{ 明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは }
親鸞聖人のお歌の意味は、
今美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろうと安心していると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない。
人の世も明日はどうなるかわからないから、今日出来ることは、明日まで延ばすな。
と、ラジオ深夜便から、教育評論家の尾木ママの話が聞こえてきた。
尾木ママはこの言葉を小学生の頃、「明日やるから」と言うとお母さんから聞かされた。
この親鸞さんの言葉をお母さんから聞かされたことによって今の自分があると、他のエピソードの交えながら「お母さん賛歌」を語っておられた。
布団の中で聴きながら、
私も子供の頃、母から度々聞かされた。
明日、明日と後伸ばしにしていると、いかんいかんと注意をされたものだ。
母は良くお寺参りをしていて、昔は説教をするお坊さんが旦那寺に来ると、教えを請いに行っていた。
同じ言葉を子供に伝えた尾木ママのお母さんと、私の母は良く似ている。
全く、母だって偉かったんだ。
尾木ママのように立派になった人、私のように性格が破綻し、今もって悩み?いいや自分の不徳を嘆いている日々。
お母ちゃん、ゴメン、私は行きあたりばったりの人間になってしまった、、、と、布団の中で母を思った。
志度でお世話になった方へお歳暮をもって行く。
志度寺お詣りと、冬の花を見るのも兼ねて訪れる。
さすがに冬は花が少ない。
石佛さまの傍に、椿が10輪ほど。
沈丁花の蕾が2~3輪。
志度寺は聞くところによると、植物園のようにお花をいっぱい咲かせる望みを持ち、いつ行っても境内のあちこちに苗木や重機を置いている。
早く、完成すればと、、、願うばかりだ。