ウイークデーの中日にあたる振替休日は、さわやかな陽光で晴れ晴れとして気持ちのいい朝となった。こんな日はゆったりと気分よく過ごそう。目覚めに野菜ジュース、そしてオープンサンドの朝食、あたたかい緑茶をいただく。
きょうは、午前中の通院と夕方の歯科検診の予定がある。その間は何をしてもいい自由時間だから、久しぶりに車を運転して、お昼はどこかで外食をとり、すこし離れた展望塔のある大きな公園へ行こう。そう決めて、これから目を通したい本と見たい映画情報について確認をすることに。
インターネットで平凡社からでているコロナブックスのシリーズ、二年前に出版された「聴竹居 藤井厚二の木造モダニズム建築」を探す。京都と大阪の境目、大山崎町の丘の中腹の森の中にある。かつてすぐ近くまで辿り着きながらも眺めてみることが叶わなかった住宅建築、その立地そのものが大変に展望が開けて素晴らしい。入ることのできなかった大広間のガラス窓からの眺めはすばらしいだろう。いつかふたたび訪れて中に入ってみたいと思っているけれど、すぐには難しそうだ。まずはそのたたずまいと空間を本で確認をしておきたいと思う。
ついでながら眺めると、このコロナシリーズ、内外の旅への誘い、日本歳時記や重森三玲、茨木のり子、パウル・クレーを巡る冊子など、ほかにもなかなか魅力的なタイトルが並ぶ。きっといつか手に取ることになるだろう。本の世界の次は「午前十時の映画祭」の上映予定ラインナップを確認して、見たい作品をピックアップ、今後のスケジュールの見当をつける。これからの梅雨の時期の午前中のお楽しみの過ごし方になるだろう。
予約時間が近くなったので、読みかけの本「奇跡の自然 三浦半島小網代の谷を“流域思考”で守る」を持ってちかくの病院へ、待合い時間中に目を通す。受診後にいったん支度に戻ってから車で移動して公園とむかう途中、お目当てのオリエンタルレストランへ。お店の前の駐車スペースはいっぱい、それではと迂回して反対側の駐車場へ入れるために前を通りかかると様子がいつもと違う。なんとそのレストランは閉店してしまっていて、別のお店に変わっていたのだった。ベトナム・タイ料理のメニューはもちろん、インテリアもスタッフの接客も丁寧、お気に入りで何度も通ったレストランだったのに、なんとまあ、茫然自失とはこのことだろうか。行きつけのお店が移転ではなく無くなってしまうのは、本当に哀しい思いがする。
しばらく郊外へ走って公園へ到着。駐車場を進んでいくと同じデミオグリーンが停まっていて、そのすぐ横がちょうど空いている。並んで停めて車のエンジンをきる。同じ相模ナンバーで、番号四ケタの並びも三ケタまでいっしょ、こんなおもしろい偶然もあるものだ。
公園の緑陰広場ベンチで、アイスカフェを飲みながらさきの読書の続き。ひんやりとした空気、周囲の紫陽花が色づいて見ごろとなっている。しばらく読み進めるうちに、久しく訪れていない小網代の森と干潟の自然にまた触れてみたくなった。
せっかくなので公園を横切る水道みちを三百メートルほど歩いて、水無月園と呼ばれている花ショウブ田圃を眺めにいく。ちょうど見頃の時期を迎えていてあたり一面の紫、白、そしてすこしの黄色の花々。たしかに見事ではあるけれど、年々ほころびが目につきだしているのが残念だ。何事も日頃の手入れが大事なのはいっしょで、せめて開花の時期、田圃の給水だけでも行き届かないものかと願う。
夕方、戻っての一年ぶりの歯科検診、歯石をとってもらいすっきり。終わって向かいの陶器店に立ち寄り、いつも見かける老主人とさりげない話をしながら、すこし深めの飯茶碗ひとつと瀬戸焼の湯のみをふたつ求める。地元商店での陶器買いはほんとうに久しぶりだ。この小さな商店街も代替わりしてテナント貸しが増えてそのまま商売を続けているのは、こちらの陶器店と日本茶専門店、靴屋に畳屋、少し離れた和菓子、八百屋くらいだろうか。お隣の南林間が本店の欧風菓子クドウは学生時代からのおなじみで健在だ。いついっても気持ちが良くて上品な店内の雰囲気、ケーキならここだ。
もとめた湯飲み茶碗、有田焼の粉引仕上げ
帰り道、踏切を渡って病院の裏手を通るとそこはぐるり無粋なフェンスで囲まれ、敷地内の豊かだった木々はすっかり伐採、整地されてしまって、まもなく高層マンションの建設がはじまろうとしている。はりつくように新しい小さな提供公園が整備されて、そこには名残りの桜とケヤキの大木がそれぞれ一本づつ残されいた。
ここも大きく変わってしまって、変わらぬものは一直線に伸びる小田急線線路(昭和4年開通)と水道みち(明治20年導水)の新旧ライフラインか。その「よこはま水道みち」は、このさきの旧津久井郡の道志川まで伸びる。
この季節、陽は長くなってもう夕方六時になろうとするのにまだ空は明るい。
きょうは、午前中の通院と夕方の歯科検診の予定がある。その間は何をしてもいい自由時間だから、久しぶりに車を運転して、お昼はどこかで外食をとり、すこし離れた展望塔のある大きな公園へ行こう。そう決めて、これから目を通したい本と見たい映画情報について確認をすることに。
インターネットで平凡社からでているコロナブックスのシリーズ、二年前に出版された「聴竹居 藤井厚二の木造モダニズム建築」を探す。京都と大阪の境目、大山崎町の丘の中腹の森の中にある。かつてすぐ近くまで辿り着きながらも眺めてみることが叶わなかった住宅建築、その立地そのものが大変に展望が開けて素晴らしい。入ることのできなかった大広間のガラス窓からの眺めはすばらしいだろう。いつかふたたび訪れて中に入ってみたいと思っているけれど、すぐには難しそうだ。まずはそのたたずまいと空間を本で確認をしておきたいと思う。
ついでながら眺めると、このコロナシリーズ、内外の旅への誘い、日本歳時記や重森三玲、茨木のり子、パウル・クレーを巡る冊子など、ほかにもなかなか魅力的なタイトルが並ぶ。きっといつか手に取ることになるだろう。本の世界の次は「午前十時の映画祭」の上映予定ラインナップを確認して、見たい作品をピックアップ、今後のスケジュールの見当をつける。これからの梅雨の時期の午前中のお楽しみの過ごし方になるだろう。
予約時間が近くなったので、読みかけの本「奇跡の自然 三浦半島小網代の谷を“流域思考”で守る」を持ってちかくの病院へ、待合い時間中に目を通す。受診後にいったん支度に戻ってから車で移動して公園とむかう途中、お目当てのオリエンタルレストランへ。お店の前の駐車スペースはいっぱい、それではと迂回して反対側の駐車場へ入れるために前を通りかかると様子がいつもと違う。なんとそのレストランは閉店してしまっていて、別のお店に変わっていたのだった。ベトナム・タイ料理のメニューはもちろん、インテリアもスタッフの接客も丁寧、お気に入りで何度も通ったレストランだったのに、なんとまあ、茫然自失とはこのことだろうか。行きつけのお店が移転ではなく無くなってしまうのは、本当に哀しい思いがする。
しばらく郊外へ走って公園へ到着。駐車場を進んでいくと同じデミオグリーンが停まっていて、そのすぐ横がちょうど空いている。並んで停めて車のエンジンをきる。同じ相模ナンバーで、番号四ケタの並びも三ケタまでいっしょ、こんなおもしろい偶然もあるものだ。
公園の緑陰広場ベンチで、アイスカフェを飲みながらさきの読書の続き。ひんやりとした空気、周囲の紫陽花が色づいて見ごろとなっている。しばらく読み進めるうちに、久しく訪れていない小網代の森と干潟の自然にまた触れてみたくなった。
せっかくなので公園を横切る水道みちを三百メートルほど歩いて、水無月園と呼ばれている花ショウブ田圃を眺めにいく。ちょうど見頃の時期を迎えていてあたり一面の紫、白、そしてすこしの黄色の花々。たしかに見事ではあるけれど、年々ほころびが目につきだしているのが残念だ。何事も日頃の手入れが大事なのはいっしょで、せめて開花の時期、田圃の給水だけでも行き届かないものかと願う。
夕方、戻っての一年ぶりの歯科検診、歯石をとってもらいすっきり。終わって向かいの陶器店に立ち寄り、いつも見かける老主人とさりげない話をしながら、すこし深めの飯茶碗ひとつと瀬戸焼の湯のみをふたつ求める。地元商店での陶器買いはほんとうに久しぶりだ。この小さな商店街も代替わりしてテナント貸しが増えてそのまま商売を続けているのは、こちらの陶器店と日本茶専門店、靴屋に畳屋、少し離れた和菓子、八百屋くらいだろうか。お隣の南林間が本店の欧風菓子クドウは学生時代からのおなじみで健在だ。いついっても気持ちが良くて上品な店内の雰囲気、ケーキならここだ。
もとめた湯飲み茶碗、有田焼の粉引仕上げ
帰り道、踏切を渡って病院の裏手を通るとそこはぐるり無粋なフェンスで囲まれ、敷地内の豊かだった木々はすっかり伐採、整地されてしまって、まもなく高層マンションの建設がはじまろうとしている。はりつくように新しい小さな提供公園が整備されて、そこには名残りの桜とケヤキの大木がそれぞれ一本づつ残されいた。
ここも大きく変わってしまって、変わらぬものは一直線に伸びる小田急線線路(昭和4年開通)と水道みち(明治20年導水)の新旧ライフラインか。その「よこはま水道みち」は、このさきの旧津久井郡の道志川まで伸びる。
この季節、陽は長くなってもう夕方六時になろうとするのにまだ空は明るい。