしかったのに(まあ、そうであればちょっとできすぎか)!
もう、すっかり薄暗いなか学生気分でキャンパス内を歩き回る怪しい?二人は他人にはどのように映ったことだろうか。キャンパス内の坂を下り、神言神学院の脇から山手通りに出て、地下鉄で八事へ出る。
本日の探索のラストは、名古屋の格式ある高級料亭八勝館。ここは魯山人ゆかりの料亭、提供される食器に中には魯山人銘のものがあるそうで並みの料亭とは別格の存在。都市化の波の中で広大な敷地の何割かは巨大なマンションとして切り売りされてしまっていたが、屋根付きの門とそこに掲げられた立派な額はかろうじて残されてはいた。その先の裏手に回り込むと黒塀が続き、正門の奥に堀口捨巳設計による数寄屋料亭は健在でいるようだったが、いかんせんもう夜の暗がりで中は望めない。
MAMAKO、忙しい中半日丸々も付き合ってくれて本当にありがとう!今夜は楽しかった、あなたには感謝しても感謝しきれません。今度は、ぜひ東京目白のF.L.ライトと遠藤新による自由学園明日館でお会いしましょう。