4年前の過去ログである。
幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶である。
日本が戦争に負けて、教育方針がガラッと変わった。
進駐軍によって強制的に、変えられたのである。
普通の学習内容もそうだし、体育の内容もそうだった。
それまでは、体育と言えば、長距離ランニング、鉄棒、跳び箱、器械体操、剣道、柔道、相撲など、体を鍛える教科がほとんどであった。
いずれ軍隊に行ったときに役に立つように、体を鍛えておえと言うのである。
運動会の競技種目もそうであった。
騎馬戦、棒倒しなど、赤白に分かれて戦うものばかりであった。
これが、肉弾戦となれば、勇猛な日本兵として、米兵をおののかせた所以であったのだろう。
高等小学校ともなれば、もう、大人の仲間入りが当たり前だと言わんばかりに(まだ、今の新制中学の2年生であったが)、
暴れまくっていた。
日本が負けてから、こうした教科は、全くなくなった。
体育の時間と言えば、体操、徒歩競争、遊戯、フォークダンスなどに変わった。
mcnjが1年のときの運動会は、壮烈なものであったが、戦争に負けた年の、2年の運動会は、全く変わったものであった。
騎馬戦、棒倒しなどは、もう、種目に無かった。
徒歩競争、リレーなどは、まだあったが。
新しく取り入れられたのは、遊戯とフォークダンスであった。
男女7歳にして、席を同じゅうせず。
当時の教育方針である。
小学校低学年の席はどうだったか、はっきりとは覚えていない。
たぶん、教室は一緒だったが、席は、別だった様な気がする。
高学年、高等小学校ではどうで有ったろうか。
たぶん、教室も、別で有ったのではないかと思う。
女と遊ぶ、仲良くすると言うことは、恥ずかしいことだと言う意識は、低学年の、mcnjにも有ったかも知れない。
高学年になれば、そんな軟弱なことは、到底出来ないと、もっと、強く意識したことであろう。
高等小学校の競技になり、一番上の兄達がグラウンドに登場してきた。
遊戯の種目である。
皆、頭に、うさぎの形をした、耳の長い帽子をかぶらされて、女生徒と、手をつながされていた。
兄たちの、恥ずかしさにまみれた気持ちは、皆のその表情に現れていた。
音楽に合わせて、ぴょんぴょんと跳ねる遊戯をさせられている兄たちの、屈辱感にまみれた顔は、今でも覚えている。