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「泥」緞帳はゆっくり・・青葉テイコ

2007年07月26日 | 川柳
      ☆「泥」終刊号より・・・緞帳はゆっくり・・・青葉テイコ☆

 三人衆の止むに止まれぬ思いが炸裂した。
           駆り立てられたものは何だったのだろう泥。

 異なるキャラクターを持つ各々が、原型を留めたまま、凌ぎを削り合うた小劇場。
それも温かく厳しく見守ってくれた観客があればこそ・・。迸るもの泡立つものを、誰に制約されることなく、自由奔放に表現し得たことは、裸身を晒すにも似て面映い。

 それが、三人の生きる姿勢だとしたら、折り合いをつけるのも、むべなるかな。
日本人の心を捉えて咲く、さくら ぱっと咲いて散る花の美学にも似ての「泥」と言ったら、少しかっこよすぎるかな・・。

 「泥」に明け暮れ、産まねばならなかった三年の歳月は、たまらなく愛おしい。
星になれたか 小劇場の舞台俳優たちの、演技ならぬ演技が、神業と評したら究極のナルシストと、嘲笑されそうだが、満たされていま、舞台を去る至福を、ふと思う。
 
 沢山の血を肉を観客の皆さんから頂いて、「泥」は岐立した。

 ありがとう・・・の言葉を残して舞台を去る深々と頭をたれて・・・
緞帳はゆっくり・・・降りる。

「泥」を支えて下さった皆様へ万感の想いを。(テイコ) 2004年10月

   ☆この「泥」の最終号の挨拶文を何度、何度読んだか分からない。☆

 句作に詰まれば、ふとページを開き・・壁にぶつかれば・・又開き。
その都度、訳もなく・・涙が溢れ・・又、溢れ。

 今まで、どんな有名な作家の本を読んだってこんなことは無かった。
この、文章は私の生涯にとって・・句想の活力の源と言っていいだろう。
 なぜ、何度も(今もそうですが)感動してしまうのか・・・「泥」を私の指先からキーボードに触手することによって、より自分の糧となりますように・・願いを込めて折々のページをここに、また、泥の珠玉の言葉を復活させたい!
 このブログの始まりも行き着く先も、池さとし、青葉テイコ、佐藤容子三氏の現代川柳「泥」をブログに載せることが私の本望とするところです。

 初めて青葉テイコ姉上(函館出身)にお逢いした時に、「テイコさんの文章を読むといつも涙ボロボロになっちゃうんですけれど・・どうしてでしょうか?」と、お聞きしたら
「きっと、それは私が泣きながら書いているからでしょう・・それが、伝わるのでしょう!」と、答えて下さいました。「私はいつも、泣いて句を作ることが多いですからねー」

 趣味に毛の生えた川柳しか知らない私は、北海道のトップを極めた御三人の「川柳」に対する「命がけの真摯な姿勢」に唸るしかなかった。

       この出逢いが・・私の川柳への開眼となりました。


コメント
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