すっかり秋めいて、蝶達も、寄って来てくれ始めました。
」
長雨に負けず、頑張っています。
おばさんさんから頂いた生姜の苗も、順調です。
収穫も着々できています。
また家内が収穫して来ました。
新生姜は梅酢につけました。
家内はこんなものも作っていました。
mcnjは結構と言ったら、自分で食べるそうです。
松坂牛ホルモン生姜煮。
夏が過ぎて行こうとしてます。
夏物の処分です。
まこもソーメンです。
ちっと太めですが、ヌルヌル感があって、美味しいです。
内部 町かど博物館においてあった、周辺の説明文。
坂の登り口にあった、金毘羅宮。
登りはじめます。
この道は、通学路、生活道路でもあります。
現在は、滑り止めのついた、コンクリート舗装がなされていますが、日本武尊命や、松尾芭蕉の歩いた道は
どんな道だったことでしょう。
急坂が続きます。
塚がありました。
坂の上に出ました。
坂の上には、小さな集落があり、その先は、国道1号に突き当たっていました。
突き当りには、ゴルフの練習場がありました。
52年前に、独身の連中と打ちっぱなしで遊んだところです。
当時のままです。
あの頃は、打ちっぱなしの奥のネットの向こうで、野生の鹿が走り回っていました。
今は、無いでしょうね。
遠い昔の思い出です。
国道を超えて、さらに街道を進むと、やがて、石薬師に入ります。
次回、また、たどって見たいと思います。
内部川周辺はこんな感じです。
現在の地形。(航空写真)
中央に東西に流れているのが内部川です。
左手が、鈴鹿山脈で、右手が伊勢湾です。
大きな道は、国道1号。
旧東海道は、その下側の人家の中を、くねくねと、杖突坂を上っております。
内部川は、鈴鹿山脈の、鎌ケ岳に源を発し、伊勢平野を下って、鈴鹿川に合流して、塩浜、香良洲(からす)か
ら伊勢湾に注いでいます。
和菓子屋菊屋のすぐ裏から、旧東海道が続いていました。
坂の上り手に、内部町かど博物館がありました。
寄って見ることにします。
昔の内部線の歴史が、ここにもありました。
杖突坂へ向かいます。
内部駅のすぐ南に、内部川が流れています。
交通の難所で、旧東海道には、内部橋が架けられていました。
長さ42間の板橋でした。
現在は、国道1号として、立派な橋となっています。
市内を通過する国道1号と、バイパス25号ー23号の分岐の交差点です。
この先が、新しい内部橋です。
内部川。
川を渡ったところが、采女の町です。
川の向こう側には、大きな洪積世台地が広がっています。
内部川が浸食した沖積世平野から、一気に40米の上り坂になります。
旅人にとっては、難儀な坂でした。
この坂を、杖突坂と言います。
旅人たちは、坂の手前や、途中の茶店で、饅頭を食べて休みながら登っていきました。
万治元年(1658)浅井了意の「東海道名所記」には、「杖突村、杖突坂、ここに饅頭あり、風味すこぶるよし」
と記されております。
「杖突饅頭これなり」と、古来より、名物の一つとして紹介されていました。
その後、明治時代の、国道の開通とともに、杖突坂を上る必要はなくなり茶店もすたれましたが、今も、坂の
たもとには、一軒の和菓子屋が、商売を営んでおります。
銘菓采女の杖突が名物です。
店内には、茶房も設けられています。
杖突もなかを食べながら、お茶をいただくのもいいですね。
四日市には、もう1軒、采女の名物があります。
花月堂の采女の里です。