水無月十日は「時の記念日」。前日の九日の仕事帰りに見上げた南の空の方向は雲が切れていて、くっきりとした満月が望めた。その月明かりは、翌日のからりと晴れた暑い一日への予兆だった。時の記念日にまつわるエピソードをしらべてみたら、制定は意外と新しく1920年の大正時代のこと、文部省国立天文台の旗振りで、日本書紀の中の天智天皇にかかわる水時計の記述にもとづいて定められたのだそうだ。たしかに天文学と時の流れには結びつきがあるよなあ。
この日と重なる今年で22回目のメモリアルデーは、梅雨の合間にからりと晴れた気持ちのよい真夏日の一日となった。何をして過ごそうかと昼前、思い立ってささやかな昼食会と映画を見に行くことにした。自宅から続く緑道の木陰を自転車で走るときに、さわやかな風が流れていくのを感じる。つきみ野駅近くの蕎麦屋へ到着、ここは店名「ほりのうち」にあるように、経営者が新潟ゆかりのお店だ。入口の壁面には、淡い青緑色の大谷石が貼られていて、ガラス窓には簾が下がり、落ち着いた雰囲気の店内。中央には電動の石臼が回っていて、その場でそば粉をひいている様子を小さい子供が「がんばれー、かんばれ」といいながら眺めている。ふたりでかき揚と天ぷら盛り合わせに蕎麦の昼食をいただく。蕎麦は冷たくほんのりと青緑色に締まっていて、さきほどの大谷石の色を連想させるのがいい。お会計はちょうどの三千円なり。ささやかな記念の会食のひととき、いまの身の程に見合っている。
ふたたび、自転車で五分のショッピングセンター内映画館へ。ちょうどここで上映中の「ターシャ・チューダー 静かな水の物語」(2017年、配給:KADOKWAWA)を見る。絵本作家として知られるターシャへの10年間の取材をもとに、とても丁寧に作られた映像詩のようなドキュメンタリーである。昨年は、ターシャの生誕101年目にあたり、まほろデパート催事場での巡回展覧会が開催されているのを見ることができた。そこではじめてその名を知り、彼女の確固とした生き方と旧くて新しい暮らしぶりにいたく興味を抱かされたのだ。どこか郷愁を誘うようなまっとうな田舎暮らし、それは私自身の田舎の小さいころの暮らしを思い出させるところがあったからだろう。
スクリーンいっぱいに映し出されるのは、アメリカバーモンド州の山奥にある平屋建て木造民家の周囲にあふれる豊かな緑の木々と花花の風景。18世紀築の友人宅を模したという家のたたずまいは美しく、その家屋の庭園は野草と園芸植物が適度にまじりあって、とても満ち足りた豊かな生活感があふれていた。新鮮な食材で作られた食事、完熟したリンゴを絞って流れだすジュース、蜜蝋に浸してつくる天然ローソク作り、クリスマスのしつらえ、暖炉の前で手作りの人形によるマリオネット劇場を楽しむファミリーの姿。そこに添えられた音楽は、繊細かつ控えめであり、映像をいっそうひきたたせる。
劇中、ターシャの生い立ちが紹介される中で、H.D.ソロー(1817.7.12-1862.5.6)のことばが引用されていて、ああなるほどねって感じ入ってしまった。やはり、このふたりの生き方には時代を超えて共鳴し合うものがあると思っていた。つぎのソローのことばは、自然に寄り添って暮らしたターシャにこそふさわしい。
「この広い花園を歩き、自然の穏やかな力と荘厳なもろもろの啓示を深く感受するために」
ターシャの父親がマルチな才能を発揮するヨット・船舶・飛行機などの製造技師で、母親は「肖像画家」というのもおもしろい。その遺伝子は、絵本作家としての才能として受け継がれていっただろうし、なによりもターシャの暮らし方そのものが真実であり、創造性にあふれていた。彼女が“サイレント・ウオーター教”と呼んだその生き方の信条は「静かな水のように穏やかであること。周りに流されず自分の早さで進むこと。」
人生は短いのだから自分のこころの真実の声に耳を澄ませ、良く考えて選択をし、人生を存分に楽しむことが大切と。ターシャは問いかける、「忙しすぎて(余裕を失い)こころが迷子になっていない?」って。
ミミズク対談はここで行われた? 大磯鴫立庵のちかくで。
この日と重なる今年で22回目のメモリアルデーは、梅雨の合間にからりと晴れた気持ちのよい真夏日の一日となった。何をして過ごそうかと昼前、思い立ってささやかな昼食会と映画を見に行くことにした。自宅から続く緑道の木陰を自転車で走るときに、さわやかな風が流れていくのを感じる。つきみ野駅近くの蕎麦屋へ到着、ここは店名「ほりのうち」にあるように、経営者が新潟ゆかりのお店だ。入口の壁面には、淡い青緑色の大谷石が貼られていて、ガラス窓には簾が下がり、落ち着いた雰囲気の店内。中央には電動の石臼が回っていて、その場でそば粉をひいている様子を小さい子供が「がんばれー、かんばれ」といいながら眺めている。ふたりでかき揚と天ぷら盛り合わせに蕎麦の昼食をいただく。蕎麦は冷たくほんのりと青緑色に締まっていて、さきほどの大谷石の色を連想させるのがいい。お会計はちょうどの三千円なり。ささやかな記念の会食のひととき、いまの身の程に見合っている。
ふたたび、自転車で五分のショッピングセンター内映画館へ。ちょうどここで上映中の「ターシャ・チューダー 静かな水の物語」(2017年、配給:KADOKWAWA)を見る。絵本作家として知られるターシャへの10年間の取材をもとに、とても丁寧に作られた映像詩のようなドキュメンタリーである。昨年は、ターシャの生誕101年目にあたり、まほろデパート催事場での巡回展覧会が開催されているのを見ることができた。そこではじめてその名を知り、彼女の確固とした生き方と旧くて新しい暮らしぶりにいたく興味を抱かされたのだ。どこか郷愁を誘うようなまっとうな田舎暮らし、それは私自身の田舎の小さいころの暮らしを思い出させるところがあったからだろう。
スクリーンいっぱいに映し出されるのは、アメリカバーモンド州の山奥にある平屋建て木造民家の周囲にあふれる豊かな緑の木々と花花の風景。18世紀築の友人宅を模したという家のたたずまいは美しく、その家屋の庭園は野草と園芸植物が適度にまじりあって、とても満ち足りた豊かな生活感があふれていた。新鮮な食材で作られた食事、完熟したリンゴを絞って流れだすジュース、蜜蝋に浸してつくる天然ローソク作り、クリスマスのしつらえ、暖炉の前で手作りの人形によるマリオネット劇場を楽しむファミリーの姿。そこに添えられた音楽は、繊細かつ控えめであり、映像をいっそうひきたたせる。
劇中、ターシャの生い立ちが紹介される中で、H.D.ソロー(1817.7.12-1862.5.6)のことばが引用されていて、ああなるほどねって感じ入ってしまった。やはり、このふたりの生き方には時代を超えて共鳴し合うものがあると思っていた。つぎのソローのことばは、自然に寄り添って暮らしたターシャにこそふさわしい。
「この広い花園を歩き、自然の穏やかな力と荘厳なもろもろの啓示を深く感受するために」
ターシャの父親がマルチな才能を発揮するヨット・船舶・飛行機などの製造技師で、母親は「肖像画家」というのもおもしろい。その遺伝子は、絵本作家としての才能として受け継がれていっただろうし、なによりもターシャの暮らし方そのものが真実であり、創造性にあふれていた。彼女が“サイレント・ウオーター教”と呼んだその生き方の信条は「静かな水のように穏やかであること。周りに流されず自分の早さで進むこと。」
人生は短いのだから自分のこころの真実の声に耳を澄ませ、良く考えて選択をし、人生を存分に楽しむことが大切と。ターシャは問いかける、「忙しすぎて(余裕を失い)こころが迷子になっていない?」って。
ミミズク対談はここで行われた? 大磯鴫立庵のちかくで。