そうなんだな

2009-09-24 22:57:48 | 日記風
 私の呟きのようなものです。

 以前思ったことがあるのですが、たまたま話を聞いてと持ちかけられることがある。

 こちらの状態もいろいろです。

 忙しい時、そうじゃない時。
 
 このそうじゃない時が問題です。

 仕事があって忙しい時、必ず悩みはあります。
 仕事がなくて暇な時も、まず悩みはあります。

 仕事がある時って具体的になにを言われた。なにをしなきゃならない。それが判らない。
 仕事がない時って、とにかく仕事がない。

 多分、同じ悩みがあるでも、具体的な悩みか漠然とした悩みか、その差だと思う。

 けれどこの悩みの差は大きくて仕事がある同士が互いの仕事について相談しあうはいい。
 ない人がある人に相談する。
 これもまだ、いい。
 
 でも1番問題なのは、ある人がない人に相談する。

 どうしても、なんで?をない側は思うわけです。
 
 仕事あるんだからいいじゃんって。

 今、劇作家コースの原稿を書かなきゃいけない。なんかあたふたしてる。
 でもそれは書いてるだけだから、それ以上でもそれ以下でもない。

 これ、微妙なのよ。

 趣味かしらってくらい微妙な感じ。 

 そして更に困ったことに書きたくないんだな。

 珍しいですけどね。

 どんなに好きなことでもずっと書いてるとやっぱいやになるんだ。
 そういうことでしょうね。

 そういう状況らしいです。

 そういう時はありとあらゆることを考え出すらしいです。

 気持ちと身体バラバラな感じ。
 この感じ、なんだろう。

 何かが1つ突き抜けて、なんだか判らない心理状態に陥りかけている。

 書きたくない。
 そう吐き出してしまえば楽になれるだろうか。気持ちを切り替えられるだろうか。
 望みを込めて言う。

 書きたくない。


 書きたい、書きたい、書きたい。理由なんてどうでもいい。もっと書ける筈。
 ただ書きたい。書ければ何でもいい。

 ただ、ただ書きたい。

 もう1つ突き抜ければ変われる筈なのに。
 そのもう1つが見つからない。

負うた子に教えられて浅瀬を渡る

2009-09-24 20:00:00 | 日記風
 年若い友人を見ていて思う。
 私の方が長く生きてる分こうした方がいいんじゃない?って思うことがある。

 つい言ってしまう。

 上手く聞き入れることは聞き入れて上手に生きてると思う子もいる。

 それでもこいつはなにをしたいんだ?としか思えない子もいる。
 生き方が下手なんでしょうね。

 十分人のことは言えませんが。

 ある友人に振り回されました。
 むら気というか、言ってることがころころ変わる。

 本人はこういう仕事がしたい、それが見つかればいいんだろう。
 ご時勢だし、自分が思うとおりに物事が進まないのは当たり前のことだし。
 待つ時はしょうがない待たないといけないんだけど、それができない。
 自分が不幸な時は自分だけが不幸だと思いがちです。

 それなんだな。

 だから条件次第で自分の第1希望が変わる。
 本人にしてみればどうしたらいいか判らない中で少しでも条件のいいものを選ぼうとした結果なんだろう。
 これがしたいって絶対的な条件も存在してないんだろうね。
 自分にとってこの条件が満たしていればOKなのかもしれない。

 はたの人間が見ていると言ってることがころころ変わるとしか思えない。
 
 Aがいいって言ってたのに2日もしない内にBが最高と言われているようなもの。
 
 なにがしたいの?となるわけだ。

 思えば私は子供の頃から、そういう女性が回りに多かった気がする。

 言ってることが1日にしてころっと変わる。
 あれだけダメだと感情を激したいたのに、その翌日にはころっと変わる。

 なにを信じればいいのだ?
 客観的に見ている私としてはそうなの。

 1日にして変わる理由が、変わった本人の中には存在しているのだろう。
 はたから見れば人が変わったように言ってることがころっと変わっただけなんだけど。

 それが繰り返されるうち、誰を信じていいのかそれが判らなかった。

 だから言ってることを変えるのって嫌いなのよ。
 でも、きっと私も言ってることが変わってる。

 だろうなって意識はある。

 なるたけ前言撤回をしないようにしてるんだけど、してるんだろうな、多分。

 誰を信じればいいんだ?と思わざる得なかったことは大きな不幸だったと思う。

 自分に全責任をかけるしかないんだけどね。
 それが自立ということでしょう。

 そういうことを沢山今学ばせていただいている。
 自分より年若い子から。

 負うた子に教えられて浅瀬を渡る

 まさしくそうだ。

捨てラレル

2009-09-24 14:19:02 | 日記風
 このところ、どうにもこうにも引っかかっている。

 捨てられるんじゃないか。
 私が、っていうんじゃなくて。
 漠然と、捨てられることにどうしても気持ちが向いてしまう。 

 子供の頃、ちょうど幼稚園の頃かしら。
 母親に捨てられる夢を見て目を覚ました時期がありました。

 そしてここ1ヶ月、捨てられる……。そんな感情が胸を横切ります。

 本当に捨てられる状況があるわけではありません。

 子どもの頃、なんでそんな夢を見るのか判らなかった私は、捨てられるって思いが胸の奥底にあるんだとずっと思っていた。

 でも今考えれば、ちょうど幼稚園に通いだし社会が広がる年齢でしょう。
 その広がることに不安を抱いていて、帰るところがあるのだろうか?という思いが捨てられる発想になったとも考えられる。

 今も言わずとも私は旅立ちの季節を迎えている。
 あの時と同じわけ。

 だから旅立つ私はいく分の不安を抱え、逆に捨てられるんじゃないかという思いに駆られる。

 のかもしれない。

 気持ちのいいものじゃないですけどね、常時そういう感情が胸を横切るというのは。

 見えないところで細かいガラス片で心をしゃっ、しゃっって切られてるような感じがする。

 だからここの所、意味もなく辛い思いが続いている。

 そんなに旅立ちって不安なんだな。状況変わるもんね。

 そんなことを言っていたら今朝は思い切り入学試験に遅れる夢を見た。
 やっぱり変化に戸惑いを隠せないのかもしれない。