結局『飛龍伝』ってことなんですけどね。
ある公演のサブタイトルがこれでした。
あえて『飛龍伝』の内容と説明させていただきますと・・・。
1968年、安保闘争の嵐が吹き荒れる東大に合格した神林美智子は四国高松で心淋しく育った少女だった。
上京した美智子はみんなを指揮する桂木に恋をしその安保の嵐の中に飲み込まれ、やがて全共闘40万を率いる委員長に祭り上げられる。
彼女は最終戦いの日の機動隊の配置図を手に入れる為、機動隊体長・山崎一平の家にスパイとして送り込まれる。
しかし山崎の素朴な愛に触れ、やがて彼を愛した彼女は山崎の子を身籠り生み落とす。
最終決戦の日、2人は全共闘40万を率いる委員長、それを阻止し国を守ろうとする機動隊体長としてそれぞれドアを開けていく、2人の愛、戦いの終結に向かって・・・。
元々舞台発信のものですが、90年代によく上演されておりまして美智子には石田ひかりさん、冨田靖子さん、最近では広末涼子さん、内田有紀さんが演じられました。
山崎一平は劇団員が演じる意外は筧利夫さんが一貫して演じていられます。
よくつけたキャッチだと、こういうのはセンスですからね。
才能ってなんだろうと、それだけしか思い浮かびません。
しかし、恋とはなんだったのでしょうね。
恋と言う概念が今更ながら心の中で空転しています。
人を恋する・・・愛するとはどんなものだったのでしょうか。
記憶を辿っても今や思い出すことも出来ません。
最近読んでいたのは小説版の方ですが、中で
人はそれぞれ、愛情の壺が満たされてはじめて、今度はそこから他人への愛情を注ぐことができるようになる、という話だった。涙が溢れそうになった。私の壺にはほんの少ししか水がないのかもしれない。(つかこうへい著 集英社文庫より引用)
神林さん、余計なことでしょうが言わせてください。人を愛せる人間こそが幸せになれるものですよ(つかこうへい著 集英社文庫より引用)
私にしてもつぼに水などあまり入っていないのかもしれませんね。
だからつぼはすぐにカラカラになってしまうのかもしれません。
知らず知らずの内に恋よりも愛を求めるようになってきました。
思いっきり遊んだ後はお家が恋しくなる。家族の元に帰りたくなる。
帰りたくなる家族を失いかけた時、新しい家族を作るということを何故しなかったのかと思う。
できなかった、それだけのことだろうに。
私も知らず戦場の中にいた。
戦場という名の孤独の中に。
そこも居続ければそれなりに心地よい場所だったのかも知れない。
慣れとは怖いもので、知らない世界より幸せな場所に思えるという特性を持っている。
それが良いことなのか悪いことなのか。
少なからずそう思うことで、人はどんな境遇でさえ乗り越えていけるということかもしれません。
『飛龍伝』に出て来る学生運動の時代を知りません。だから感覚だけこんなもんだったのかなぁと思う。
あくまで想像で全くリアルなものじゃないけど。
だから尚、それってどんなだったんだろうと思いを巡らしてみるのだけど。
人はいつでも戦場にいる。生きることが戦いならね。
そしてそこに見つける安らぎが恋であるのなら、それは一時のオアシスなのでしょうか。
君は戦場、僕は恋
よく出来たフレーズだ。
だから少し切なくなる。
ある公演のサブタイトルがこれでした。
あえて『飛龍伝』の内容と説明させていただきますと・・・。
1968年、安保闘争の嵐が吹き荒れる東大に合格した神林美智子は四国高松で心淋しく育った少女だった。
上京した美智子はみんなを指揮する桂木に恋をしその安保の嵐の中に飲み込まれ、やがて全共闘40万を率いる委員長に祭り上げられる。
彼女は最終戦いの日の機動隊の配置図を手に入れる為、機動隊体長・山崎一平の家にスパイとして送り込まれる。
しかし山崎の素朴な愛に触れ、やがて彼を愛した彼女は山崎の子を身籠り生み落とす。
最終決戦の日、2人は全共闘40万を率いる委員長、それを阻止し国を守ろうとする機動隊体長としてそれぞれドアを開けていく、2人の愛、戦いの終結に向かって・・・。
元々舞台発信のものですが、90年代によく上演されておりまして美智子には石田ひかりさん、冨田靖子さん、最近では広末涼子さん、内田有紀さんが演じられました。
山崎一平は劇団員が演じる意外は筧利夫さんが一貫して演じていられます。
よくつけたキャッチだと、こういうのはセンスですからね。
才能ってなんだろうと、それだけしか思い浮かびません。
しかし、恋とはなんだったのでしょうね。
恋と言う概念が今更ながら心の中で空転しています。
人を恋する・・・愛するとはどんなものだったのでしょうか。
記憶を辿っても今や思い出すことも出来ません。
最近読んでいたのは小説版の方ですが、中で
人はそれぞれ、愛情の壺が満たされてはじめて、今度はそこから他人への愛情を注ぐことができるようになる、という話だった。涙が溢れそうになった。私の壺にはほんの少ししか水がないのかもしれない。(つかこうへい著 集英社文庫より引用)
神林さん、余計なことでしょうが言わせてください。人を愛せる人間こそが幸せになれるものですよ(つかこうへい著 集英社文庫より引用)
私にしてもつぼに水などあまり入っていないのかもしれませんね。
だからつぼはすぐにカラカラになってしまうのかもしれません。
知らず知らずの内に恋よりも愛を求めるようになってきました。
思いっきり遊んだ後はお家が恋しくなる。家族の元に帰りたくなる。
帰りたくなる家族を失いかけた時、新しい家族を作るということを何故しなかったのかと思う。
できなかった、それだけのことだろうに。
私も知らず戦場の中にいた。
戦場という名の孤独の中に。
そこも居続ければそれなりに心地よい場所だったのかも知れない。
慣れとは怖いもので、知らない世界より幸せな場所に思えるという特性を持っている。
それが良いことなのか悪いことなのか。
少なからずそう思うことで、人はどんな境遇でさえ乗り越えていけるということかもしれません。
『飛龍伝』に出て来る学生運動の時代を知りません。だから感覚だけこんなもんだったのかなぁと思う。
あくまで想像で全くリアルなものじゃないけど。
だから尚、それってどんなだったんだろうと思いを巡らしてみるのだけど。
人はいつでも戦場にいる。生きることが戦いならね。
そしてそこに見つける安らぎが恋であるのなら、それは一時のオアシスなのでしょうか。
君は戦場、僕は恋
よく出来たフレーズだ。
だから少し切なくなる。