四日市から七里の渡しまでのレポートが終わりました。
これからは、四日市内部から、南の方をたどってみたいと思います。
四日市市内には、まだ、このような旧街道の面影が、わずかに残っております。
日永方面には、この1本だけ、松が残っていました。
江戸幕府は、五街道沿いに、松を植えて、旧東海道にもたくさんの松がありましたが、戦時中軍の、燃料不
足を補うため、松根油をとると言って、ほとんど、切られてしまったそうです。
それでも、mcnjが四日市に来た頃は、かなり残されていましたが、松くい虫の被害で、ほとんど枯れてしまい
ました。
日永神社。
追分。
左いせ、右けふ。
小古曽。
奥のビルは、有名な、山中胃腸科外科。
内部駅。
四日市ー内部間の旧東海道は、国道1号と、四日市あすなろう鉄道(旧近鉄内部八王子線から独立した、第三セ
クター)とつかず離れずで走っております。
なろうは、狭いと言う意味で、世界一狭い軌道の鉄道を売り物に、鉄道ファンの人気を集めております。
電車が入って来ました。
中は、こんな感じです。
狭いです。
内部駅の今昔。
小古曽神社。
私事になりますが、45年前に、ここで、式を挙げました。
結婚式は、まだ、自宅か、料亭で挙げる時代でしたが、この神社で祝ってもらって、近くの会社の施設で
披露宴でした。
その前までは、神主を呼んで、施設で式を挙げていたのです。
若い女子社員が、巫女を務めていました。
そんな時代もあったのですね。