皆様、あっというまに10月ですね。
朝夕めっきり寒くなり、新型コロナウイルス感染症も減少に転じています。
我が国のリーダーも少し若返りました。
それでも60代ですが。
ところで、大家や大御所など、ベテランをイメージする言葉が大嫌いな一世です。
かつて、自分は森田理論を長く学んでいるので、とらわれることはないと言っていた講師がいました。
とても違和感を感じたことを覚えています。
無理をするな!
もっと素直に40年森田を学んでも、50年森田を学んでも辛い時は辛いと言え!
時々、落ち込むときもありますと正直に言え!
想像ですが森田 正馬先生も、私が若い頃学んだ河野 基樹先生も晩年は決して、大御所のように講話をされる人ではなかったです。
重い喘息や末期ガンの痛みをモルヒネで緩和しながら命を削っての講話でしたね。
最近森田を学び始めた会員の方にあたかも、完全な陶冶や悟りの境地があるかのような錯覚を与えてはいけないと思うのです。
私はそのような理想世界は無いと思っています。
しかし森田人間学を学ぶとあなたの中で確実に何かが変化します。
仕事や家事などが出来るようになったというはっきりとした成果の場合もありますが、どちらかと言うと笑顔が増えたとか、表情が柔和になられたとか、そのような感じでしょうか。
とらわれは、私たちに何かを警告しているのですね。
また苦しみやとらわれは、音楽や絵画や文学などあらゆる芸術の母であると思います。
私たちは、そこから何かを生み出す可能性を秘めています。
いかにも、とらわれが無くなったような無理は振る舞いは、ながく続きません。
いつまでも、いつまでもとらわれながらも日々生きるしかない私です。
2021・10・3 一世