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花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

土手の菜の花に蝶 2015.4、クリスマスローズの種

2015-04-15 05:46:57 | 日記







クリスマスローズの種が大きくなってきたら、お茶パックをかぶせましょう。





パックをかぶせたら、ホッチキスで閉じて、はじけた種が、外にこぼれないようにします。
うつむき加減の花ならこぼれませんが、種が熟すと、遠くに飛ばそうと、上を向いて来ます。
要注意ですね。

戦後70年の記憶 ⑨ 大本営発表

2015-04-14 05:42:37 | 日記
昭和19年後半に入ると、戦況は、ますます、不利になった。
南方の島が陥落したそうで、日本本土全域が、空爆の対象となった。
B29と言うこれ迄にない、大型の爆撃機が飛来するようになった。
本土の南の方から空爆が始まり、海軍の軍事基地、重要軍需工場地帯などが、連日のように空爆された。
そのうちに、大都市も攻撃対象となり、一般市民を巻き込んだ、無差別爆撃へと拡大されていった。

松本には、陸軍第50連隊は有ったが、目立った軍需工場も無く、アメリカも、本土決戦となるまでは、重要な攻撃地点とは、考えていなかったようだった。
上空を、B29が飛行機雲を引いて通過することはあっても、攻撃してくることはなかった。
今までにない、下っ腹に響くような、B29の爆音を聞いて、不気味に思ったもので有った。

こんな戦況にも関わらず、大本営は、毎日のように、どこどこの海戦で大勝利を収めたなどと発表して、ラジオや新聞がそれを、まことしやかに報道していた。
最初の頃は、それを真実だと思って、戦況は、好転するだろうと信じていた日本国民も、東京大空襲などで、日本の圧倒的不利を知ると、大本営は、また、あんなことを発表していると思うようになって行った。
近所の大人や、学校の先生でさえ、陰では、また、あんなことを言っていやがると、悪口を言っていたものだった。
最後には、生徒が嘘を言うことを、お前の言うことは、大本営発表だと揶揄するようになった。
日本が、降伏する前のことである。

戦後70年の記憶 ⑧ 欲しがりません、勝つまでは

2015-04-12 05:30:13 | 日記
3時のおやつと言うものをもらったことが無かった。
そんなものがあると知ったのも、戦後、しばらく経ってのことで有った。
家が貧乏だったことも有ったが、戦争の遂行に明け暮れしている世の中全体に、そんな余裕が無かったのだろう。

表題は、軍部が戦争遂行のために、国民に強要したスローガンの一つである。
家でも、学校でも、こうしたスローガンを叩き込まれた。

他にもいくつか有ったが、忘れてしまった。

贅沢は、敵だ。
鬼畜米英。
貯蓄に励もう。

こんなスローガンも有ったと思う。

国民は、なけなしの生活費を削って、郵便貯金に励まされた。
貯金した金は、膨大なインフレ政策によって、只同然になり、その過程で、戦争遂行のための戦費と化して行ったのである。