大阪水曜ほっと集談会一世です。
今日の、関西は快晴で初夏のような気候です。
さて、長引くコロナによる自粛生活が続いています。
最近も高齢の会員の方から、人と話をする機会が減って、元気がありませんという声を聴きました。
私は仕事柄、人と会う機会が多いので逆に常に感染のリスクがあります。
正直、関西の医療ひっ迫の状況を考えますと怖いですね。
コロナがもたらした苦しみは、肉体的、精神的苦しみ以外に、世間と切り離されたような社会的な苦しみがあります。
そしてもう一つ重大な苦しみが、スピリチュアルペインと呼ばれる苦しみです。
直訳すれば、霊的な苦しみとなりますが、わかりにくいですね。
人生の意味や死の恐怖、漠然とした将来への不安、過去への自責の念などすぐに答えが出ない、解決できない人間の根源的な苦しみと言えるでしょうか。
多くの人々はこの問題に、地震などの自然災害や愛する人との死別、自身が病により余命宣告を受けた時などに向き合うようです。
神経質者は、日頃からこのスピリチュアルペインに向き合っている気がするのです。
なぜ、神経質な性格に生まれたのか。
なぜこのような強迫観念にとらわれるのか。
なぜ、死の恐怖にとらわれるのか。
なぜ、このように人間関係で苦しむのか。
すぐに解決できない問題だけに、外からは見えず本人にしかわからない苦しみです。
私も10歳の頃に、人間は死んだらどうなるのかと考えていたことがあります。
当時は子供なので、遊んでいると忘れてしまいましたが、その問いは、今もマグマのように私の中にふつふつとわいてくることがあります。
特に私より4歳も若かった弟を病で亡くした時に、このスピリチュアルな苦しみに向き合うことになりました。
コロナの問題も、すぐには解決しない。
しかしながらそのような日々でも小さな幸せや心の気付きがあるはずです。
神経質性格をプラスに捉えるか、マイナスに捉えるかこれは私たち自身の問題です。
この事は、また、別の機会にお話ししましょう。
今から仕事に行きます。
2021・5・15 一世