(相引川に沿い 琴電志度線が コトコト と走る。)
散歩の途中に、桜を横目に走る電車に遭遇をした。
「相引川」という固有名詞で、四国の屋島を流れている川と気づく人は、よほど歴史に詳しいか、ここを観光で訪れた人しかいないだろう。
屋島の西側を流れ、川の幅は7~8メートル。
東へ遡ると屋島東町を流れる川で海へと続く。屋島西町へ流れると大きな河口のを通り干潟を作り海へと通じている。
潮の満ち引きは東西両方向から作用をする。双方の海へ向って潮が引く為、相引川という名前になったとも云われている。
源平合戦の折、源氏平家がお互いに勝を譲らなかった為に相・引き分けたから相引川とも。
そんな「相引川」に沿った道が、私の散歩道のコースの一つにもなっている。
この道を行くと、源平合戦の名所跡があちこちに残っている。観光案内の立札を読みながら、歴史の勉強のやり直しも。
もう少し東へ足を伸ばせば、那須与一が海を逃れて行く平家方の舟の女御がかざした扇の的に向かって弓を引いた場所の駒立岩が、すぐ近くには源平合戦よりも今では有名になっている 「イサム ノグチ美術館」がある。
私がもっぱら歩いているのは 「赤牛崎」附近だ。 昔は浅瀬になっていて、ここを牛を曳いて渡るお百姓を見た源氏の軍が、潮が引けば平家を責めることが出来ると判断をした 相引きの浜辺りだ。相引川は、本土と屋島を分かつ湾であったらしい。
今も橋を渡らなければ、本土(少しオーバー)に行けない。我が家も現に買物に行く時は、この相引川に架る橋を渡る。
花が咲いた。
長い間、この街を離れていたから、このように電車が川に沿って走る景に気がつかなかった。
義経達、平家の武将達、何百年か後に、このような平成の御代を想像をしたであろうか?
明日は 新しい「元号」の発表がされる。
後々の人々は「平成」をどのように語るであるか? 平和な日本が恋しい?なぞと思わぬ、もっともっと安定をした世界も日本でもあってほしいものだ。