本箱の整理をした。
引き出しから 古い新聞の束がでてきた。
30年も昔の古い新聞に俳句の投句欄があって、そこに投句をした私の句が載っているのを保管していたみたいだ。
🐤 木犀の闇に記憶のよみがえる
(十一月集)下期の一
轡田 進選
> 木犀のは白花の咲く銀木犀や黄花の咲く金木犀があるがいずれも芳香があり夜の闇にもよく匂う。木犀の香とともに記憶がよみがえってきたような気がしたのであろう。
1992年11月23日 の「通信文化新報」と云う新聞である。
その頃は、三公社から、民間になった通信関係の職場に勤めていた。
はっきりと計算すると25年前だ。
何種類かの仕事関連の新聞が身の回りにはあった。
その中で、俳句の投句欄を見つけると、せっせと投句をやっていた。
🐥 二人称で父呼ぶ少年青葡萄
金子兜太選
199年8月8日 の「全電通」が発行をしている新聞である。
一度は俳句は辞めたつもりであった。
その時大半の俳句に関する書類などと云うとオーバーであるが捨ててしまった。
セピア色になり、ボロボロの新聞が、引き出しの隅からぽろっと出てきた。
轡田進さんも、金子兜太さんも、今の若い俳人は知らないかもな~、当時は大家である。
兜太さんは、今も健在である。
当時の選を見ると、やはり現代俳句な大家である。少しも変っていない。
矍鑠としたお姿が目に浮かぶ。
老いて少しも俳句の詠めない私。
昔の句の方が良かった。成長をしていない。