めばちこ ものもらい は、二つを使ってきた。解説に、めばちこ は、近畿地方で高年層から若年層まで多く使用され、語源について、メ 目 ハチ こじき コ に由来するという説がある。また、俗説のように 目をパチパチすることにあるとするものがある。関西地方の広い分布があると言うが、京都、滋賀は除かれるのは何故か。そこには、めいぼ めんぼ という語形である。めんぼ について、メンボウ 綿棒、メノ+ボウ を推測したことで生まれた語形というには、その根拠は、いかがか。さて、俗称ものもらい、内麦粒腫と外麦粒腫に分けられる。百科全書の説明より。
>内麦粒腫は瞼板腺(けんばんせん)(マイボーム腺)の急性化膿(かのう)性炎で、眼瞼(まぶた)が赤く腫(は)れてその裏面にまで及び、圧痛がある。普通、1週間くらいで自然に排膿して治癒する。外麦粒腫は睫毛(しょうもう)(まつげ)の毛嚢(もうのう)の脂腺(ツァイス腺)の急性化膿性炎で、眼瞼縁に近いところが赤く腫れて痛む。これも1週間ぐらいで自然排膿して治癒する。
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現代日本語文法文章論 題材は、タイトルが、蓄音機と音楽 とある。日本経済新聞の文化面、20141005付けである。執筆者は、 黒崎政男 氏である。なお、有料会員サイトであり、著作の全文をこのように言語分析に資料としているので、そのことをお断りするとともに、ここにお礼を申したい。
冒頭の文は、次である。
> 1877年にエジソンの円筒式蓄音機からはじまった〈音〉の記録は、今日では、mp3などデジタル・ファイルの形で存在するようになった。
末尾の文は、つぎである。
>いずれにせよ、蓄音機とSPレコードは今日、音楽が何であったか、何でありうるか、を鮮やかに描き出してくれるように思われるのである。
書き出しの文段は、次のようである。
> 1877年にエジソンの円筒式蓄音機からはじまった〈音〉の記録は、今日では、mp3などデジタル・ファイルの形で存在するようになった。私もネットワーク・オーディオで、主に1950年代以降のステレオ音源を聴く。いわゆるハイレゾ音源で、おどろくほど高音質で目の覚めるような音となり、従来のオーディオとは次元の違うクオリティだ。だが、それと同時に、ほぼ1900年から1950年の50年間に作られた78回転SPレコードを蓄音機で聴く、という行為(もともと長く続いている趣味だが)も、ますます充実した意味を持ってくるように感じている。なぜか、100年も前の過去の遺物である蓄音機とSPレコードが、この21世紀にもなって、私を夢中にさせるのだ。 . . . 本文を読む
語彙を選定し教育語彙、学習語彙とすることがさきに行われた。それを語学用の、言語習得の基礎語彙として選定したものである。それは学習に必要な、日常の生活に必要という基準がつくられたのであるが、その内実は、基礎と称するものを集めたということであった。本来、基礎にはその重要性から見てそれぞれの選択基準があってもよい。ちなみに、日本語を選ぼうとするなら、わたしたちは現代日本語の語彙はカタカナ語を多く含むこととなるだろうことをよく知るから、漢字を熟語として単語にする語彙に加えて、カタカナとその翻訳、言いかえによる平仮名の語彙のことなど、数量を限定するとその語の出入りによって、漢字、カタカナ、平仮名とそれぞれの単語を登録してしまうことになる。つまり通常の3倍になるというような仕儀である。それを研究、学者の経験と知識など、その主観に任せるのではなくて言語資料を基に決めようとして算出されたのが基本語彙のとらえ方である。 . . . 本文を読む
議論の決着がつかないこととしてたとえられる。それはまた何故か。もとは、後北条氏における重臣会議のこと。月2回開かれ、諸事を決した行政機構であるとされるのが評定である。そしてまた、小田原評定という言葉は、いつになっても結論の出ない会議や相談という意味になっている。比喩表現として使われるのは、秀吉による小田原攻めにある、小田原談合、小田原咄などともいうようだが、1590年、天正18年豊臣秀吉が、後北条氏を相模小田原城に攻めたとき、城内の評定で対策が評議されたが、空しく日を過ごすのみであったという故事からである。一般にいつまでもまとまらない会議,相談を指すようになったと、解説する。おりから大河ドラマを見ていた、黒田官兵衛が単身、降伏をすすめ和議を申し込むという場面であった。
小田原デジタルアーカイブにも北条市の戦略、とするものがある。>しかし、本来の「小田原評定」は、後北條氏が当主の専制政治でなく、重臣たちを評定衆とし、いわば民主的な合議政治を行ったことがルーツであった。
戦国大名というと、何となく「黙ってオレについてこい」式の武将のイメージが描かれるが後北條氏はそうではない。 . . . 本文を読む
類聚名義抄、また名義抄とも言う。原撰本と改編本が知られている。漢字字書である。編者、成立は未詳、原撰系は、院政初期、おそらく1100年前後に法相宗の学僧によって編纂されたとされるが、伝えられているのは完本ではない、零本である。仏典音義を部首分類体に編纂し直した字書である。その価値は、>⑴当時の日本語語彙(漢文訓読語)を多数記載し,それらに声点(アクセント)を極めて正確に注記すること,⑵中国・日本の逸書を多く含むこと,⑶内容も学問的にハイレベルであること、観智院本類聚名義抄の掲出項目数と掲出字数、池田証寿氏による。そして、観智院本、建長3年、1251年、顕慶書写が唯一の完本として伝えられて、これによると、>改編本系『類聚名義抄』の成立は,12-13世紀(院政後期か鎌倉初期)頃,真言宗の学僧による編纂とされる。同上による。日本語は、この字書により、漢字を訓読みとした記録を集める。>観智院本『類聚名義抄』の本文は,ある掲出字句に対して,字体注(「正」「通」「俗」等),音注(漢音は反切,類音注,呉音は類音注,片仮名注で注記),意義注(漢文による釈義),片仮名和訓が施される。
観智院本『類聚名義抄』全体の掲出項目数は,31,979項目であり,従来算出された数値の約 32,000に合致する。
次に観智院本『類聚名義抄』の掲出字数をみると,全体で 42,328字であった。いうまでもなくこの数値は,延べの掲出字数である。 . . . 本文を読む
4人発見、死者51人に 御嶽山、豊田の小5女児ら 2014/10/5 朝刊
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山頂付近で見つかった登山者をヘリコプターに運ぶ自衛隊員=4日午後3時18分、長野・岐阜県境の御嶽山で、本社ヘリ「おおづる」から(内山田正夫撮影)
戦後最悪の火山災害となった長野、岐阜県境の御嶽(おんたけ)山(三、〇六七メートル)の噴火から一週間を迎えた四日、長野・岐阜両県警や自衛隊などでつくる救助隊は雨で中断していた捜索活動を二日ぶりに再開し、山頂付近で新たに心肺停止状態の四人を発見した。
迫る台風、土石流に警戒 2014/10/5 朝刊
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大型で非常に強い台風18号は四日、本州南海上を北北西に進んだ。今後進路を北東に変え、中部地方には六日に最接近する。雨は五日から降り始め、六日にかけて非常に激しい雨が降りそうだ。 . . . 本文を読む