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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

齢を重ねることで気づく旅 金沢篇

2015年03月23日 | 旅行
 21日は春分、これから日々陽光の注ぐ時間がすこしづつ長くなっていく。金沢・京都からの旅から戻ってきて、はや一週間がすぎた。その間にすいぶんと春の兆しが進んだようで、早咲きの河津桜は濃いピンク色、コブシは白い花を満開してに咲き誇っているし、中庭のケヤキの枝枝の先も薄緑色の新芽がふくらんで、もう春を待ちきれんばかりに伸びだそうとする寸前の様子だ。
 “このたびの旅”の風景の断章をいくつか。まだまだ寒さの残る雪の金沢からJRで北陸路を下り、琵琶湖西岸のやや鄙びた山あいを抜けて、のどかさが残る湖岸に広がる里山風景を眺めながら、京都まで移動し山科を拠点に東山と岡崎周辺を巡る丸二泊三日の凝縮された旅。

 翌日の北陸新幹線開業を控えた十三日早朝の到着、金沢駅前は予想どおりの寒さ。夜行バスの疲れを朝スパで流した後は、十間町の宿泊先に荷物を預けて、そのままタクシーで卯辰山頂公園まで一気に上がると、展望台周辺は雪国らしく一面うっすらと白く覆われていた。あいにくの曇り空で能登半島方面や日本海は望めないけれど、金沢駅方面の町並みが一望される。金沢城公園や雪つりされた姿の松の木々で兼六園の位置を知ることができた。吐く息が白く、この北国の空のもと、雪原に記された足跡にこれからの旅の時間が始まることが実感されて、まるで無邪気な子供のようにうれしくなる。
 
 帰り道の途中、タクシーを降ろしてもらって、坂道を下る途中の寺の境内から浅野川の流れと、黒々と低く連なる瓦屋根に規則的な残雪が幾何学模様のように記されたひがし茶屋街方面へと降りて行く。
 町屋を改装した工芸ギャラリーで、和紙に印刷された写真、九谷陶芸、漆工芸、眼鏡、盆栽などに小一時間ほど見入って過ごす。このあとは浅野川を渡って、観光定番の兼六園へ。園内を巡って歩き、茶店「兼六亭」で昼食の治部蕎麦をいただく。ここの梅園はこれからの開花時期を迎える様子、新幹線開通前の平日で時々の雨降りということもあって、まだ人出はそれほどれもなく、ゆったりとした雰囲気がよかった。
 随身坂門口から通りを渡り、県立美術館の脇の斜面緑地のデッキを下って、本多町の鈴木大拙記念館を再訪する。昨年11月の際は、背後斜面の銀杏の黄色い葉がまだ鮮やかに残っていたが、いまの季節はモミジの木々も枝枝をひろげて、その先の新芽が春の到来予感を秘めているかのよう。まちなかの深い思索空間のなか静寂の池の水面には、その木々の姿と冬の曇り空が映りこんでいた。

 記念館ちかくの鈴木大拙生誕地に立ち寄ってから、金沢21世紀美術館へと歩く。到着して中に入ると、こちらは雨宿りも兼ねた様子の観光客でなかなかの賑わい。「ジャパン・アーキテクツ1945-2010」展を再見する。全体6セクションの構成からなり、今回は見落としの展示内容の再確認も含めて、じっくりと見て回ることにする。
 第1セクションの戦災から立ち上がった初期、あるいは戦前からのの歴史的建築物のかけら展示物が、赤瀬川さんたちの路上観察学メンバー、一木努コレクションから成ることに気がつく。第2セクションの前川國男、坂倉準三、A.レーモンド、大江宏、吉村順三、村野藤吾ら巨匠の古びて破れもした設計図が妙に生々しい。第3・4セクションはよく知られた近現代建築模型の数々、メタボリズム、1970年大阪万博会場の近未来型模型、それに見落としていた郷土高田出身の異色建築家渡邊洋治の「斜めの家」模型とようやく対面。第5セクションは1975年以降が対象で、建物が現存していて現役で活躍中の建築家も多い。最終第六セクションが現在進行形を含めた建築状況を網羅した形となっていて、現在と未来はいよいよ混沌としている印象だ。表層上の多様性のなか、じっくりと地に足の着いた社会や生活とつながりのある建築はどのようにして成り立つことが可能なのか、が大きな課題だろう。

 夕刻、回遊バスに乗り近江市場で下車して十間町の今夜の宿泊先の旅館に戻る。ここは金沢で最古の歴史をいまにつなぐ宿で、明り取り窓に坪庭、天井に残る太い曲がり梁にその風格をあらわれている。改装したばかりの二階の清潔な部屋に案内される。前室の障子窓をあけて格子越しに外をのぞくと、通りを隔てた真正面にあの中島商店ビルの三階建ての陶タイル張りの外観が望める。戦前の若き三十代の村野藤吾の設計、そのいまも現役の歴史的建築の前にしたここの場所を選んで今宵滞在することの幸運と不思議さにとまどい、夢が現実となったことに感謝し、そのことの意味を想う。