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花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

戦後70年の記憶(過去ログ)、刀狩

2019-09-16 00:00:00 | 日記

4年前の過去ログである。

幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶である。

あの悲惨な戦争を知らない世代が、ほとんどになってしまった。

知らないままに、政治が行われている恐ろしさを、今こそ、思いしめなければならない。

 

日本が降伏して、

しばらくして役所から通知が来た。
進駐軍からの命令で、武器を隠し持っていてなならない。
提出せよ、とのことであった。
後で、武器の有無については、進駐軍が捜索に入って確認すると言うものであった。

父の曽祖父は、松本藩の下級武士で、藩士で有ったため、脇差を持つことが許されていたらしい。
その刀が、代々伝わっていた。
戦争中の金属の供出の時も、難を逃れた刀であった。
普段は、床の間に飾ってあった刀であったから、近所の連中の目にも止まっていたはずである。
父が隠し持っていたにしても、タレこまれたらそれまでであったと思う。
それが無かったと言うことは、おそらく、軍部は、本土決戦に備えて、戦力になる様なものを、温存したかったのではないかと
考えられる。
戦時は、女達は、竹槍を構えさせられて、訓練されていた。
戦争が終わっても、その竹槍は、物干し竿の代わりに、置いて有った。
進駐軍の命令は、そのような武器とか、刃渡り何センチ以上の、刃物は、所持してはならないと言うものであったらしい。
もちろん、鉄砲なども同じであった。

父は、このような命令におとなしくしたがって、所定の寸法に、鍛冶屋で切断してもらった。
実際には、家宅捜索の様なものは無かったが。
進駐軍の活動と言うものが、余程恐ろしかったのであろう。


百日紅の花、雉、花のお出迎え

2019-09-15 00:00:00 | 日記

こう暑くては、暑さに強い百日紅も、そろそろ、おしまいです。

花は、まだ、しっかりしていますが、実が付き始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土手の下の裏山のそばに、雉がいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

雉の写真を撮って帰ってきたら、花が出迎えてくれました。

アテ狙いの、熱烈歓迎ではないありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


庭の花達、2019.9.中旬、ハンターみかん、

2019-09-13 00:00:00 | 日記

猛暑の夏が続いていますが、北の方から、初秋の冷気がおりてきているようです。

一昨日は、雷鳴を伴った通り雨が、少しの間お湿りをもたらしてくれました。

今朝は、秋の気配を思わせる空でした。

 

 

先月まで咲いていたゼラニュームが、終わりました。

涼しくなったら、また、咲いてきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みかんがまた、やってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


戦後70年の記憶(過去ログ)、日本国憲法

2019-09-12 00:00:15 | 日記

4年前の、戦後70年の記憶(過去ログ)である。 

幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶である。

あの戦争を知らないこの世代に、少しでも、伝え残しておきたいと思って、記しておく。

 

この経緯は、当時小学2年生のmcnjにわかるはずもなく、まったく、記憶は無い。

後に調べたことであるが、それまでの、天皇主権から、国民主権に変わったこと、基本的人権を尊重すること、

平和主義に徹することが、3大原則であると教えられた。

この際、皆さんも、ぜひ、wikipediaなどで、お調べになられたらいかがかと思う。

昭和20年8月15日、日本は、ポツダム宣言を受け入れて、無条件降伏をした。

ポツダム宣言に織り込まれた条文を遵守する法的義務があり、その一つが、大日本帝国憲法に変わる、ポツダム宣言の

精神にのっとった、新憲法の制定義務であった。

内容は、GHQ(連合国軍総司令部)がポツダム宣言の主旨に沿って定めたものであったが、最後の、帝国議会で、若干

の修正の後、昭和21年11月3日公布され、翌22年5月3日施行された。

 

本稿は、バックナンバーでは、もっと、後日の投稿予定であったが、本日の憲法記念日に合わせて、前倒しで投稿した。

 

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安倍新内閣が発足した。

最近の、対韓強硬路線で人選を行ったようであるが、その裏には、この際改憲をしやすくする、思惑も見え隠れする。

国民は、目をそらしてはならない。

 

明治政府の、大日本帝国憲法では、天皇に主権を与え、国民は、それに従えと言うものであった。

天皇が、万全の聖君の場合は、それが最善の政治であったろうが、権力を握った、取り巻きの勢力が、

天皇を利用して、思うようにやりたいことを行った、それが、日本軍部の行った、あの大戦の、不幸であった。

今の、日本国憲法は、国民に主権を与え、国民によって選ばれた国会議員が政治を行うことになっている。

この国の政治がよくなるかどうかは、国民の判断にゆだねられているのである。