大阪水曜ほっと集談会一世です。
かくあるべしで、自縄自縛状態であった日々、それは今も時々訪れる。
しかしながら森田の学びを続ける中で、自分が、いかにかくあるべしが強い人間であるかという事を自覚できた事は幸運であったと思う。
自分を客観的に見ることは、とても難しい。
集談会での自己紹介を聴いている中で少しずつ自分の中のかくあるべしに気づかされた。
すると不思議なことに今までとは違った景色が現れ生きている世界が変わった。
認められたいという承認欲求は相変わらずであるが、それを他者に求めることをやめた。
自分は、生きているだけで尊い存在である。
振り返ると学生時代にも職場においても、かくあるべしは、容赦なく忍び寄ってきた。
その攻撃に無防備にさらされ続けた日々が痛々しい。
学校では成績や道徳、職場では規律や売り上げ目標そして親子、夫婦では期待や扶養義務という名を借りてかくあるべしがどんどんやってくる。
今は、かくあるべしが近づくとかくあるべしセンサーが働いてその場から距離を置くようにしている。
最近は求める対象が農作物や花などの自然であったり、料理、洗濯など実生活における家事などそして表現手段としての素人芸術など自らコントロールできることばかりである。
世間常識から離れた結果として心穏やかな日々である。
そういえば、2年まえから年賀状を書くことも止めた。
会えば直接お礼も言うしメールやラインも使う。
それだけでも、師走の心の負担が減った。
2020・12・23