昼食の後は、浜名湖の方へ、少し下って、浜松市気賀の、大河ドラマ館見学です。
大河ドラマ館に隣接する、旧気賀関所跡の見学です。
旧東海道新居の関所は、入り鉄砲、出女の取り調べが厳しく、大名や豪商の女たちは、これを避けて、浜名湖北を回る道を多様なしました。
このため、この街道は、姫街道と呼ばれました。
幕府は、ここにも、関所を設ける、厳しく取り調べをおこないました。
これが、気賀の関所です。
昼食の後は、浜名湖の方へ、少し下って、浜松市気賀の、大河ドラマ館見学です。
大河ドラマ館に隣接する、旧気賀関所跡の見学です。
旧東海道新居の関所は、入り鉄砲、出女の取り調べが厳しく、大名や豪商の女たちは、これを避けて、浜名湖北を回る道を多様なしました。
このため、この街道は、姫街道と呼ばれました。
幕府は、ここにも、関所を設ける、厳しく取り調べをおこないました。
これが、気賀の関所です。
相次ぐ、当主の死によって、命運の付きかけた、井伊家の窮地を救うべく立ち上がった、直虎は、幼い虎松を守るべく、
今川氏と対立しますが、密かに今川氏と通じていた、小野政次の画策により、城主の地位を失います。
直虎は、母の暮らす、龍潭寺に身を寄せ、虎松の母は、松下清影と再婚、虎松は、父直親と同じ運命をたどり、三河の鳳来寺に
預けられ、一族は、離散に追い込まれてしまいます。
三河には、徳川家康が、勢力を伸ばしていましたが、遠州侵攻をはかるため、今川氏の武将となっていた、井伊谷に詳しい、鈴木重時、
菅沼忠久、近藤康用の、通称、井伊谷三人衆の力を借りて、今川領となっていた、井伊谷城、引間城、堀川城を立て続けに落としてしまいます。
ほどなく、長年、井伊家を支配してきた、今川氏が滅亡し、井伊家の命運は、若き家康と、甲斐の武田信玄の勢力争いの行方にゆだねられることになりました。
元亀3(1572)年、信玄の遠江侵攻により、家康は、三方ヶ原で対峙しますが、大敗を喫し、浜松城に、逃げ帰ることになります。
幸いなことに、この戦いの翌年の、信玄の病死によって、家康の地位は安定なものになりました。
直虎は、虎松を家康のもとに預けて、将来を、託そうとします。
家康は、虎松の利発さを認め、自分の幼名にゆかりの、万千代の名をあたえて、小姓として迎え入れ、井伊谷に、井伊家が領地をもつことを許しました。
井伊家断絶の危機を、寸前で乗り切った直虎は、家康のもとで、数々の手柄を立てて、家康の、筆頭小姓にまで出世して行った、万千代の雄姿を楽しみに、過ごしていきますが、天正10(1582)年、元服する万千代の姿を、見ることなく、同年の直前に、四十数歳の生涯を終えることになります。
許婚と引き離されて、思い悩んだ末に出家して、決死の覚悟で、「女城主」の役目を背負っていった、井伊直虎。
可憐で力強い、橘の花のごとく、運命に立ち向かって行ったその姿をは、今また、我々を、歴史の追憶へ誘ってくれます。
お断り。
mcnjは、大河ドラマは見ておりません。
直虎については、知識がありません。
上の、直虎の生涯については、浜松市編纂の、井伊直虎ガイドブックを参考にしました。
直虎は、井伊家当主、井伊直盛と新野左馬之助親矩の妹の間に誕生した、一人娘とされております。
直盛には、嫡男がなく、いとこの亀之丞を一人娘の許婚として、後を継がせようとします。
天文13(1544)年、今川義元に、謀反の嫌疑をかけられた亀之丞の父、直満が誅殺され、亀之丞も、命を狙われて
しまいます。
一族は、亀之丞を、信濃の国松源寺に身を隠させ、難を逃れようとします。
ここから、直虎の、波乱万丈な運命がはじまりました。
許婚からひきはなされて、悲しみにくれる直虎は、菩提寺の龍譚寺に出家をして、次郎法師を名乗ります。
次郎は、井伊家の跡継ぎの証です。
11年後、無事に井伊谷に戻った亀之丞は、直盛の養子となり、名を直親と改めます。
すでに出家していた次郎法師(直虎)は、昔の許婚との結婚はなりませんでした。
直親の帰還から5年後、井伊家の受難が始まります。
桶狭間の戦いで、直盛が戦死、翌年、待望の男子虎松誕生も、束の間の喜びで、今川氏から、裏切りの嫌疑を
かけられた、直親が、誅殺され、次郎法師の曾祖父直平が戦死、城代を務めた、中野氏、新野氏も戦死してしまい、
井伊家の主だった男子は、4歳の虎松を除き、いなくなってしまいます。
ここで立ち上がったのが、女城主、直虎でした。
↑龍潭寺HP、パンフレットより。
先週の土曜日、雨の中、女城主、井伊直虎、ゆかりの地をめぐるツアーに参加してきました。
主催は、四日市法人会です。
法人会の、北、北西ブロックの、研修ツアーでした。
研修と言っても、税制上の口実で、実際は、慰安旅行です。
税金を正しく納めさせる法人会の、事務局が、こんなことをしております。
雨の中、出発です。
伊勢湾岸道路を走っていきます。
長島スパーランドも、こんな調子です。
霧の中に霞んでいたのでは、運転は、無理でしょう。
いつもなら、満タンの、広い駐車場も、がらがらです。
伊勢湾、名古屋港も、霞んで、遠くが見えません。
遠くの山も、雲に浮かんでいます。
しばらくは、こんな景色をお楽しみ下さい。
山頂に、城があれば、天空の城です。
バスは、豊田東JCから、新東名に入り、引佐ICでおりました。
しばらく下の道を走り、着いたところは、竜が岩洞(りゅうがしどう)です。
洞窟だけに、コウモリの住処のようです。
天井から落ちて来る滝がありました。
ここは、井伊直虎とは、直接関係ありませんが、便乗商売をしていました。
昼食場です。
料理は、きじ肉がメインでした。
食べたのは、次郎法師井の国御膳1800円でした。
きじ亭前の、方広寺、半増坊。
立ち寄る時間外ありませんでした。
続きます。