老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

   屋島参道の小さな石の仏たち

2019-01-31 21:36:44 | 俳句

 

      

 屋島寺へ登る道には、いたる所に石仏がある。

中腹には仏さまではないけれど、梵字を彫った標石がある。古くて読めない。

この参道の甃はいつも美しくボランティアによって整備をされている。

        

 昔の火山の名残りの柱状節理のこのような場所にある石仏は、他の仏さまは皆、野ざらしだが、小さな祠に納められている。

 ここだけ殺伐と茶色の景色だ。一番の印象は以前恐山で見た光景が浮かんだ。見上げた冬青空に救われた気がした。

 

     

 生い茂った木や笹の葉の向うに並んでいる仏さまたち。

近づくのも怖く、合掌をして前を通る。

      

 行く先々で出会う石佛さま。みなさんお顔の表情が違う。

 

                 

 その中で一番すきなお顔の小さい石佛。この仏さまのお顔を見るとほっと心が和む。この赤いよだれかけをしている方としていない方。この参道を歩く信心の人も、私と同じように、この仏さまが一番好きとか、決めてお世話をしているのかも知れぬ。

     

 

  決して信心家の私ではないけれど、石佛を彫った人、これを建立した人々の思いに心を馳せると、屋島の参道を歩くのも楽しい。

   

     

 

           柱状節理春の水落つ一処

      

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       少女趣味

2019-01-29 12:46:11 | 俳句

 

      

 夢を見た。

倉敷の句会だったのだろう?知った顔ぶれが現れた。

そして新人の若い男性がいて、隣に座ったSさんが色々と世話をやいていた。

ああ、若い人が加わり喜ばしい、楽しい、、と思ったところで目が覚めた。

 昨日、句が出来ず、句会の事をあれこれ思い浮かべて詠もうか?なぞと思っていたのが心に潜在していたのだろう。

一度、師の句会に出たい、出たいと、、、願望をしている。

毎月、京都か広島、吉野山なぞなぞ近い場所で句会がある。

元気だと決して遠い場所ではないけれど、倉敷の句会でさえ終わって帰るとボロ雑巾のように、くたくたに草臥れている。誇張をすれば「死にそう」なくらい疲れているのだ。とても参加は難しい。

 

      

 狭いマンションの部屋をああでも無いこうでも無いと、インテリアを考える。

掃除は簡単だけれど、いらない物は次々と始末をやらなければ、収納に困る。

パッチワークを飾っているが、連れ合いは自分の趣味にあわぬ物を狭い部に飾られて嫌とも言えず、辟易としていると思いやる気はある。それでも、押入れに寝さすのであれば、、、と壁のあちこちに貼っている。

        

 いい歳をしていつまでも少女趣味。

中島潔の絵が好きで、梅太郎が好きで、俳句が好きでブログも(どれも自己顕示欲が強い)部屋の模様までブログに揚げる。

 でもでも落ち着く安心の出来る部屋で音楽を聴く。最高に、し あ わ せ だ。元気でおられますようにちょっとでも長く。  

 

 

 

 

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     屋島寺へ

2019-01-28 10:48:24 | 俳句

 

      

屋島寺へ。

麓のうどん屋でうどんを食べた時、屋島山頂行のバスが通りかかったから、それを停めて乗せてもらった。客は私一人。

 

 屋島寺本坊の紅梅と白梅。

よく屋島寺へ来ているが、本坊の山門をくぐって境内へ入るのは初めてだ。

カメラが悪いのか、写りが悪い。

            

    (屋島寺本堂)

日曜日だっだから、駐車場は満車。観光客も多く来ていた。

屋島寺の納経所に破魔矢。破魔弓。福笹を並べて売っているのがほほえましく、横目で見て過る。

 

 昨今は俳句はお手上げ状態。それで頭を使うより足を使っての有酸素運動が大事と割り切っている。今パソコンを打つのも立っている。エコノミークラを避けるためだ。しかし腰も痛くなってくる。

 最近は部屋の中にも杖の用意をしてある。 椅子から立ち上がる時、杖をたよらなくてはだめなのだ。勿論「よっこらしょ」と気合を入れねばならぬ。

       

 帰りは裏門を抜け歩き遍路の通る径を降りた。

 

以前は往復しても平気だったけれど、昨日は杖を頼りの下山に3~40分もかかる。

途中、すれ違った人は4~50人はいた。

皆さんと挨拶をしてぶらぶらと降りる。今朝は足の筋肉が吊った感じで痛いこと。それでも近い内に又バスで登って散策をしよう。

 

             今猪と遭遇したと立話 

             ごつごつの柱状節理笹子鳴く

             きらきらと蛇行する川寒日和

             猫のゐぬ膝掛さみしかりにけり

 

     

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   四国村   一月二十四日

2019-01-24 17:55:12 | 俳句

   

一週間前に行った時はまだ莟だった梅が満開に。

遊歩道があるが、誰も来る人はいない。

静かに探梅?はるかに屋島の街が木の間から透けて見える。

 

         山笑ふ梅大福から梅の種

          梅探る橋のたもとに道祖神

          ひとり来て心もとなき梅の里

 

 人形浄瑠璃の衣裳展をやっていた。

四国、淡路島、小豆島、、浄瑠璃が昔は盛んだった。

   

豪華なお大尽が着るような金糸銀糸の衣裳を展示している。

大阪なぞではお大尽達がお稽古、浄瑠璃をうなったと思う。

農村では、収穫が終ると手慰みに、お稽古に励んだ。

 

     

         初稽古文字(もんじ)のたくる浄瑠璃本

      

 浄瑠璃本の文字は私には読めない。しかしこんな句をさずかった。

 

 

       

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    自分の為

2019-01-21 11:38:52 | 俳句

       

 窓から見えるポストの在りどころ。

何日か前、夜中に投函に行った。不審者と思われたのか、車を止めて私をみている。

こちらも、今この時間に市役所の支所から出てきて何?、、、と車を見返す。

私が道を横切ってポストに投函するのを見届けて、車は静かに去っていった。

(黒っぽい👒に黒いちゃんちゃんこを私は羽織っていた。ま~黒づくめではあった。)

       

 そのポストに今、俳句を書いた葉書を投函して戻った。

やっぱり近くて良い。便利この上ない。僅か二~三分の往復時間。

コーラーの運転手と薬局の主人の立ち話のほうが長い。

 

 ちょっと俳句にも飽きた?昨今。

と思っていたら、テレビのニュースで「ボランティアの尾畠さん」と「三浦雄一郎さん」のニュースが流れた。

尾畠さんは、東京から自宅まで1200キロを歩いて帰るらしい。

「自分の為です。79才の年齢でどこまでやれるか挑戦です。『自分の為です』」

素晴らしい言葉、生き方。聞いていて観ていて感動をする。

片や、三浦雄一郎さん。アコンカグア登山への今回の挑戦も凄くご立派である。それが途中で断念をしたとのニュースだった。

最初から想像はついていた結果だ。

スポンサーが沢山いて、ふんだんの予算でスタッフを沢山連れての登山だ。テレビの放映権も?

ゲスの勘ぐりかも知れないが、そんな気がしてならない。ご自分の体力の限界への挑戦は決して悪くない。自分の為にの行動だけれど名誉欲が見え隠れしてならぬ。

 二人を比べてみた。考えさせられた。

 

 

 そして自分の為の俳句。飽きたって愚痴を言ってはいけないぞ。

良い句を詠もうと欲が出て、こてふりの上手そうな句を作ろう作ろうとする。

身体がまともに機能しなくなりかけた今、自分には俳句を詠む楽しみが有るということをすぐ忘れてしまう。下手でいいじゃないか。「自分の為に俳句を詠む」そんな毎日を喜ばなくてはと思った今日だ 。^~^。

 

         防寒頭巾から目を出しポストまで  (良い句だぞ~)

 

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