台湾ワン!(Taiwan One!)

台湾にまつわる様々な話、中国語教室の出来事、日々の生活...

一包米看世界

2012年10月24日 | 日々の日記帳
這次去台灣出差,我從老家搜刮了一包精巧可愛的米。
今回の台湾出張、実家から小さくてかわいいお米のパックをかすめてきた。

看著這包米,我回想起,在台灣的那個禮拜,我總是在各種媒體上看到對外國人宣傳台灣的旅遊或商品廣告,我無時無刻意識到處於國際社會中的台灣,以及在大國林立的國際社會中力爭一塊立足之地的台灣。
これをみて、思い出したことがある。台湾にいた1週間の間、いろんなメディアで外国人向けの旅行や商品のCMを目にしたり、国際社会にある台湾の立ち位置を意識したり、大国のせめぎ合うなかでささやかな居場所を獲得しようとする台湾を感じたりした。

但回到日本,那種國際意識立刻銷聲匿跡,即使假設自己是日本人,也不會產生什麼國家意識,想要為自己的國家做什麼。為什麼?難道說日本不是一個國際大國嗎?那當然不是。
でも、日本に戻ったら、ああいう国際意識がウソのように消えた。たとえ自分が日本人だとしても、国のためになんかしよう、という発想が生まれてこない。なぜ?日本が国際的な大国じゃないから?当然そういうわけがない。

想來想去,我歸納出一個結論,那就是日本人不需要擔心自己的國家在國際上的地位(當然最近GDP被中國趕過,可能不比往日),但台灣總是處於不被國際社會承認的危機中,就算好不容易爭取到什麼,不努力維持,一夕之間就會化為烏有,
あれこれ考えて得た結論は、日本人は自国の国際地位を心配する必要がなく(最近GDPが中国に追い越され、以前のような高い位置ではないかもしれないが)、それに対して台湾は常に国際的に承認されない危機に置かれ、たとえやっとのことなにか獲得したとしても、維持する努力をしつづけないと、あっという間水の泡になる。

就像人在海裡游泳,必須不停的揮動手腳才不會沉下去。但是日本就像住在海裡的一條大魚,是不需要擔心溺水的。
たとえて言うなら、海で泳ぐ人は常に手足を動かさないと沈んでしまう。でも日本はまるで海に住んでいる大きい魚で、おぼれる心配はまずない。

所以對台灣來說,不斷地對外宣傳變成國家的一個重要課題,也因此就連一包米,也想出這種點子。
なので、台湾にとって、絶えぬ対外的な宣伝が国家の重要課題であり、それゆえ、こんなお米のパックでさえも、アイデアが込められている。

台灣的土地,只有日本的九州那麼大,但去年2011年一年裡的訪華外國旅客高達608萬人次,相較於此,日本東北地區震災發生前的2010年的統計數字是861萬。
台湾の大きさは日本の九州ほどで、しかし去年2011年一年の外国人旅行者数は608万人。それに対して、日本は東北震災前の2010年の統計は861万人。

台灣的總人口是2300萬,是日本的2成,但造訪的外國人是日本的7成,由此也可看出在台灣的街頭看到外國人的機會比日本高出很多,5人裡就有一人是外國人,特別是在台北這種大都會,三兩步就看到一個外國人是稀鬆平常的事。
台湾の人口総数は2300万人で日本の2割、なのに訪れる外国人が日本の7割に上る。そこから、日本よりも台湾の街角で外国人に出会う確率が断然に高いということがわかり、5人にひとりが外国人の計算。特に台北のような大都会では、二歩三歩歩いて外国人にぶつかることがいたって普通。

也因此,台灣人一般習慣看到外國人,外國人在身邊晃來晃去也不會覺得不自在,所以那些叫賣小吃的歐巴桑揮灑熱情親切地招呼外國食客也是可想而知的。
だからこそ、台湾人は一般的に外国人に慣れていて、近くを外国人にうろちょろされてもなんとも思わない。だから、小吃の売り子のおばさんたちが外国人に情熱的に食事の給仕をするのも理解できる。

從一包米,我看到了台灣人細心經營台灣形象背後的辛苦,也看到了習慣單純安定其背後所隱藏的無法應變環境突變的危機。
ひとパックの米から、わたしに見えたのは、台湾人があらゆる手をつくして台湾のイメージを築こうとするその裏の大変さ、そして純粋で安定的な環境に慣れることの裏に隠れた環境の突然変化に対応しきれない危機。


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コメント (2)
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