幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶である。
あの悲惨な戦争を知らない世代が、ほとんどになってしまった。
知らないままに、政治が行われている恐ろしさを、今こそ、思いしめなければならない。
戦後70年の5年前の過去ログである。
幼なかった昭和の戦争の語り部の記憶である。
終戦と同時に、外地から、兵隊たちが、引き上げ始めた。
今の団塊の世代の親達である。
隊列を組んで、堂々と行進してくる隊もあったが、一人でひっそりと帰還して来るものもあった。
送られた戦場によって、条件が異なっていたのであろう。
そんな兵隊たちは、出征前の職場へそれぞれ帰って行ったのであろう。
mcnjの町からも出て行った兵隊で、帰って来た者もいた。
竹屋だったか、のこぎりの目立て屋だったか、忘れたが、手に職を持っていたので、幸せな方で有った。
そんな兵隊の所へ遊びに行って話を聞くのが楽しみであった。
どんな話を聞かされたのか、ほとんど覚えていないが。
米兵と直接戦闘したわけでは無いと思うが、日本兵は、皆、出征前に叩き込まれた、大和魂で、勇敢に戦ったと言う様なことを言っていた。
向こうは、鉄砲よりも、命を大事にするので、日本兵一人を殺すのに、鉄砲玉、500発は撃って来たとか、我々は、陛下からお借りした鉄砲玉だから、大切に使えと教えられたとか、そんな話を聞いていたように思う。
お前たちは、紙一枚で補給が叶うが、鉄砲玉は、そうは行かない。
命よりも大切にせよとか言われていた。
そんな話であった。
だいぶ後のことである。
mcnjが入社して数年経った頃のことであるから、戦後、20年は経っていただろうか。
出張の途中の電車の中で、帰還兵の経験があるらしい、二人の年配者が話しているのを聞いていた。
戦争の苦労話や、自慢話の後で、あの頃は、良くあんなことをやれたものだ。
今の連中には出来ないことだ。
そうだ、いまの連中に、やれと言っても出来っこない。
そうだろうなあ。
そんな話を、漠然と聞いていたことを覚えている。
①あの頃の兵隊さん
②赤紙
㉚帰って来た兵隊さん
番外編
①昭和天皇と沖縄
②無言館