ここ数日は秋晴れの佳い天候が続く。家のベランダには、ハイビスカスの今年最後の赤い花が一輪、陽光の中、けなげに咲いて、朝から雲のひとつない青空が広がる。
この時期は、毎年テレビ新聞紙上でノーベル賞発表のニュースが話題になる。いったい、いつからこの様に受賞が決まる前からイベントととして騒がれるようになってきたのだろうか。ここ数年日本人が複数受賞していて身近に話題にしやすくなっていることがあるだろう。スマホなどで個人が気軽にインターネット上の情報をリアルタイムに入手しやすくなっていることもある。でも、もっとも影響が大きいのは、ここのところずうと文学賞候補にあがっている、日本人ならその名前を知っている作家村上春樹の存在だろう。村上春樹文学作品そのものというより、その周囲を巡っての複数のメディアが作り出す様々な話題=ウワサのようなものである。それだけノーベル賞のブランド価値が高いとも言えるからで、ちなみに受賞した場合の賞金は、それぞれの分野で一億一千万円余りだそうで、なるほど騒がれるだけの現世的価値はあるみたい。
昨晩八日午後8時すぎ、かくいう私もたまたまインターネット画面で今年の文学賞受賞決定がストックホルムで発表されるというのを見かけて、その話題の瞬間を待っていた。と、画面を切り替えて戻すと、標題は「文学賞受賞はベラルーシの作家」とあって、なんだか話題が先延ばしされてすこし落胆したような気分をあじわうこととなった次第。それでも、世界一般の本命はこの女性作家だったというから、日本以外の国々の受け止め方としては順当な決定だったのだろう。受賞記事によれば、戦争を巡る女性やチェルノブイリ原子力発電事故問題に関するインタヴューをまとめた作品を発表するなど社会派と目され、2003年に来日して講演もおこなっている。
その意味では、最近の村上春樹も、オウム真理教事件や湾岸戦争に関して著作を発表したり発言を行っているので、受賞に向けて毎年話題をひっぱりつつ、案外その時は近いのかもしれない。ご本人は「競馬じゃあるまいし、ちょっと迷惑(わずらわしい?)」とコメントしていて、実にその通りだとしても、意図ぜざる“社会的戦略”があるのかもしれない。少なくとも出版界や書籍業界にとってはありがたい話だろう。それにしても、“ムラカミ不受賞”が受賞以上に話題になるニッポンも平和で不思議な国なのだろう。本人が直接表にでないことで、さらに周りが必要以上に過熱する現象を生んでいるといえる。
今朝のNHK番組では、いったい村上春樹って何?という、その作品の初心者むけのきわめてまっとうなレポートを行っていた。なんだかんだと言いながら、やっぱり興味深くて見てしまった。
昨年あたりは、ハルキストの聖地?らしい中央線沿線のブックカフェからの中継がよく流されていたのだけれど、さすがに同じネタは使えなかったようで、今回は千駄ヶ谷の鳩森八幡神社境内に集まったファンたちがノーベル賞委員会サイトをプロジェクターで野外のスクリーン投影して眺めている様子や、地元のかつて村上夫妻も通っていた書店主のコメントと店内ムラカミ縁コーナーが紹介されていた。少し斜めに構えてどんなものだろうと思っていたのだが、意外にも気負いなくこのお祭り騒ぎを楽しもうとする姿には好感が持てた。
ここ千駄ヶ谷は70年後半に、村上夫妻経営のジャズ喫茶「ピーター・キャット」があったことで知られていて、ムラカミファン巡礼の聖地のひとつとなっているのだ。この時代にデビュー作「風の歌を聴け」が発表され、群像新人賞をうけたのは1979年のこと。個人的なことを告白してしまうと、どっぷり大学生時代にこの作家に惹かれていて、新作が発表される都度に軽やかに時代感覚を掬っていく乾いた文体と作品にちりばめられる音楽の固有名詞にハマっていった。それは爆発的に売れた「ノルウェイの森」の次のあたりから、何故か次第に離れてしまう。
ところがここ数年また村上春樹が読みたくなって、2013年「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」、2014年「女のいない男たち」と続けて新作を手に取っている。その世界は、初期の作風により回帰しているように思う。とくに「色彩を持たない・・・」は、名古屋とヘルシンキが舞台として選ばれていたことに不思議な符丁を感じ、主人公の“巡礼の旅”に自分の心境を重ねて読んでいった。
これまで生きてきた中で、巡礼の旅って、いったい何なのだろうと思う。ムラカミ巡礼聖地として、最初の喫茶店を構えた国分寺や作家の早稲田大学学生時代、入寮していた和敬塾のある目白周辺、作家専業となってから住んだ藤沢市鵠沼や大磯などの地名があがる。そのいずれもをついでがあると歩いて巡った。小説やエッセイの舞台としては、青山・京都山科・名古屋・北海道・北欧のヘルシンキなど。
さて、ノーベル賞が話題となる頃、家人のお知り合いの方から北欧を旅行してきたお土産に、たいていの受賞者が記念に購入するという、受賞金メダルをかたどったというおなじみ?のチョコレートを一個だけいただいた。金色の包装の表面には、創設者ノーベルの横顔があって、ダイナマイト発明者の遺産が個人の名を冠した、世界で最も著名な表彰式のもとになっていることに思い至る。そのチョコの味は、すこしほろ苦くて、甘さとのバランスが絶妙、のような気がした。
この時期は、毎年テレビ新聞紙上でノーベル賞発表のニュースが話題になる。いったい、いつからこの様に受賞が決まる前からイベントととして騒がれるようになってきたのだろうか。ここ数年日本人が複数受賞していて身近に話題にしやすくなっていることがあるだろう。スマホなどで個人が気軽にインターネット上の情報をリアルタイムに入手しやすくなっていることもある。でも、もっとも影響が大きいのは、ここのところずうと文学賞候補にあがっている、日本人ならその名前を知っている作家村上春樹の存在だろう。村上春樹文学作品そのものというより、その周囲を巡っての複数のメディアが作り出す様々な話題=ウワサのようなものである。それだけノーベル賞のブランド価値が高いとも言えるからで、ちなみに受賞した場合の賞金は、それぞれの分野で一億一千万円余りだそうで、なるほど騒がれるだけの現世的価値はあるみたい。
昨晩八日午後8時すぎ、かくいう私もたまたまインターネット画面で今年の文学賞受賞決定がストックホルムで発表されるというのを見かけて、その話題の瞬間を待っていた。と、画面を切り替えて戻すと、標題は「文学賞受賞はベラルーシの作家」とあって、なんだか話題が先延ばしされてすこし落胆したような気分をあじわうこととなった次第。それでも、世界一般の本命はこの女性作家だったというから、日本以外の国々の受け止め方としては順当な決定だったのだろう。受賞記事によれば、戦争を巡る女性やチェルノブイリ原子力発電事故問題に関するインタヴューをまとめた作品を発表するなど社会派と目され、2003年に来日して講演もおこなっている。
その意味では、最近の村上春樹も、オウム真理教事件や湾岸戦争に関して著作を発表したり発言を行っているので、受賞に向けて毎年話題をひっぱりつつ、案外その時は近いのかもしれない。ご本人は「競馬じゃあるまいし、ちょっと迷惑(わずらわしい?)」とコメントしていて、実にその通りだとしても、意図ぜざる“社会的戦略”があるのかもしれない。少なくとも出版界や書籍業界にとってはありがたい話だろう。それにしても、“ムラカミ不受賞”が受賞以上に話題になるニッポンも平和で不思議な国なのだろう。本人が直接表にでないことで、さらに周りが必要以上に過熱する現象を生んでいるといえる。
今朝のNHK番組では、いったい村上春樹って何?という、その作品の初心者むけのきわめてまっとうなレポートを行っていた。なんだかんだと言いながら、やっぱり興味深くて見てしまった。
昨年あたりは、ハルキストの聖地?らしい中央線沿線のブックカフェからの中継がよく流されていたのだけれど、さすがに同じネタは使えなかったようで、今回は千駄ヶ谷の鳩森八幡神社境内に集まったファンたちがノーベル賞委員会サイトをプロジェクターで野外のスクリーン投影して眺めている様子や、地元のかつて村上夫妻も通っていた書店主のコメントと店内ムラカミ縁コーナーが紹介されていた。少し斜めに構えてどんなものだろうと思っていたのだが、意外にも気負いなくこのお祭り騒ぎを楽しもうとする姿には好感が持てた。
ここ千駄ヶ谷は70年後半に、村上夫妻経営のジャズ喫茶「ピーター・キャット」があったことで知られていて、ムラカミファン巡礼の聖地のひとつとなっているのだ。この時代にデビュー作「風の歌を聴け」が発表され、群像新人賞をうけたのは1979年のこと。個人的なことを告白してしまうと、どっぷり大学生時代にこの作家に惹かれていて、新作が発表される都度に軽やかに時代感覚を掬っていく乾いた文体と作品にちりばめられる音楽の固有名詞にハマっていった。それは爆発的に売れた「ノルウェイの森」の次のあたりから、何故か次第に離れてしまう。
ところがここ数年また村上春樹が読みたくなって、2013年「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」、2014年「女のいない男たち」と続けて新作を手に取っている。その世界は、初期の作風により回帰しているように思う。とくに「色彩を持たない・・・」は、名古屋とヘルシンキが舞台として選ばれていたことに不思議な符丁を感じ、主人公の“巡礼の旅”に自分の心境を重ねて読んでいった。
これまで生きてきた中で、巡礼の旅って、いったい何なのだろうと思う。ムラカミ巡礼聖地として、最初の喫茶店を構えた国分寺や作家の早稲田大学学生時代、入寮していた和敬塾のある目白周辺、作家専業となってから住んだ藤沢市鵠沼や大磯などの地名があがる。そのいずれもをついでがあると歩いて巡った。小説やエッセイの舞台としては、青山・京都山科・名古屋・北海道・北欧のヘルシンキなど。
さて、ノーベル賞が話題となる頃、家人のお知り合いの方から北欧を旅行してきたお土産に、たいていの受賞者が記念に購入するという、受賞金メダルをかたどったというおなじみ?のチョコレートを一個だけいただいた。金色の包装の表面には、創設者ノーベルの横顔があって、ダイナマイト発明者の遺産が個人の名を冠した、世界で最も著名な表彰式のもとになっていることに思い至る。そのチョコの味は、すこしほろ苦くて、甘さとのバランスが絶妙、のような気がした。