七月末以来、観測史上最長の八日間連続真夏日が続いている。この暑さは、はたして明日八日の立秋まで続くのだろうか?
二日まで故郷新潟に帰省していた。正確に言うと帰省した後に、開催したばかりの「越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭」の展開される里山めぐりの旅をして戻ってきたところ。津南町にある里山から信濃川の河岸段丘を挟んで、遠くの丘陵に青空、夏の風景を望む。
ダダン・クリスタント「カクラ・クルクル・アット・ツマリ」のやさしい音色が聴こえる、棚田と段丘、妻有の山並み、そして首都圏への送電線が続く遠景の中で。
巡った作品の中には、今回の目玉である中国人アーティスト蔡國強の「蓬莱山」と題されたインスタレーションがあり、十日町市の中心街にある現代美術館キナーレにおいてようやく対面することができた。建物の四角い回廊には人工池があり、そこの真ん中に常緑の植栽で表面を繕われたハリボテ山が姿を現していて、山中の数カ所から水蒸気が噴き出していた。その高さは、ざっと建物二階分をこえるくらいか。よく見ると中腹から水の流れもあって、頂上からの噴煙こそないものの、東京ディズニーシーの中央に鎮座するアトラクションが引っ越してきたか、さしずめ日本国内なら世界遺産屋久島を模したかのようにも思える。島の周囲の回廊には、約千体あまりの稲わら細工の船や飛行機、鳥や魚などがつりさげられていて、これは地元のひとたちとの協働として生み出されたものなのだそうだ。
「蓬莱山」とは、古代中国で東方の海上にあり不老不死の仙人たちが住むという伝説上の地である。その伝説が越後の地方都市の真ん中に出現したわけで、それも現代建築のコンクリートとガラスで囲まれた建築内の海上ならぬ人工池の中央とはなんともおもしろい。亜細亜人でありながらニューヨーク在住、世界をめぐるコスモポリタンたる作者一流のユーモアというべきか、現代社会への痛烈なアイロニーなのか、たぶんその両方を含んでいるのだろう。
美術館のエントランスには「島」と題された、火薬の発火によって描かれた横長で巨大な水墨画のような迫力あるドローイング。実際の噴火=自然と火薬=人工の爆発作用が重なって見える。
そこから二階の回廊にあがって、正面反対側に回ってみてびっくり。レストランの窓際テーブルから眺めると、なんと完全円錐形に見えたハリボテ形状は半分にしかすぎず、裏側が包丁で垂直に切られたようになっていて、内側の足場構造=イントレが丸見え状態、まるで作業が中断されたみたいなのだ。これって、資金不足で未完成品?と疑いたくなるくらいでショッキング、唖然とさせられた。あるいは、作者の意図なのだとしたら、現代社会への痛烈なアイロニーがいっそう利いている、と解釈されようか。不老不死の理想郷なんて、もはやこの地上のどこにも存在しない、というメッセージなのかもしれない。
この対面に先だって、横浜美術館で開催中の蔡國強「帰去来 There and Back Again」展を見てきた。下記の画像は、開催に先立って美術館グランドギャラリー内で公開制作された四枚の海作品「人生四季」のうちの“夏”である。火薬によるドローイング作品だが、初めて赤・青・黄などの色彩を伴って、四季の花があしらわれた風景の中に男女とおもわれるふたりのさまざなな睦み逢いを描いたもので、まさしく人生を移う営みの熱い息づかいが伝わってくるようで、うん、分かりやすくて素直に愛おしい気持ちになる。
描かれた夏の花は、蓮=ハスと山百合だったろうか。局部周辺の赤いのは、ネムの花としておこうか。夕方に葉が閉じるネム=合歓の木は、花だけは夜もやさしく妖しく咲き続けて文字通り、この夏の季節の春画に相応しい題材だから。ちなみに、春は椿と牡丹、秋は菊とススキ、冬は梅と訳ありげな水仙の香しきニオイが、恥じらいで秘めた想いをあらわしている、である。 もう一度確かめに行かなくては、ね。
横浜美術館にて、完成したばかりの作品の右側に立つ人物が蔡氏 (2015.6.24 撮影)
二日まで故郷新潟に帰省していた。正確に言うと帰省した後に、開催したばかりの「越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭」の展開される里山めぐりの旅をして戻ってきたところ。津南町にある里山から信濃川の河岸段丘を挟んで、遠くの丘陵に青空、夏の風景を望む。
ダダン・クリスタント「カクラ・クルクル・アット・ツマリ」のやさしい音色が聴こえる、棚田と段丘、妻有の山並み、そして首都圏への送電線が続く遠景の中で。
巡った作品の中には、今回の目玉である中国人アーティスト蔡國強の「蓬莱山」と題されたインスタレーションがあり、十日町市の中心街にある現代美術館キナーレにおいてようやく対面することができた。建物の四角い回廊には人工池があり、そこの真ん中に常緑の植栽で表面を繕われたハリボテ山が姿を現していて、山中の数カ所から水蒸気が噴き出していた。その高さは、ざっと建物二階分をこえるくらいか。よく見ると中腹から水の流れもあって、頂上からの噴煙こそないものの、東京ディズニーシーの中央に鎮座するアトラクションが引っ越してきたか、さしずめ日本国内なら世界遺産屋久島を模したかのようにも思える。島の周囲の回廊には、約千体あまりの稲わら細工の船や飛行機、鳥や魚などがつりさげられていて、これは地元のひとたちとの協働として生み出されたものなのだそうだ。
「蓬莱山」とは、古代中国で東方の海上にあり不老不死の仙人たちが住むという伝説上の地である。その伝説が越後の地方都市の真ん中に出現したわけで、それも現代建築のコンクリートとガラスで囲まれた建築内の海上ならぬ人工池の中央とはなんともおもしろい。亜細亜人でありながらニューヨーク在住、世界をめぐるコスモポリタンたる作者一流のユーモアというべきか、現代社会への痛烈なアイロニーなのか、たぶんその両方を含んでいるのだろう。
美術館のエントランスには「島」と題された、火薬の発火によって描かれた横長で巨大な水墨画のような迫力あるドローイング。実際の噴火=自然と火薬=人工の爆発作用が重なって見える。
そこから二階の回廊にあがって、正面反対側に回ってみてびっくり。レストランの窓際テーブルから眺めると、なんと完全円錐形に見えたハリボテ形状は半分にしかすぎず、裏側が包丁で垂直に切られたようになっていて、内側の足場構造=イントレが丸見え状態、まるで作業が中断されたみたいなのだ。これって、資金不足で未完成品?と疑いたくなるくらいでショッキング、唖然とさせられた。あるいは、作者の意図なのだとしたら、現代社会への痛烈なアイロニーがいっそう利いている、と解釈されようか。不老不死の理想郷なんて、もはやこの地上のどこにも存在しない、というメッセージなのかもしれない。
この対面に先だって、横浜美術館で開催中の蔡國強「帰去来 There and Back Again」展を見てきた。下記の画像は、開催に先立って美術館グランドギャラリー内で公開制作された四枚の海作品「人生四季」のうちの“夏”である。火薬によるドローイング作品だが、初めて赤・青・黄などの色彩を伴って、四季の花があしらわれた風景の中に男女とおもわれるふたりのさまざなな睦み逢いを描いたもので、まさしく人生を移う営みの熱い息づかいが伝わってくるようで、うん、分かりやすくて素直に愛おしい気持ちになる。
描かれた夏の花は、蓮=ハスと山百合だったろうか。局部周辺の赤いのは、ネムの花としておこうか。夕方に葉が閉じるネム=合歓の木は、花だけは夜もやさしく妖しく咲き続けて文字通り、この夏の季節の春画に相応しい題材だから。ちなみに、春は椿と牡丹、秋は菊とススキ、冬は梅と訳ありげな水仙の香しきニオイが、恥じらいで秘めた想いをあらわしている、である。 もう一度確かめに行かなくては、ね。
横浜美術館にて、完成したばかりの作品の右側に立つ人物が蔡氏 (2015.6.24 撮影)