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花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

戦後70年の記憶、⑦ 灯火管制

2015-04-10 05:51:27 | 日記
戦争も、末期になると、信州のような山奥にも、敵機が飛来して来るようになった。
学校や、公共施設のそばには、防空壕が掘られていたが、やがて、各家庭にも防空壕を設置するようとの指示が出された。
ほとんどの家には、防空壕が掘れる様な場所は無かった。
各戸は、玄関先や屋敷内の地下に竪穴を掘って間に合わせていた。
直撃を受けたらどうしようもないが、横からの爆風くらいは、何とかしのげそうであった。
しかし、焼夷弾などで、延焼をうけたら、ひとたまりもなさそうであった。
爆風を避けたら、飛び出して、どこか、安全な方向へ避難するためのものであったと思う。

兵達が疎開してきた学校などの施設には、資材さえあれば、兵達が、横穴式の、立派な防空壕を作っていた。
もちろん、敵機が飛来して、攻撃してきたら、兵達が避難する場所で、生徒などが、逃げ込める場所ではなかった。
防空訓練が何度かあったが、低学年は、自宅へ帰って待機すること、高学年は、校舎から離れた場所に避難して、敵機が去った後、防火作業を手伝うと言うもので有った。

松本には、都会から疎開して来た生徒が大勢おり、クラスにも、1,2名は必ずいた。
戦争末期には、そろそろ、松本も危ないと言って、さらに、山の中の山村へ、疎開していくものもいた。
実際、松本の住民さえ、疎開を真剣に考え始めていたのであった。

やがて、夜になると、米機が編隊で飛来する様になった。
暗くなると、各戸は、電球の周りに、黒布をかぶせて、灯りが外に漏れないように気を遣わされた。
敵機がこの地方へ向かっているとの情報がつたわると、サイレンが鳴って、一斉に、消灯が指示された
敵機が通過するか、他にそれるかがはっきりするまで、人々は、暗黒の中で、息をひそめていた。
サイレンが止むと、灯火管制が解除となり、黒布をかぶせた灯りが灯された。

ある晩のことである。
また、けたたましいサイレンの音が聞こえ始めた。
あちこちから聞こえてくるサイレンの音から、なんとなく、只事ではなさそうな気配が感じられた。
父と母は、近所の役割があてはめられていたのだろうか、夕がたから家にはいなかった。
暗闇の中で、ひっそりとしていたmcnjのところへ、突然、母が帰って来た。
母は、何か、忘れ物をしたらしく、真っ暗な中で、探し物をしていた。
しばらく、もぞもぞしていたが、どうしても、忘れた物が、見つから無かったのであろうか、決心した様に、
電灯のスイッチを入れた。
そして、目的の物を見つけたのか、電気を消して去って行った。

それから、数分後であった。
突然、大きな炸裂音がして、古い木造の家が、揺れ動いた。
後で聞いたのであるが、市内から、4kmほど離れた山の中に着弾したとのことで有った。
松本の人間たちは、アメリカは、誰もいない山の中に爆弾を落として、馬鹿なことをするものだ。
これでは、日本に勝てるはずが無い、と、喜んでいた。

この爆弾が、松本に落とされた、唯一の爆弾で有った。
この後、数日して、終戦になった。

あの夜、母が点灯した灯りが、着弾のきっかけだったかどうかは、わからない。



バス旅行 4 清水港クルージング

2015-04-09 05:31:16 | 日記
久能山いちご狩りを満喫した後は、また、海岸沿いに走って、清水港日の出桟橋まで行きます。







やがて、船が入ってきました。
ほとんどの客は、ここで降りてしまいました。
バスツアーの団体が、3パーティー乗り込んで、清水港内を、美保港までクルージングを楽しみます。



カモメがあとを追いかけてきます。









20分足らずの短いクルージングでした。


これで、このツアーの目的地は、すべて見終わりました。
あとは、東名に乗って、ひたすら帰るだけです。


大井川。


浜名湖SAから眺めた浜名湖。

静岡県から愛知県に入った途端、大渋滞が始まってしまいました。
約1時間のノロノロ運転でした。


夕日も山に沈んでいきます。



東名高速のサンセット。

途中、予定を変更して、苅谷SAで臨時のトイレ休憩となりました。

ここのトイレは、きれいなトイレで有名だそうです。
便器の後が、花壇になっております。



当たりは、もう、すっかり暗くなりました。

約1時間半の延着で、四日市到着でした。












バス旅行 3 わさび漬工場見学、いちご狩り、 怪しい雲

2015-04-08 05:46:08 | 日記
昼食をとって、おひな様を見学した後は、わさび漬け工場の見学です。




静岡では、有名な漬物屋、田丸屋だそうです。

サービスで、わさびパックのつかみ取り。
穴に手を入れて、掴めるだけ掴んで良いとのことで、頑張りました。
欲張って、思い切り掴んだら、猿の餌取りと一緒で、手が抜けなくなりました。
このままずっと掴みっ放しと言うわけにいきませんので、適当に放して、手を抜きました。
後で数えたら、13個でした。
家内は、9個とか言ってましたので、ずいぶん、控えめでした。



小さなパックですが、そのままで、良いアテになります。

孫たちは、別席で、適当に掴ませてもらっていました。
わさび工場見学の後は、いちご狩りです。


海岸に近いので、風がつよいのでしょう。
風力発電が有りました。



昔は、石垣いちごでしたが、今は、ハウスいちごだそうです。


遠くに山が有って石段が見えます。
1180段だそうです。
山は久能山。
神社は、東照宮です。


下から上るのは、大変で、後ろの、日本平から、ロープウェーで上るのがいいそうです。


日本平の頂上のタワーです。


かわいらしいいちごの花ですね。


30分、食べ放題。
2パック、25~30個で元が取れるとのことで頑張りましたが、20個を超えた所でギブアップ。
元はとれませんでしたが、ほぼ、トントンでした。

バスに戻って、ガイドさんが質問してましたが、一番食べた人は、50以上と言っておりました。

mcnjが早々に退散して、店の人に聞いたら、よく食べるのは、わかい娘達だ、と、憎らしげに言っておりました。
食い逃げされていると思っているのでしょうね。


4月7日朝の四日市。
低気圧が通過して、急に、寒くなりました。





花散しの風でした。

バス旅行 2 駿府匠宿 ②

2015-04-05 08:17:56 | 日記
しばらく、別のテーマでアップしてましたので、遅ればせながら、また、戻ってきました。
約、10日前の旅行記になります。


ひな人形の後は、版画展と伝統工芸の見学です。








館の周りに、沢山の花が咲いていました。













駿府匠宿を後にして、この次は、静岡名物、ワサビ漬け工場見学と、買い物です。